« 2006年7月16日 - 2006年7月22日 | トップページ | 2006年8月6日 - 2006年8月12日 »

2006年7月30日 - 2006年8月5日

2006年7月31日 (月)

拝啓 五百旗頭真先生

きょうは、本当に驚きました。7月31日に先生に直接お会いでき、お話しができるなど、想像さえしておりませんでした。わたしの乗った隣のタクシーから先生が降りていらっしゃるとは。

それから、その時には気が動転していたので言えなかったのですが、防衛大学校の校長就任、ひとまずおめでとうございます。

きょう、先生から頂いた名刺は、先生の神戸大学最後の日の名刺ですね。後に述べますが、わたしは先生の転機に不思議に立ち会うことになってしまっているようです。先生のその名刺は、色々な意味を込めて、大切にしたいと思っています。

本日もお話ししましたが、わたしが先生の日本政治史の講義を受けたのは、もう四半世紀も前のこと。たしか、1981年、広島大学法学部でのことでした。詳しい講義内容はおぼえていませんが、歴史の見方、政治の読み方など、基本的なことをずいぶんたくさん教えて頂いたように思います。そして、講義を受けながら、3年生になったら絶対に先生のゼミに行こうと決心していました。ですから、一度だけ、先生に研究室に質問に伺った記憶があります。いま思えば、ただ先生と個人的に話をしたかっただけなのかもしれません。また、定期試験の時先生に答案を提出したときに、先生が「I君ね」とおっしゃったような気がするのですが、あれは夢だったのでしょうか。

ところが、先生は翌年神戸大学に行ってしまわれました。そのときは、目の前が真っ暗になるほどショックを受けたことをおぼえています。結局、3年になると外交史の石井修先生のゼミに入れて頂きました。そして、そこで日米開戦時の天皇の統帥権とシビリアンコントロールを結びつけた、いま思うとずいぶん荒唐無稽で、無謀な試みの“卒論”を作成したのは、やはり先生の講義の影響があったのだと思います。

しかし、その後、石井先生も海外に行ってしまわれました。その後も、指導教員の転勤や海外出張等で、その都度、わたしは自分の師匠を失ってきました。だから、わたしには、自分の学問についての“師匠”といえる人物はいません。それは、いままで、自分が誰の世話にもならずやってきたということでは、決して、決してありません。むしろ、色々な大学で多くの素晴らしい師と出会ってきましたし、それぞれの先生から大変な感化を受けてきました。しかし、わたしには、自分の学問のただ一人の師匠といえる人物はいないのです。

それでも、五百旗頭先生と石井先生には出会うことで、わたしは学問に目覚めたように思います。その後わたしは大学院に進み、先生と偶然国会図書館の憲政資料室でお会いしたときに、わたしが挨拶をすると、「あっ、君か」といわれ、また、資料に目を落とされたことがありました。わたしは、神戸大学に行ってしまわれた先生がわたしのことをおぼえて下さっていたのだと、感激しました。

そんな先生が防衛大学校の校長に就任するというニュースは、唐突な印象を受けました。先生の講義以来、先生の著作を真面目に読んだとはいえませんが、それでも、先生の主張にリベラルなある種の健全さを感じてきました。その印象と、自衛隊の幹部養成学校の校長職は、にわかに結びつかなかったのです。

しかし、去る2006年7月27日の『朝日新聞』(朝刊)での「防衛大学校長に就任 五百旗頭真氏に聞く」を拝見して、先生のお気持ちの一端が分かったような気がしました。そこでの先生のご発言をうかがって、わたしの意見とは違っているけれども、「戦後築いた民主政治とシビリアンコントロール(文民統制)を大切にしたい」とおっしゃる先生のこれからのご活躍に期待を寄せております。

しかし、それでもなお、先生の紙上のご発言に対してはいくつかの疑義があります。

まず、「死が街を襲った時、自衛隊を求める声が上がりました。がれきの下から人を救い出し、ライフラインを支えました。…(中略)…最後の手段としての自衛隊の重要さを再認識しました」とありますが、ほんとうでしょうか。実はわたしも阪神大震災の被害地域の端っこにおりました(豊中市曽根)。震災の被災地に一ボランティアとして足も運びました。そこでは、確かに自衛隊の隊員たちは活躍しており、被災者にも感謝されていました。しかし、この評価は一面的です。わたしの眼には、他の公的な職業の人々、例えば、警察や消防、役所等々の人々の被災地での活動と、自衛隊員のそれとを比べて特別に後者がぬきんでているとは写りませんでした。それから、民間のボランティアや地域住民は自衛隊員に助けられたと言うよりは、自分自身が助かっていく過程で自衛隊員や警察・消防等々の職員に手助けをされたというのがより実体的に正しいと思います。

また、わたしの身近では、教会の牧師は教会員のためだけではなく、地域住民を救援するために教会堂を提供し、自身も長期間にわたって被災者全体の支援をしてきました。教会堂は震災当初は死体の安置所になり、それとだぶるように近隣住民の避難所となりました。そして、長期間にわたって会堂を仮設住宅代わりに提供した教会もあったと聞きます。そうしたさなか、過労のため命を落とした牧師もいます。

