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2006年7月9日 - 2006年7月15日

2006年7月12日 (水)

谷本清牧師のこと

ヒロシマ、60年の記憶 Book ヒロシマ、60年の記憶

著者:近藤 紘子
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以前、このブログの「ある出会い、そして、問題と関係の連鎖〜韓国・広島・沖縄〜」っで触れた谷本清牧師について、訂正がある。

谷本牧師の娘さんである近藤紘子(コウコ)氏の著書によると、

 1909年香川県坂出市に生まれ、18歳で受礼。関西学院神学部を卒業後、アメリカのエモリー大学に留学して神学を修めます。ハリウッドの日本人独立教会で牧師を務めた後、太平洋戦争が勃発した1941年に帰国しました。当時としては異色の経歴を持っていた父は、アメリカ留学帰りの牧師として沖縄那覇中央教会に赴任します。
 翌年、山崎チサと結婚しますが、戦況は悪化の一途をたどっていました。間もなくすると、沖縄周辺沿岸までアメリカの潜水艦が迫るようになります。
 「沖縄は大変危険な状況になってきたので、日本で一番平和な都市、広島に行って、少し体を休めるように」
 新婚だった両親への、監督の方の配慮だったのでしょう。この言葉を受け、父は広島に赴任します。1943年4月。谷本清、日本メソジスト広島中央教会(後の広島流川教会)牧師に就任。

とあります。念のため、他の資料で調べてみましたが、谷本牧師の沖縄での在任期間は1941年〜43年4月は正しいようです(川平朝清「沖縄キリスト教小史」(日本基督教団沖縄教区編『27度線の南から─沖縄キリスト者の証言─』日本基督教団出版局、1971年)pp42-43)。

なお、谷本牧師の離沖の理由を近藤紘子さんは「新婚のため」としているが、この点についてはよく調べてみる必要があると思っています。

さて、この近藤紘子氏の本を読んで、谷本牧師はもっぱら被爆者の『地米治療』等に熱心の取り組まれてきたことを思い出しました。どうやらわたしは、在韓被爆者の「渡日治療」それを混同していたようです。これは、もちろん、谷本牧師の在韓被爆者のそれについてかかわっていないことを意味しません。

さて、今回のことを通して、自分自身は新しい研究課題をしめされたと感じています。

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