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2007年8月16日 (木)

終戦ではない「終戦の日」によせて

8月15日。1945.8.15。この日は本当は終戦の日ではないことは、既にここで言及した。したがって、きょうは、本当は、終戦の日ではない。しかし、年にたった一度でも戦争と平和について考えることは、意味がある。

NHKの番組で「憲法9条」について議論が交わされていた。それをまじめに見ていたわけではないのだが、いくつかおもしろい意見があった。例えば、最初の質問で改憲か護憲かを参加者に聞いたときに、「改憲」の札を上げていたひとが、その理由を次のように言った。自分はこの「9条」では不十分なので、この条項を変えて、絶対に軍隊をもてないようにするべきだと。政治的選択としてはどうかと思うが、その思いは悪くない。

それから、「9条」を変えて軍隊をもつ、あるいは、自衛隊を「自衛軍」としたと思っているひとの中には、完全に軍隊に幻想をもっている人たちが多いと思った。「軍隊は、わたしたち国民を、必ず、きっと、絶対に守ってくれるのだ」という奴である。しかし、軍隊は国民を守ったりはしない。どの国の軍隊でも、どの時代の軍隊でも。軍隊には、そもそも、その能力も意思もない。

なのに、次のような意見。覚えている範囲で、それを記述すると、「わたしたちは、有史以来はじめて国民の軍隊をもった。それまでは、「皇軍」で、国民の軍隊ではなかった。だから、先の大戦で軍隊が住民を守らなかったことを引き合いに出すことはおかしい。わたしたちは、自分たちの軍隊をもつことができたのだから、自衛隊を軍隊として認知すべきだ」と。

でも、真相は、違っている。これは、屁理屈のたぐいだ。それを証拠に、その大戦で海外各地で闘って戦死・戦病死した人たちの遺骨の大半は、まだその土地に置き去りにされている。そして、戦後、政府が行った遺骨収集は、決して積極的と評価できるものではなかった。その事業を沖縄や海外で、62年も経って、必死に行っている人たちは、政府や自衛隊を含む行政の人間ではなく、一般人である。つまり、戦後、民主的に成立した政府であっても、日本国民である兵士の骸を、見捨てて、決して顧みもせぬ者たちが、一般の国民を守るという意志を持たないことは明白であろう。原爆症の認定も然り。原爆のような大量殺戮兵器の人道に悖った使用を国際社会に告発もしていない。

軍隊は、決して、市民を、住民を助けることはない。戦場に置いて生き残るのは、結果的に、ほぼ偶然に助かるのみである。わたしたちを戦争から守ってくれるものがあるとしたら、それは、自らが戦争をしないという意思表示のみではないだろうか。

さて、62年前のきょう、この夜。市民たちは、戦闘の、空襲のないこの夜を、どう過ごしたのだろうか。それぞれの胸中に去来する者は、どんな思いだったのだろうか。そして、「明日」から続く未来を、どう見通していたのだろうか。

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 関西テレビの夕方の報道番組であるアンカーで、今日は終戦の日スペシャルとして「知 [続きを読む]

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