その他にも、きっとわたしたちが知らないだけで、民間人のなかには自分の命と引き替えに人を救った人は何人もいたと思うのです。それに引き替え、自衛隊員で震災で過労死した者はいるのでしょうか。わたしは、自分の死をとして他人を救うことだけが崇高なことだとは思っておりませんが、民間人のこうした死者の遺族に対しては公的な支援はほとんどないかわりに、もし仮に大震災が起こってそこに災害派遣された自衛隊員が公務死すれば遺族には十分に保障がなされ、本人は靖国神社に祀られる。これは、人間としての不平等以外の何ものでもありません(わたしは靖国神社廃止論者なので、こうした民間人の死者も靖国に祀れといっているのではありません。念のため申し添えておきます)。

だからこそ、先生の次のお言葉は、とても思い意味を持つのだと思います。「人を大事にし、世界を知ることを教えるのは(大学で教えることと=引用者)一緒。今後の自衛隊に求められる社会的機能に即した教育かどうか、まずよくみたいと思う」。先生ご自身が、自衛隊を単なる人殺しの集団としてではなく、100%人を傷つけることなく人を救う集団に変えるべきだと、わたしは思います。そして、先生ならそれができるのではないかと、内心、とても期待しております。

自衛隊では、人を救う訓練や教育は行われているのでしょうか。もし、それが行われているのであれば、人を殺しものを破壊する訓練・教育と比べてどれぐらいの割合でそれがなされているのでしょうか。それはとっても興味深いことです。人を救う訓練・教育が全体の10%なら満足なのか、それとも50%を超えるべきなのか。そのことを今後も注視したいと思っております。

それから、先生が繰り返しおっしゃっておられる「国民の生存のための最後の手段が自衛隊」ということばにも、わたしは強い違和感を持っております。「自衛隊」を「軍隊(国軍)」に置き換えて、一般化をして考えたいと思うのですが、軍隊はほんとうに「国民の生存」を守っているのでしょうか。沖縄戦での事実を挙げるまでもなく、軍隊の唯一の目的は国家を守ることであり、その目的の完遂の過程で、副次的にごく限られた一部(地域)の「国民の生存」が守られることはあるでしょう。だから、わたしには先生のおっしゃっていることが理想主義に思えて仕方がないのです。

それから、平時にあっても、軍隊は「国民の生存」を脅かし続けているという側面を決して忘れてはいけないと思うのです。軍隊は地域社会に駐留します。その中流によって地域社会の一部が利益を得ていることは確かですが、そうであっても騒音や環境破壊などが起こり、兵士による事故や事件も後を絶ちません。そもそも、駐留や基地建設を前提とする軍隊というシステム自体がすでに破綻しているのではないかと思うです。その思いは、わたしが沖縄の研究をはじめて、しばしばかの地を訪れるようになって、ますます強くなってきました。

そして、何より深刻なのはこうした事実が地域によって偏在しているために、大多数の国民にとって問題の所在が見えにくくなっていることです。先生は「国益を優先するのであれば、多少の被害は仕方がない」とお考えでしょうか。恐らく、多数の国民はそう考えているのではないでしょうか。しかし、その「多少の被害」により、命を失ったり、精神を病んだり、一生消えぬトラウマを抱えている人々が少なからずいるのです。先生ご自身は、そのことを十分にご存じだと思います。だからこそ、先生にはそのことを自衛隊の幹部候補生に充分教育して欲しいと思うのです。

わたしは自衛隊廃止論者ですが、実際の自衛隊員や幹部の方々とコミュニケーションができないとは思っていません。たしかに、過去に何度か自衛隊員・元自衛隊員との議論のなかで、「おまえなんか、消すのは簡単だ」とか、「おまえを社会的に抹殺してやろうか」と恫喝を受けたことはあります。しかし、それでも、なお、彼らとは議論の余地が残っていると思っています。

先生は、本日の兵庫国際サマースクール(アジア若者塾)の開学式での演説で、「日本はアジアで最も最初に民主化を成し遂げました。そして、周辺諸国・諸地域の民主化を助けてきました」とおっしゃりましたね。この議論の正当性はともかくとして、もしそうであるならば、どうか先生ご自身の手で、「軍隊としての自衛隊の民主化」を行っていただきたいのです。「軍隊の民主化」、あるいは、「民主化された軍隊」というのは、論理的に矛盾しています。しかし、この試みは挑戦的で、エキサイティングでもあると思われませんか。

以上、長々と、しかも、ずいぶん無礼なことを書いてきたと思います。わたしは、先生と出会ったあと、マルクス主義政治学の洗礼を受け、民衆史や社会史を志し、現在では国家の《周縁=辺境》のキリスト教について研究を続けております。だから、先生ご自身の考え方がこの四半世紀のなかで変容されているのと同時に、わたし自身のそれも同様になり、それゆえに先生ご自身の教えから結果的に離れてしまってはおります。しかし、依然として、わたしは五百旗頭真先生をわたしにとっての“最初の師”として尊敬しております。

最後に、わたし自身は次のように考えています。「国民の生存のための最後の手段は市民自身」。わたしたちは、わたしたち自身でまもる。わたしは、そんなシステムをこれから考えてゆきたいと思っております。そして、それは、先生がこれからなされることと相反することなく、ゆるやかにリンクしてゆければと思います。

どうか、お体を充分ご自愛されて、ご活躍されることを、神戸の地から祈念しております。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2006年7月16日 - 2006年7月22日 | トップページ | 2006年8月6日 - 2006年8月12日 »