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2006年12月17日 - 2006年12月23日

2006年12月23日 (土)

落差

日韓宗教研究FORUMの沖縄フィールドワークの実質的最終日。わたしにとっては学ぶことの多い刺激的な経験であったが、ここに来て「沖縄」をめぐる認識をめぐって明確なミゾができた感がある。大半の参加者はそれに気がついているのだろうか? 恐らく、まったく気がついていないに違いない。

韓国人は、みんな、質疑応答にもかかわらず、自説を長々と述べる。それに他文化理解の基本的姿勢や柔軟性に欠けていて、他文化を自分の文化の方や言葉でしか理解しようとしない。また、見学のときには平気で人の前に割り込んでくる。そして、なにより日本に対して妥協的な発言をすると、それが例え学問の場であっても、「親日派」のレッテルを貼られてパージされるおそれがある。なので、必要以上に日本に対して否定的になっている。要するに、言論の自由が保障されていないのだ。

というような意見を韓国人は受け容れることができるだろうか。最初のフレーズ「韓国人は、みんな………」に問題の本質は集約されている。そう、わたしが出会ったのは韓国人の「みんな」ではない。たった2日間だけで、直接的な対話や議論をほとんどせず、外から観察しただけで、それであたかも韓国人「みんな=全体」を語ることはとっても無理なことである。第一、謙虚さを欠いている。これらは「真実」かもしれないが、それは「真実」のほんの一部分にしか過ぎない。そして、別の「真実」、つまり、韓国の研究者は実に好奇心いっぱいで、行動的であること等々、評価できる点に何一つ触れず、それらを隠蔽しているのである。

それと同様なことを、「沖縄」についてもしているのではないかということを恐れる。わたしは、日本人の研究者や韓国人の研究者のここ2日間の「沖縄」についての発言を聞いていて違和感を覚えはじめていて、それがしだいに大きくなっていた。最後のプログラム「『痛み』の臨床と精神文化の諸相を知る」と題したトークセッションで、そのことを鮮明にしたのは、実は、この研究会の外部、それも、地元沖縄のある紳士の指摘であった。

韓国の方は沖縄に対して“痛み”を与えている原因を特定してから、それを取り除くべきだとおっしゃっているが、沖縄にとって基地の存在そのものが“痛み”である。それは決して取り去ることができない。沖縄には韓国語の「恨」に相当する概念はない。“痛み”を与えるものに対して、復讐したり、反撃したりすることで、それを解消するという発想は沖縄人のなかにはない。沖縄人は、琉球王朝の時代から“痛み”を受容しながら、それを敢えて甘受することで解消してきた。八重山の石垣は琉球王朝時代には、日本本土(薩摩) からも、琉球王府からも二重に収奪されてきた。しかし、八重山は沖縄の中でももっともすぐれた芸能が生まれている土地でもある。
沖縄人のことを抑圧されているかわいそうな人々と見るのは、間違っている。沖縄人は、そんな苦しみの中でも、楽しく、明るく生きてきた。

わたしは、彼の発言を聞きながら、米軍占領開始期の沖縄でのいくつかの出来事を想起していた。それは、民間人捕虜収容所で「カンカラ三線」をつくって演芸会を盛大に行った沖縄人たちであり、芸能人に特別の認証を与えて「公務員」とし、俸給を与えて沖縄島各地で公演させた沖縄諮詢会・民政府文化部長の当山正堅であった。また、「ヌチヌ、グスージサビラ(「命の、お祝いをいたしましょう」。つまり、「戦争で生き残ったことをめでたいと思って、これから力強く生きていこう」ということ。※「かむじゃたん」氏の指摘を受け一部修正しました)」と唱えながら民家に上がり込み、演奏をしていったという小那覇舞天のことを思い起こしていた。

われわれ宗教を対象とする研究者は“痛み”や“救済”に対してどのようなスタンスをとるべきなのだろうか。“痛み”や“救済”を与える側に立つべきなのだろうか。それらをうける側に立つべきなのだろうか。それとも、そのどちらの側にも立たず、徹底的に観察者としての立場を貫くべきなのだろうか。難しい問題だ。しかし、宗教研究者だからといって、自分があたかも誰かを“救済”できると考えたり、“救済”しようと試みたりするのは、不遜で傲慢な態度ではないだろうか。

そのことを理解しない限り、今回のプログラムでは、沖縄での経験を共有したことにはならず、また、成功とはいえないと思う。

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2006年12月22日 (金)

