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2007年9月28日 (金)

軍隊とキリスト教

ある人のブログを見ていると、新防衛「大臣」の石破茂は、クリスチャンで、日本基督教団所属教会の教会員であるという。そこで、ちょっと調べてみた。(「ウィッキペディア」には正しいことが書かれているとは限らないので、注意、注意。─と、普段、学生には言っているのだが………。)

母方の曽祖父金森通倫から4代目のクリスチャンであり、日本基督教団鳥取教会に所属している。18歳のときに日本基督教団鳥取教会で洗礼を受けた石破は、幼稚園も教会附属で、「46年間、キリスト教に触れつつ信仰をもちながら生きてきた」と話した[5]

石破常七━━石破市造━━石破二朗
             ┃
             ┣━━━━石破茂
             ┃
金森通倫━━金森太郎━━和子

金森通倫は熊本バンドのメンバーで、同志社の草創に排出された日本組合基督教会の一人。『日本キリスト教歴史大事典』によると、鳥取教会の草創期には元良勇次郎、上代知新(カジロ・トヨヨシ)、デフォレストなど組合教会でも、岡山に関係の深い人物が多く名を連ねている。孤児の父として知られる石井十次や、家庭学校の創設者・留岡幸助らも鳥取教会の創設メンバーと交流をもっている。

金森は日本組合基督教会岡山教会の初代牧師。彼は、一時期教会を離れてていたこともあるが、のちに救世軍やホーリネス教会にも関係している日本キリスト教史の中でもユニークな人物である。通倫の子、石破の祖父、金森太郎は内務官僚でキリスト教徒。

さて、石破「大臣」が、キリスト教徒だから、わたしは、彼に期待している。というわけでは、決してない。むしろ、やっかいなことになったと思っている。そういえば、以前、このブログで採り上げた現防衛大学校長の五百籏頭真の父親・五百籏頭真治郎も熱心なカトリックだったということだから、その息子もキリスト教の影響を受けていないとはいえないだろう。

沖縄の、それも、米軍占領下の沖縄のキリスト教史を研究していると、実は、軍隊とキリスト教は、陰に陽に、表でも裏でも、しっかりと結びついているという実感をもっている。だから、キリスト教徒が防衛「相」になっても驚きはしない。沖縄でも、日本でも、教会のなかには「軍事オタク」もいれば、その他諸々の「オタク」もおり、自民党支持者もいれば共産党の支持者もいる。社会活動に熱心な人もいれば、教会内での政治活動は徹底的に嫌悪しつつ、「教会政治」「教団政治」には喜々として参加する輩もいる。それが、教会だ。だから、軍隊と結びつくキリスト教もありだし、平和の名のもとに戦争の僕(シモベ)になっていくキリスト教の存在も認めよう。わたしはそれらを批判し続けるだけだ。

さて、石破「大臣」が、四代目の「筋金入り(かどうかはわからんが)」のクリスチャンであることがなぜヤバイのか。理由は二つある。

(1)クリスチャンは、「召命」に弱い。「召命」というと多生誤解があるが、とにかく、石破が防衛「相」になったことを、神の召しだと感じていると、相当ヤバイ。これは、彼にとっては信仰の問題で、しかも、神の命令なのだから、恐らく、神以外の批判は受け入れないだろう。

(2)テロ特措法への反対は、「迫害」である。「自分は神の召命を受けてこの任に着き、正義を行おうとしている。しかし、世論や民主党をはじめとする野党はその正義を曲げようとしている。したがって、わたしは、このような迫害には決して負けず、おのれの信を通す」。と、石破が考えていたら相当ヤバイ。

とにかく、大半のクリスチャンはとてもまじめで、職務に忠実である。それは、天から神様が常に見ておられるから(「監視」だよ、コレ)。自分はクリスチャンであるけれども、その前に、人間であり、市民であり、父親であり、息子であり、教師であり………、というような選択があってもいいと、わたしは思っている。こうして、聖書やイエスの言動に忠実である自分と、それの背いているかも知れないけれど、でも、何とか生活している自分と、うまく折り合いをつけながら、洗礼を受ける前よりも、受けた後のほうが、よりましな生き方をする。そんな選択肢を、イエスは、決して許さないとは、決して思われない。

にもかかわらず、過剰に(コレは、主観的表現です)神からの召命を意識し、それに忠実たらんとして生活を破綻させたり、地獄までの道を舗装する天使になったりする。このような一種の選民意識に基づいたまじめな信仰が、これまで、時代を戦争へと導いてきたのではなかろうか。こういうレッテル張りはよくないと思うが、敢えて、問題の所在をハッキリさせるために書くと、「福音派」や何代目かのクリスチャンにはそのような信仰をもった人が多いのではないだろうか。

石破防衛「相」が、四代目のクリスチャンで、しかも、金森通倫の子孫であることを知って、いくつか腑に落ちることがあったが、大切なのは、信仰をもつことではなくて、どのような信仰をもつかである。そのことを痛感している。だから、わたしは、これまでも、そして、これからも、キリスト教の“あら探し”をやめない。

キリスト教には、これからもひたすらに平和を希求する宗教であって欲しい。そのために、過去に、現在に、この宗教がどれだけ、戦争に荷担し、軍隊に浸透し、平和の名のもとで平和を破壊してきたかを、本当に知りたいと思っている。

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