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2007年5月12日 (土)

「日本基督教団における沖縄教会観の起源とその変遷」

わたしは、まれに見る遅筆です。呻吟、数ヶ月。というわけで、以下は拙稿のドラフトの「はじめに」の部分だけです。

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日本基督教団における沖縄教会観の起源とその変遷
一色 哲

はじめに
 「沖縄教会(1)」は日本基督教団(以下、日本教団(2))にとってのアポリア、すなわち、解決できない難問のひとつである。筆者は、これまでそれを意識して、戦後の沖縄キリスト教史の基礎的な文献史料を収集し、聞き取り調査を行ってきた。それは、この難問が解かれないでいるのは、日本教団の教職・信徒が沖縄教会や沖縄についてほとんど情報をもたないと考えたからである。また、筆者は、沖縄キリスト教史(3)が日本キリスト教史に内包されている限り、この難問の本質が解明されないと考えた。そこで、その両者の分離をし、沖縄キリスト教史の自律性を可能にする視座や方法論についても論じてきた(4)。
 本稿では、それらに加えて、この難問に対する新たなアプローチを提示する。筆者は、日本教団が沖縄教会や「沖縄問題」について論じる際に日本(5)にあるがゆえに宿命的に背負ってきた構造的思考にこの難問の起源を求める。換言すれば、現在に至る沖縄教会と日本教団との意思疎通と交流を妨げている要因を日本教団が戦後構築してきた沖縄教会観に求めて、そこからどのような問題が析出できるか。これが本稿の主たる問題意識である。そのために、一九四五年から七〇年代前半の間、日本教団が沖縄教会をどう見てきたか、そして、それをどのように表象してきたかを本稿で問う。
 さて、本稿で論じる問題の本質である日本教団が戦後形成してきた沖縄教会観の矛盾と破綻が凝縮して起きたあるできごとから記述をはじめたい。
 一九七一年八月一日から一二日にかけて、日本教団中部教区の桑名・尾張一宮の両教会が沖縄の八名の牧師・信徒を招いて研修会を開催した。その後、その研修会の責任者であった牧師は沖縄の教職や信徒から次のような「痛烈な批判(6)」を受ける。

君と君の教会は沖縄と取り組んでいるポーズをしているだけだ、われわれを教えに来るのか、桑名教会は──ちょうど自民党政府がまんまと沖縄を自己の体制の中に組み入れてしまったように──沖縄教区を組み入れようとしている、君が出席しては討議ができない(7)。

それぞれの教会の信徒が献金を集めて沖縄のキリスト者を「招待」して共同で研修会を開催するのは、決して「沖縄と取り組んでいるポーズをしているだけ」ではないはずだった。むしろ、その責任者たる「君」やその教会は積極的に「合同」後の沖縄教会や「復帰」後の沖縄にかかわっていこうとする姿勢を持っていた。にもかかわらず、「君」は沖縄教会から指弾と拒絶を受ける。一見理不尽に思える沖縄側の反応は、それまでに形成された日本教団の沖縄(教会)観と沖縄教会の日本教団に対するわだかまりの落差に起因する。つまり、沖縄と日本は「ひとつ」であり、沖縄教会は日本教団の「同じ」教団に所属するという意識は、共感や連帯の表明である場合もある。しかし、それと同時に、その意識が「日本という体系」への沖縄の否応のない包摂や、沖縄の独自性の解体と部分化を意味する(8)。互いに「ひとつ」であるという日本教団側の不用意で歴史的配慮を欠いた認識は、しばしば、沖縄教区との意思疎通に齟齬を来してきた。
 また、この「事件」から四〇年近い時間が経過した現在、日本教団と沖縄教会との関係は改善の兆しを見せないばかりか、日本教団内でのさまざまな対立の構図が沖縄教会内部に波及しつつある。このように沖日両教界に偏在する意思疎通の欠如は拡大し複雑化する様相を見せている一方で、不可視の部分も多くあり、未だにその全体像を把握することすら難しい。そのような問題群を一挙に解決する方法などあるはずもない。しかし、その端緒として問題を可視化するために本稿では以下の方法をとる。
 本稿では、日本教団で教職者・信徒にかかわらず広く読まれていたと思われる以下のメディアを調査の対象とした。まず、日本教団の機関誌(9)、次に日本のキリスト者に多く読まれていたと思われる『キリスト新聞(10)』、そして、内外のキリスト教界に関する論説を掲載してきた雑誌(11)の三種類である。これらに掲載された日本教団・教界の沖縄・沖縄教会に関する言説を時系列に並べて、日本教団の沖縄教会観の起源を探り、その変容をたどりつつ、それぞれの時期の特徴を析出した(12)。
 さて、次章ではこれからの分析のためにいくつかの分析視角を提示し、時期区分を行いたい。そして、日本教団の沖縄教会観の構造をあらかじめ提示する。

【註】

  1. 沖縄キリスト聯盟から沖縄キリスト教会、沖縄キリスト教団(一九六八年以降は日本基督教団沖縄教区)へと変遷してきた教団、および、その所属教会を指す。
  2. 本稿では一九六九年沖縄キリスト教団と日本基督教団との「合同」前の日本基督教団を指す。また、本稿の性質上「合同」後は日本基督教団沖縄教区を除くものとする。
  3. 筆者は、最終的には奄美諸島を含む琉球弧の一帯のキリスト教とその周辺地域との「キリスト教交流史」を構想している。
  4. 拙稿「戦後沖縄キリスト教史研究の方法と課題─地域教会形成とキリスト教交流史の試み─」(『キリスト教史学』第五九集、二〇〇五年七月)、また、拙稿「沖縄理解のための方法と課題─戦後沖縄キリスト教史から学んだこと─」(『福音と世界』第六〇巻一二号、二〇〇五年一二月)はその方法論的な一つの試みである。
  5. 本稿では、とくべつな断りのないかぎり、基本的に沖縄を含まないものとする。「日本人」も同じ。
  6. 原崎清「沖縄の拒絶にあって─第3回沖縄セミナー中止に関連して─」(『福音と世界』一九七二年五月号)二〇頁。
  7. 同右。
  8. 前掲拙稿「戦後沖縄キリスト教史研究の方法と課題」、また、同「沖縄理解のための方法と課題」参照のこと。
  9. 『日本基督教團教團新報』(二四九二号 (一九四四年六月一日)〜二六五〇号 (一九四九年四月二〇日))、『基督教新報』(二六五一号(一九四九年五月一日)〜三四五四号 (一九二五年四月))、『教団新報』(三四五五号 (一九六五年五月)〜)。
  10. 創刊号 (一九四六年四月二七日)〜。
  11. 『基督教文化』(創刊号 (一九四六年)〜六三号 (一九五二年))、『福音と時代』(一巻一号(一九四六年)〜七巻一号(一九五二年一・二月))、『福音と世界』(七巻二号(一九五二年四月)〜)。いずれも新教出版社刊。
  12. 本来であれば、これらの沖縄教会観・沖縄教会表象が日本教団の牧師・信徒のなかでどのように敷衍されたかについて議論する必要があるが、これは今後の課題としたい。

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