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2006年8月27日 - 2006年9月2日

2006年9月 2日 (土)

わたしの決意、沖縄の決意

憲法が改悪され、教育基本法が放擲されれば、沖縄が日本に留まる理由がなくなる。

こんな言い方は、沖縄在住でも沖縄出身でもない、単なる沖縄を対象賭しているに過ぎない研究者がすべきではないと思う。しかし、わたしは、自分が抱えている門だから考えようと思っている。

──憲法が改悪され、教育基本法が放擲されれば、沖縄が日本に留まる理由がなくなる。

だから、これは、わたしの決意でもある。

わたしはある地方都市の中学校を出た。その中学校は国立大学の附属だったので、他の中学校の比べて生徒の自主性が尊重される環境にあったと思う。そこで受けた教育は俗にいうエリート教育的なものでは決してなかったが、これも他校に比べ概してリベラルだったと思う。それを象徴することが入学式後間もないときに起こり、わたしはそれをいまだに覚えている。その出来事は、以下の通り。

その学校の校訓は以下の三つ。

  1. 真理と正義の追求
  2. 勤労と責任の尊重
  3. 健康な心身の鍛錬

それがすべて校歌に盛り込まれていた。その校歌は、おおよそ次のようなものであった。

一、緑にはゆる城山の     二,石手の堤 一筋に
  変わらぬ姿 仰ぎみて     ただ勤労と責任の
  真理と正義 求めつつ     重き務め 尊びて
  集う我ら 附中生       勤しむ我ら 附中生

三、白帆に霞む 瀬戸の海
  心も身をも 健やかに
  互いに励み 励まして
  すすむ我ら 附中生

記憶をたよりに再現したので若干の間違えはあるだろうが、ほぼ正確である。もう30年前後も前のこと何のいまだに鮮明に残っている。そして、その出来事は昨今の情勢をわたしが考えていくなかで、いまだに自分の人格や思考を形成するための出発点になっている。

前振りが長くなってしまったが、教師(一年生の担任教師)は校歌と校訓を解説しながら、同時についこの間まで小学生であった入学直後の中学生に第二次世界大戦のこと、敗戦のこと、戦後民主主義の意義について一時間講義をした。この校訓と校歌には教育基本法の精神が反映されている。同法の第一条に「教育の目的」が次のように規定されている。

第一条(教育の目的)    教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない(下線は引用者)。

わたしの住んでいた地域では「日教組」の組織がほぼ壊滅していたので、その教師が特定のイデオロギーや党派・政党に影響を受けたものではなかったことは確かである。また、同じような講義が他のクラスでも一斉に行われていたことから、このような教育自体は学校の方針でもあったのだろう。

思えば、憲法や教育基本法、そして、それらに象徴される戦後民主主義というものに意識的に触れた最初の経験が、まさにこのできごとであった。そして、それが、先述の通り、未だにわたしの心に留まり続けている。

しかし、昨日自由民主党の総裁に立候補を表明した安倍某は、「新憲法」を制定し、教育基本法を抜本的に改正するという政権構想を発表した。彼・安倍某の曰く「美しい国」という言葉は、民族主義者特有の陶酔が感じられる。嘆美と陶酔は、しかし、権力やそれが持つ暴力性を結果的に隠蔽することになる。それだけではない、それは一種の思考停止を招くことになる。権力者のもつ権限や影響力が観念の束縛から抜け出せなくなり、リアリティを失うことになる。それでどうなるのか。自らの現力の発動でどういう結果が招来するかというようなリアリズムが政治から失われることを意味する。

冒頭の繰り返しになるが、1972年の本土復帰のとき、沖縄の住民の多くが願ったことのひとつが「平和憲法の日本」に復帰することであった。したがって、憲法が改悪され、教育基本法が放擲されれば、沖縄が日本に留まる理由がなくなる。権力者の陶酔と耽美はそうした重要なことに気づく感性をまったく喪失することである。そして、日本と沖縄との間に横たわっている数々の問題を発生させている原因を追及してそれを改善しようとする論理性も、合理性も、誠実さも喪失することになる。そうなると政治家としては致命的であるし、その人物は教育を語る資格を持たないことを証明することでもある。しかし、そんな定義にぴったり当てはまる安倍某の人気は圧倒的に高い。

沖縄が独立するというようなことは、安倍某はよもや考えてはいまいし、ひょっとする遠い沖縄のことは眼中、または、念頭にないのかもしれない。曰く。現在のように経済的に本土に多くを依存している「近くの貧しい親戚」である沖縄は、反日的行動に出た場合、生きてゆけない。現に、今秋行われようとしている沖縄県知事選では野党は「反基地」の統一候補すら立てることができないだろう。沖縄の確信自治体はほぼ壊滅状態にあるし………。──そう思っているだろうが、それは、全くの誤解である。経済的な利害だけで沖縄を納得させ、日本につなぎ止めておくことができるというのは、日本・日本人の大きな思いこみ、勘違いである。

表題の「決意」にはいろいろな意味がある。自分の原点たる平和憲法と教育基本法を護るために、自分に何ができるのか。甚だ心許ない飯かたがが、わたしにできることはまだたくさん残っているのだろうと思う。それを思いついてはいるが、まだおぼろゲテ言葉にはできない。とにかく、わたしにしかできないこと、わたしと誰かが力を合わせればできることを、これから模索したいと思っている。

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