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2007年8月 6日 (月)

留学生と「8・6」

「8・6」。原爆忌。

広島に住んでいたとき見上げたこの日の空の蒼さと、夏雲のことを思い出す。黙祷の静寂とセミの声を思い出す。早暁に川辺に蹲る老人の悲しみを、この日に、ありったけの想像力で想像してみる。8月7日、祭りの後のような広島の街を思い出す。それからまた1年、この街は、忘れ去られるのだ。果てしなく続く、核実験。大国も、小国も、豊かな国も、貧しい国も、核武装をしたがっている。

さて、ここ数年留学生向けの授業(「ニホンゴ・ニホンジジョウ」とかいう)を担当していると毎年必ず、韓国の留学生と原爆の投下についての議論になる。

韓国から来た留学生は、大多数が、広島・長崎への米軍の原爆投下は「しかたがない」ものであるとし、そのおかげで自分たちが解放されたとは言わないが、それによって戦争が終わったと認識している。また、彼らは、原爆投下により日本上陸戦は行われなくなり、日本人にも、米軍にも、“無駄な”犠牲者が出なくて済んだとも認識している。

このような認識は、一般的な米国人のそれと“瓜二つ”。恐らく、原爆関連の知識は米国や韓国駐留の米軍から得ているのであろう。

そのような認識は、明らかに、事実とは異なっているのだが、やはり、韓国人の彼らもそれを“信じて”いるのだ。その彼らに、わたしは以下のことを話す。

米国は日本が既に降伏の条件闘争(「国体護持」)に入っており、幸福寸前であったことを充分察知した上で原爆を投下している。それよりも、むしろ、米国はソ連の動向を注視しており、日本がソ連の参戦で降伏したという「事実」を既成化したくないと考えていた。また、米国は既に“次”の戦争、即ち、その時点での同盟国であるソ連とのイデオロギーをめぐる戦争(=のちの冷戦)の準備に入っており、そのために原爆の破壊力を実践で試し、できうる限りの情報を収集することが目的であった。つまり、米国にとって、広島・長崎への原爆投下は、20万人の一般市民(そのなかには、朝鮮人もいたし、米国人もいたが)を犠牲にし、それ以後の被害者をも対象とした「実験」であった。

そして、広島で被爆した朝鮮人のこと、そして、戦後、それらの朝鮮人に対する原爆症治療のための渡日治療に尽力した広島の医師たちのことや朝鮮戦争でも原爆を使用しようとして解任されたマッカーサーのことなども話す。

それでも、韓国人留学生たちは、じゅうぶん納得したわけではない。そんな彼らにわたしは、次のように説明を続ける。

広島で核廃絶を願っている人たちは、自分たちのことを一方的な被害者とは決して思っていない。日中戦争から太平洋戦争に暴走した日本軍が朝鮮半島や大陸などでしたことも充分学んだ上で、自分たちの背負った加害性も理解している。

それから、百歩譲って、原爆投下が、韓国人留学生の認識と同じ意味を持っていたとしても、そこで起こった事実は倫理的に容認できる範囲であるのか、広島に行ってそれを見て、聞いて、感じてみるべきだと、わたしは続ける。皇軍の戦争の非道の応報として、植民地支配や侵略の応報として、原爆を一般市民の上空で炸裂させるということは、論理的にも整合性がないし、当時の道徳や倫理でも決して容認しがたいということを、わたしは、彼らに直に学んで欲しいと思っている。

これまでに、留学期間内で広島を訪れた留学生はいない。しかし、わたしが彼らの心に投じた一石は、時間はかかっても確実に波紋を広げていくと、わたしは信じている。それは、核廃絶に向かう被爆者たちの絶対的な「正しさ」を信じているから。また、それを踏みにじって、その非道をなお意識しない米国人が核を保持し続けていることが、絶対に「普成」であることを信じているからである。

ヒロシマ紀元63年が、またやってくる。

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