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2006年12月25日 (月)

沖縄のクリスマス

恵まれぬ ひとにとぞいい
         誰(た)がためぞ
   ヘリで飛来す  米兵サンタ

これは、ある人のもとめでその人の「日記」に投稿したものである。

わたしの沖縄の友人である社会福祉施設で施設長をしているG牧師(わたしに沖縄のことをいろいろ教えてくださるひとです)は沖縄のクリスマスについて以下のような話をしてくれた。毎年クリスマス近くになると米軍の関係者から多数「めぐまれない子どもたち」に何か贈りたいがという問い合わせがあるのだという。そこで、G牧師は「あんたたちが沖縄から出て行ってくれることが、わたしたちにとっての一番のクリスマスプレゼントだ」と言い返すのだそうだ。

わたしは、1945年から60年までの『琉球新報』(1951年以前は『ウルマ新報』『うるま新報』)と『沖縄タイムス』を読んだ。その中でも、イースターやクリスマスの時期になると、沖縄の「めぐまれないひとの施設」つまり、当時の孤児院の「厚生園」(現沖縄県立首里厚生園)や「愛隣園」、ハンセン病施設「愛楽園」、それに沖縄各地の児童施設・小学校等々に対して、在沖米軍の兵士や将校、そしてその婦人たちの個人や団体、基地内教会(チャペル)から贈り物が贈られたという「美談」が多数載せられている。

なかには、ヘリコプターで非番の兵士がサンタクロースに扮しておりてきたという記述もあった。「愛楽園へ空からサンタ 七五歩兵の友情」(『沖縄タイムス』    1955年 12月 17日)では、75歩兵戦闘連隊が軍公衛部福祉課リーバーメン少佐とともに愛楽園を訪問しプレゼントを渡したとある。また、「空からサンタ爺さん 与那原の愛隣園に」(『沖縄タイムス』    1956年 12月 24日)では、牧港にあるQM隊がヘリコプターに乗って愛隣園を訪れたとある。冒頭の短歌はこのことを思い出して詠んだものである。

「美談」は批判できない。『沖縄タイムス』は米軍占領下という言論統制下にありながら米軍の占領に対しては批判的な記事を載せていたのだが、このようなさすがに「美談」には抗することができず、結果的に米軍の宣撫工作の一端をになわされてきた(拙稿「戦後沖縄キリスト教史のなかの地域と教会−占領軍の統治政策とキリスト教児童福祉   施設・愛隣園の研究」(『キリスト教史学』第55集、2001年7月、pp185-198)参照)。

そのような構図が、「沖縄返還」(沖縄側から見れば「本土復帰」)後、34回目のクリスマスにもなお存続しているのであろうか。さすがに今日『沖縄タイムス』や『琉球新報』でそのような「美談」が採りあげられることはないが、しかし、そのような米兵の「善意」はこの時期に最もあからさまになる。そして、そのような行為が、米軍が沖縄になお駐留し、日本政府と米国政府が「再占領」統治する沖縄の現状と問題点を「隠蔽」し続けているように思えてならない。

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