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2006年5月28日 - 2006年6月3日

2006年6月 2日 (金)

ある出会い、そして、問題と関係の連鎖〜韓国・広島・沖縄〜

きょう、木曜日は、例によってK女学院で非常勤の日。

K女学院の非常勤講師控室はとっても広い。木曜日は、外国人講師を含めて語学関係の講師がとっても多いような気がする。木曜日のこの時間に来る講師は、何年もあまりメンバーが替わっていない。だから、控室の座席は、長年の習慣で大体決まっている。お互い顔見知りだから、会釈ぐらいはする。しかし、話したことはないし、名前や所属大学についてもほとんど知らない。

しかし、きょう、不思議な出会いがあった。

わたしは一番奥の端っこにいつも座っている。その隣には、わたしよりも年上と思われる女性がいつも座っている。講義資料などから、彼女は朝鮮語の担当らしいことはわかっていた。昼、わたしが講義を終えて帰ってくると、彼女は席を離れてもともと知り合いらしい男性と話をしている。その話を聞くともなく聞いていた。話題は、どうやら先頃刊行された『岩波講座 アジア・太平洋戦争』のことらしい。彼女はその叢書に執筆をしているらしい。ふと、わたしのかつての指導教官の名前が出てきた。O大学大学院のS教授である。

その話が終わって彼女が席に戻ってきたので、思い切って話しかけてみることにした。わたしがS教授の指導を受けた学生であると告げて、互いに自己紹介をした。そして、彼女のことを聞いてみた。彼女は在韓被爆者の支援をしている市民活動家で、その必要に応じて朝鮮語を学び、K女学院では朝鮮語とアジア文化論を講義しているということだった。

わたしは広島で学生生活を送ったことがある。そして、教会に通い始め、やがて洗礼を受けてキリスト者になった。そこで、いろんなことを学んだが、在韓被爆者のことは教会の関係から学んでいた。爆心地近くに建つ河村病院の院長が中心に行った在韓被爆者の「渡日治療」のこと、それを支援する牧師たちのこと。

ことにこの「渡日治療」に熱心であった流川教会の故谷本清牧師。その谷本牧師が戦前沖縄で伝道をしていて、沖縄戦の直前に信徒を残して沖縄を離れたということは、現在の研究テーマを選んでから初めて知ったことである。その頃には谷本牧師ばすでにこの世にはいなかった。

戦前、沖縄の名護で伝道をしていたH牧師も同じように沖縄戦直前にそこを離れた。そのH牧師のことを、少年期にH牧師の牧する教会に通っていた沖縄のY牧師に聞いたことがある。H牧師は戦後筑豊で炭坑夫たちのための伝道にその後半生を捧げた人物である。その背景に、沖縄を離れたときの心に痛みがあったのではないかと、Y牧師によるH牧師の話を聞きながら感じた。そして、谷本牧師が戦後反核運動や在韓被爆者の渡日治療などに専心する動機のひとつが、彼の沖縄の信徒との別れにあったのではないかと、ふと思ったころがある。

彼女との出会いで、そんなことが、一瞬に甦ってきた。自宅に帰ってその『岩波講座 アジア・太平洋戦争』にあたると、第4巻『帝国の戦争経験」の彼女の論文があった。奥付の彼女の現職を見ると、「韓国の原爆被害者を支援する市民の会」会長とあった。

わたしは、これまでの研究人生、最短距離で全力疾走をしてきたわけではない。ずいぶん回り道をしてきたし、いまも回り道をしている。おかげで、いろんな経験をし、色々な人に出会うことができた。その道々でした経験、出会った人々から受けた多くの感化で、いままで無駄になったことはほとんどない。そして、年を重ねる毎に、それらが、連鎖しているのではないかと感じられる。

ひとつのことをとことんまで突き詰めること。そして、常に視野を広く、思考を柔軟にする努力をする。そうすることで、いろんなことがつながってくるのを、感じている。

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