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2006年5月21日 - 2006年5月27日

2006年5月21日 (日)

辺境のキリスト教と日本の近代─伊波月城とその周辺─

(※日本思想史学会2005年度大会(2005.10.22、於東京大学)におけるシンポジウムでの発表の要旨)

沖縄は、近代日本成立期にその周縁部に併合された。本報告の目的は、その沖縄のキリスト教史を日本本土のキリスト教史(教派・教団中心の歴史)から切り離し、その独自性や可能性を探ることにある。具体的には、月城・伊波普成(1880〜1945)という人物とその周辺を分析対象とする。

伊波月城は、「沖縄学の父」伊波普猷の弟で、ジャーナリストである。月城は1900年に青山学院(メソヂスト派)に進学し、海老名弾正(日本組合基督教会本郷教会牧師)による感化を受けてキリスト者となった。1907年頃に帰沖し、兄・普猷とともに沖縄メソヂスト教会(村井競牧師)で「沖縄正則英語研究会」結成した。09年に『沖縄毎日新聞』の記者となり、12年頃まで同紙を中心に活発な言論活動を行う。しかし、それ以降、忽然と斯界から姿を消し、1930年代には熊本県八代市に居住した(比屋根照夫の説による)というが、1945年沖縄戦の最中に戦場死したといわれている。

ところで、日本の主要な教派・教団の正史は各地域固有のキリスト教史を解体し、その中から伝道の「苦闘と成功」、「迫害と勝利」等のみをエピソード化して抽出する。そして、それらを巧みに自らの正史に採り入れ、地域の教会・信徒を統計上の数値化していく。こうして、近代初頭、日本の各地に独特の足跡を残した教会や信徒は、「地方教会」として中央の教派・教団の傘下に編入されていく。教派・教団による「地方伝道」の歴史は異教・非文明の地である「地方」を教化し、キリスト教化すると視点で再編集されている。このような歴史観は日本に伝道に来た欧米の宣教師の“まなざし”を日本人伝道者が内面化しており、同時に「文明の宗教」であるキリスト教をもって新日本を建設するという日本のキリスト教界主流派の国家主義的な意識を体現するものであった。また、これは、日本のキリスト教自体が欧米のそれの辺境に位置しており、日本のキリスト教界が自らの辺境性を意識するがゆえの反応でもある。

従来の日本キリスト教史研究はこのような中央の教派・教団を縦糸として行われきた。そして、研究者はこのような「史観」を共有し、あるいは、その創出に積極的に関与してきたのではなかったか。それゆえ、近代日本の辺境におけるキリスト教の歴史を叙述するためには、このような再編集された歴史からそれを切り離し、簒奪され数値化されたそれぞれの歴史を回復する必要がある。

近代日本の辺境たる沖縄へのキリスト教の到達は、日本本土より早かった。19世紀半ば既に中国大陸で伝道していた欧米の宣教師たちは日本本土のための「橋頭堡」として沖縄に一時的に滞在した。そして、日本での禁教が解けるとそこに殺到し、沖縄のキリスト教伝道は中断する。19世紀末になって本土より派遣された日本人牧師によって伝道は再開される。彼ら日本人牧師の記録はいずれも断片的であるが、いずれも伝道の熱意に燃え、「ファンダメンタル」で「オーソドックス」な信仰で沖縄人を感化した。そして、彼らの努力により沖縄人青年牧師は育ち、比屋根安定(1892〜1970)のような神学者・宗教学者が輩出した。しかし、彼らが与えた感化は、先述の日本キリスト教界の国家主義的意識を反映しており、「沖縄のキリスト教」に対する「日本のキリスト教」への同化を促すものであった。

そのような日本人牧師の姿勢に反発して自ら教会を設立した沖縄人・比嘉静観(1887〜1985)のその後の行動は、辺境としての「沖縄のキリスト教」の別の可能性を示している。また、1911年4月の「河上肇舌禍事件」に際して、月城が健筆を揮った『沖縄毎日新聞』は、本土との同化を促進する立場であった『琉球新報』とは異なり、狭隘な国家主義から脱して世界平和の理想を遂行するようにと河上の発言を擁護した。月城はアギナルドのフィリピン革命を支持し、朝鮮半島への日本の進出を批判し、南アフリカのボーア人やトルコ、ユダヤ、インドなど西欧列強の圧迫に呻吟する小民族に対して深い同情と連帯を示している。

──ひとつの辺境は、他の辺境の最も近い。このように月城周辺の沖縄のキリスト教関係者からは同化や教化・感化に塗り込められず、常に境界の外へと向かうエネルギーが充ちていた。先述の比嘉静観牧師はのちにハワイに渡り、教会を牧する傍らで労働運動を指導した。また、社会運動家の屋部憲伝(1888〜1939)や画家の宮城与徳 (1903〜43)たちは米国ロスアンジェルスを根拠地に「黎明会」を基盤に社会運動を実践する。宮城はその後帰国し「ゾルゲ事件」に連座し獄死する。一方、島袋全発(1888〜1953)や金城朝永(1902〜55)など普猷の「沖縄学」を嗣いで沖縄の固有性に回帰する人材を輩出した。

近代日本の辺境たる沖縄のキリスト教は日本本土よりの感化を受けつつも、自らの周縁性・辺境性を直視してそこに自らのアイデンティティを見出しつつ、その位置を手がかりに世界の周縁的民族・階級に自らを重ねていくという可能性をもっていた。そして、日本本土の教派・教団中央はそのような認識を常に持ち得なかった。最後に一言だけ付言すれば、このような沖縄と日本本土のキリスト教界の関係は、約100年経過した今日でも続いている。

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