慰霊ということ、追悼ということ。

「日韓宗教研究FORUM」の沖縄フィールドワーク第一日目。「速報」の意味で感想のみを記す。詳細は、のちほど。

ほとんどがいままでに数回訪れたところであったが、一緒に回るひとが変わると新しい発見もある。これまで意識的にさけてきた摩文仁の丘にものぼり、「黎明之塔」まで行った。国立墓園ではユタの祈祷を見学した。

わたしはこれまでの研究で「慰霊」とか「追悼」とかいうことをまともに採りあげてこなかった。そして、これからもそれらが自分の研究の中心的なテーマになることはないだろう。それでも重要な体験であった。

「慰霊」や「追悼」は宗教の基本的で最も重要な役割のうちのひとつだ。だからこそ、それを他の政治的軍事的目的で利用する者がいるということをわたしはこれまで追究してきたのだが、宗教がもっている「慰霊」や「追悼」、それに「救済」等の力がどんなものであったかに、わたしの研究は正対してきただろうか。遅ればせながら、それらを真摯に考えてみようと思った。もう一度………。

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2006年12月21日 (木)

沖縄に来ました。

「使用器財到着遅延」のため、予定より1時間近く遅れて那覇空港に到着した。関西空港は小雨が降るかふらないかの割とおだやかな天気で、途中までは地上の灯りも見えていた。しかし、沖縄に近づくにつれ天候は荒れ模様。何度か大きく揺れた。

飛行機からでると、ひんやりとした空気が流れてきた。これは、滅多にないことだ。やはり12月の沖縄は肌寒い。終電までにはまだ時間があったが、かなり激しい雨と風だったので、タクシーにした。

さて、行きの飛行機で以下の2つの論文を読んだ。

  (1)後宮敬爾「『美しい教団』へ?」
  (2)竹内富久恵「イエスはひ とりで十字架についた」

いずれも『福音と世界』(2007年1月号)掲載の「第35回日本キリスト教団総会報告」である。教団総会については、すでにここに掲載しているが、改めて出席者の報に接し、ふたたび思い気分になった。沖縄教区と教団との関係が問われている。そこにいまわたしは向かっている。今回は沖縄教区の方とじゅうぶん話す時間がない。

わたしは、どう行動すべきなのか。答えは出ない。しかし、会ってみようと思う。礼拝で。

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2006年12月19日 (火)

〔速報(でもないが…)〕沖縄に行きます。

この21日から沖縄に行きます。「日韓宗教研究FORUM」という研究会の「沖縄合同調査見学」に参加するためです。

この組織のことは以前から知っていたのですが、直接かかわるのはじめてです。今回の「合同調査見学」は、来年2007年8月19日~22日に金光教の本部がある岡山県浅口市金光町で開催される同FORUMの「4回国際学術大会」のためのものだそうです。

 この学術大会のテーマは「平和・いたみ・祈り ―日韓の宗教、文化に学ぶ―」というこことで、以下の4つのパネルが予定されているということです。
  1.シャーマニズムに関わって…
  2平和、いたみ、差別など…
  3
植民地主義、アジア主義など… 
  4
「宗教は人を救えるか」…
わたしは
3の「植民地主義、アジア主義」の発表を期待されているようですが、自分にできるんだかどうだか。ちょっと心配です。

さて、今回は個人の発表等はなく、単なる参加のみです。先日参加者名簿が送られてきました。韓国側から36名、日本側から33名の研究者が集まります。そのなかには、数人は顔見知りの研究者もいますが、ほとんどが初対面です。どんな出会いがあるのか楽しみです。

日程は21日(木)~24日(日)ですが、実質は22日、23日の二日間です。初日は斎場御嶽(「聖域の構造と歴史を知る」)や南部戦跡(「現代沖縄の追悼・慰霊の現場を歩く」)を回ります。二日目はうるま市にある「生天光神明宮」(「沖縄土着の宗教教団を理解する」)やあわせでユタの儀礼に見学(「民間巫者の儀礼を知る」)をします。また、「『痛み』の臨床と精神文化の諸相を知る」というトークセッションもあります。

普段自分がフィールドワークしているキリスト教の「現場(フィールド)」とは違うところを歩くので、とても楽しみです。きっと、沖縄のキリスト教・教会が伝道している地域社会の宗教状況がわかると思うのです。

さて、見学は24日の朝に終わるのですが、今年度にはいって一度も沖縄で調査らしい調査をしていないので、24日、25日は自分の調査に当てたいと思っています。それから、南国の沖縄で迎える初めてのクリスマス。いろんな意味で楽しみです。

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