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2006年3月12日 - 2006年3月18日

2006年3月14日 (火)

沖縄と本土の「淵」

昨年8月、沖縄県公文書館で1960年代の沖縄タイムスを閲覧していたときに、面白い記事を見つけた。このことは、拙稿「沖縄理解のための方法と課題ー戦後沖縄キリスト教史から学んだことー」(『福音と世界』2005年12月)お「おわりに」のところで触れた。以下はほぼその再掲である。

 1961年6月14日の『沖縄タイムス』に、「ほしい親身な態度/認識すべき日本自体の責任」と題した次のような記事が載っている。

十三日の国会沖縄訪問議員団と立法院議員の懇談の席上平良幸市氏(社大)が「施政権の返還決議もせずに、何のかんばせあって、民政府の招きに応じてこられたか、という住民の声を高かった」と述べたことに対し、小泉純也氏(衆・自民)は、スタンド・プレーは失礼千万だ…として、「沖縄の立法院議員があまりに低級なのにあきれかえった」「われわれを敵視しながら一方ではたのみごとをするとはエチケットを知らぬ」などと怒ったことはいわゆる“小泉発言”として、思わぬ波紋を広げている。

6月12日、高等弁務官の招きで日本の国会議員が12名来沖した。14日の同紙によると、くだんの小泉自民党副幹事長は立法議員との懇談会の席上、発言している沖縄社会大衆党所属の平良幸市立法院議員に向かって「余計なことをいうな、そんなことは、わかっている」、「共産党の演説を聞きに来たのではない」とヤジを飛ばし、後で新聞記者に「これでは復帰を早めるどころか、ますますおくらすことにしかならない」と発言したという(註1 )。この小泉発言に対しては沖縄各界から批判が相次ぎ(沖縄自由民主党は同発言を擁護している)、一方の当事者である社会大衆党は小泉に対して公開質問状を出している(註2)。ここで問題なのは、小泉の下品な品性はさておき、沖縄側が米軍の占領という異常な事態を放置した日本政府の責任を問うているのに対して、日本側は施政権返還の「たのみごと」と理解していることころにある。この両者の間には埋めようのない認識の深い“淵”がある。

(註1) 社説「『小泉発言』の背後にひそむもの」(『沖縄タイムス』一九六一年六月一五日)。
(註2) これに対して、小泉は「答える必要はない」と断った上で、釈明をしている(同右)。

断っておくが、父親がこうだから、息子も同じ、というような乱暴な話をしているのではない。しかしながら、自民党の沖縄に対する態度は、この時代も、今も変わっていないのだと思う。そして、沖縄の望みもそのころと変わっていないのではないだろうか。したがって、両者の“淵”はいまだに埋めがたく存在している。

岩国での住民投票の結果、基地を抱える地域の住民たちがその存在や日本という国家をどう考えているか、一定の答えが出たのではないかと思う。しかし、問題はなお残っている。当然の事ながら、岩国に移駐するであろう米軍の兵力が、もし、沖縄からであっても、岩国での住民投票の結果は変わらないのではなかろうか。

ともあれ、問題は、沖縄だけではなく、岩国でも、佐世保でも、三沢でも、横須賀でも、その他でも、日本という国家はこれら地域からの抗議の声を経済的援助を引き出すための方便であると決めつけていることにある。だから、「いくら欲しいのだ」ということになるのだろう。

沖縄の人たちと実際に話をし、彼らの言動をつぶさに見ていると、日本国家の決めつけが完全にミスリーディングであることが分かる。沖縄の人は経済のことを消して度外視にしてはいない。さりとて、それ故に自己の主張を変えることも、その深層ではないと思う。それが、わたしの実感である。

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