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2006年5月19日 (金)

“隣人”となること〜34年目の5月15日に〜

きょう、5月15日は、今から34年前、沖縄が米軍から日本に返還された日です。しかし、今年は新聞やテレビでも報道されることがほとんどありませんでした。沖縄では、いわゆる「米軍再編」の影響で揺れているというのに。韓国の平澤(ピョンテク)でも基地拡張に伴って大規模な土地収用とそれに反対するデモが起こっています。この切迫した時期に、沖縄返還の意味を問い直すということはとても必要なことだと思うのですが………。

沖縄では、米軍が自らを沖縄人にとっての“良き隣人”と呼んでいます。自分たち米軍は沖縄に駐留しているのだから、沖縄人になるべく迷惑をかけず、彼らの恩恵を与えることのできる人間たろうということらしいのです。ここには、いくつかの詐術が含まれています。

確かに、沖縄に行って沖縄に住んでいるひとから色々話を聞くと、米軍関係者との交流を楽しげに語るひとや彼らに困っているところで助けられたというひとの話をよく聞きます。一緒に住んでいるのだから、お互いに仲良く、助け合って、快適に暮らすのは、考えてみればあたりまえのことです。

しかし、一方で、米軍関係者による犯罪や迷惑行為、米軍による事故などが後を絶ちません。沖縄に駐留する米兵の一人ひとりは、個人的には親切で、人懐っこいひとなのかもしれません。そのような相矛盾した米軍・米兵像があるのに、一方だけを強調するということは、他の一方を意図的に隠蔽することに他なりません。沖縄に米軍基地がなければ、結ばれなかったひともいるでしょう。友人にならなかったひともいるでしょう。だからといって、米軍がいたばっかりに身体や心を傷つけられたひともいる。その事実は重要です。実質的占領者と被占領民、実質的支配者と被支配者、抑圧者と被抑圧者という「非対称」の関係のもとで結ばれる愛情や友情。そういう関係や状況でなければもっと素晴らしい者ではないかと想像できないでしょうか。また、本当に結ばれるべくして結ばれる者ならば、そのような状況でなくてもきっといつか、どこかで結ばれるはず。そう思うことはできないでしょうか。

そして、この関係は日本(本土)と沖縄、日本人と沖縄人ともまったく無関係ではありません。

わたしは、34年目の5月15日にあたり、自ら沖縄人と“隣人”と接していこうと考えています。「沖縄の人たちは我々と同じ『日本人』ではないか。それを “隣人”と呼ぶのは一種の差別だろう」と批判する人がいることでしょう。しかし、わたしは思うのです。わたしたち日本人が、ほとんど無自覚に、沖縄人を当然のように「日本人」と呼び、沖縄を当然のように「日本」の一部であると思いながら、一方で無意識のうちに沖縄や沖縄人と特別視したり、排除したりする。このことに、わたし自身、これまで不覚にも、気がつきませんでした。

わたしたち日本人もまた沖縄人と、残念ながら「非対称」の関係性のなかを生きているのです。そのような関係をわたしは克服したいと思っています。しかし、それは、「無前提に“あなた”と“わたし”は同じです」ということに最終的になることを意味していません。わたしは、そのような関係を克服する第一歩として、両者がそんな関係にあることを自覚することからはじめたいと思っています。そして、互いに“隣人”となるべく努力すること。そして、そのような関係を乗り越えたいと思います。

「復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である」(旧約聖書 レビ記 第19章第18節)。

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