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2007年12月26日 (水)

「兼次伝道所 週報」

前の記事に引き続いて、西原町立図書館のこと。

ここにきたのは、前日にインターネットで蔵書検索して『日本キリスト教団 兼次伝道所 週報 第1集』(村上仁賢資料刊行会、1998年、以下『兼次伝道所 週報』)を是非みたいと思ったからである。

兼次伝道所は沖縄島北部の今帰仁村にある。2004年に花城静子牧師が就任している。北部の村にある教会の週報(※)が西原町(沖縄島では中部管区)の図書館にあるのか不明だが、沖縄の公立図書館にはここしかない。それから、この史料は、同図書館の「新川明文庫」に所収されている。

※ キリスト教会では毎週の礼拝で礼拝の式次第や一週間の予定、教会員の動静、前週の説教の要約、牧師のコラムなどを印刷して配っている。それを週報という。

兼次教会については、沖縄キリスト教協議会『沖縄キリスト教史料』(いのちのことば社、1972年)に、以下のような簡単な記述がある(同書、pp60)。

  一九四七年
 兼次教会が生まれるまで
 兼次教会は、当時文化部長であった当山正堅氏のすすめで、まず島袋昌子氏の音頭取りで、婦人会が集まり出発したものといってよい。戦前、やはり当山、島袋氏が中心になって、未亡人会とか銃後の婦人会を組織して、授産活動などをしていたが、終戦となり、それが一応用がなくなったと思われた時、再び、今度はキリスト教の伝道の下に集められることになったのである。集会場所は、島袋姉が住んでいた家の納屋などを使用した。説教は、当山氏やその他の人びとが巡回した。

その他にも、兼次伝道所(兼次教会)の記述は散見されるものの、沖縄の教会ではあまり重要視されていないよう見える。その兼次伝道所に、米軍占領下の1962年3月末に村上仁賢牧師が、本土から赴任する。村上氏は、のちに、「日本と沖縄の教会」(日本基督教団沖縄教区『27度線の南から─沖縄キリスト者の証言─』日本基督教団出版局、1971年、pp.252-270)を著している。それによると、村上氏の夫人の実家が西原村(現西原町)にあるという。そして、沖縄への赴任は沖縄の友人の薦めであって、自らのことを、「社会のことも政治の問題にも関心のない、一般的平均的日本人キリスト者」であると繰り返し述べている。この村上氏のエッセイをよむと、占領下沖縄の北部・農村に赴任した本土出身の牧師が、次第に沖縄の現実に直面して、「特殊的希少的日本人キリスト者」に変貌を遂げていく様がわかる。

わたしがきょう見た『兼次伝道所 週報』は、1962年から68年のものがつづられている。毎号1ページ。そして、ほとんど毎号、「想雲」と題して村上仁賢牧師のコメントが載せられている。その「想雲」を読むと、ベトナム戦争が激化し、占領下の沖縄の駐留米軍の性格が変貌し、東西冷戦の最前線となるなか、日本本土からやってきた日本人牧師がその時々に感じたことやその思索の変化の一端が垣間見る。

まだ詳しくそれを分析したものではないが、

キリスト教団。というものは信仰とは余り関係ありません。なぜなら王や政治家の信仰がそのまま自分の信仰ではないからです。米国や英国と同様ソ連や中共でも教会は世と戦っています(1964年10月18日)。

(前略)トレーラー落下事件〔※ここを参照=引用者〕でもベトナム戦争でも可愛そうなとか恐ろしいこととかが基準になるから身近になければ放置する。アメリカに対しても支配者と被支配者の姿勢しかない。したがって卑屈な態度しか生まれない。民主主義に主従はない(1965年6月20日)。

主のためにいるの信者は多い。教会のためにいるの信者も多い。しかし、現実の、この沖縄の為に祈る信者は何人あるか。というのは聖書の信仰によれば祈りは行動を伴うのであり換言すれば行動がないのは祈りのない証拠ともいえるのだ。沖縄のために戦後キリスト者は何をしたか。どのような発言と実践をしてきたか。現実にはキリスト者は現実肯定主義者か、逃避主義者か、無責任主義者ではないか。キリスト者の生き方がどう変わったか。それが見たいのだ(1966年1月16日)。

等々、いろいろあるが、いずれも単純に評価することが難しい発言である。村上仁賢牧師のこの関わり方には、日本本土出身の牧師として可能性もあり、限界もある。彼は彼なりに、沖縄の現状と対峙し、沖縄の教会に関わってきた。

日本基督教団議長の名において公開された『…告白』を、われわれ兼次教会一同は同じく日本人キリスト者であることの自覚にもとづき、心からこれに同意し、アーメンを唱和するものである。日本基督教団と当教団との合同についての日程が組まれ、すでにその行動が開始された今日、われわれ沖縄に住む日本人キリスト者もまた、右の告白をすり抜けては、自覚的、主体的な合同は、なし得ないと信じ、ここに役員会の名において、共に責任を負うものであることを表明する。

これは、「時のことば 『告白』に同意する」として、『教団新報』(1967年5月20日)に公表された村上仁賢牧師の言葉である。「同じく日本人キリスト者であることの自覚にもとづき」という発言をどう捕らえるか。やはり難しい問題である。

沖縄の教会には、それぞれに立場で、違った発言をし、行動をする信徒・牧師たちがいる。そして、それぞれのかたちで地域社会とかかわりをもち、日本国家や米軍と向き合いながら建てられている教会がある。わたしの仕事はこのようなさまざまな亀裂や断裂を見つけ出し、それを丁寧につなげていくことである。道のりは遠い。しかし、こうして足を使っての史料を集め、残された声に、これからも耳を澄ましていこうと思う。

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