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2007年3月25日 - 2007年3月31日

2007年3月31日 (土)

「集団自決(集団死)」は強制か〜証言者の声に耳を傾けよ〜

Book 「集団自決」を心に刻んで―沖縄キリスト者の絶望からの精神史

著者:金城 重明
販売元:高文研
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その時代を生きていた人が鬼籍に入っていくのをいいことに、次々と真実をねじ曲げようとする者がいる。しかも、姑息な手段を使って、である。微妙に表現を変えながら、いつの間にかそれを既成事実にしていこうとしている。

住民を守るといいながら、結局のところ、己のみおめおめと生き延び、住民を見殺しにした。それだけで、軍人として恥じいるべきであろう。──そう、わたしが考えているのは、軍人は道徳的倫理的存在であるという単なる先入観のなせる業である。軍人に道徳や倫理、節操を期待してはならない。そんなものは、ハナからないのである。それを証拠に、沖縄・慶良間諸島の守備隊の責任者は戦後生き延びて、自らの名誉を守ることに汲々としてきた。
(※「軍人のなかには例外的な存在もある」というような中途半端な留保はこの際つけないことにする。)

もうそのような者のことはどうでもいい。いずれ、天罰が下るであろう。また、教科書にどのような「捏造」がなされようと、わたしたちは恐れはしない。元来、「正史」とはそのように恥知らずの歴史でもある。

むろん、それらをひとつひとつ糾していくことは重要なことではある。が、それ以上に、証言者の証言をできるだけたくさん集めることである。そして、その人たちが戦後どのように生きてきたかを顕彰していくことである。

恥知らずにも、おめおめと生き延び、生き恥をさらしてでも、自らの名誉のみに固執し続けるもの戦後の人生。その哀れな生き様と、絶望の淵にたちながら、生き続け、なお、発言し続ける人の人生の輝きを比べてみればいいと思う。軍人・元軍人は戦争が終わっても、なお、民間人をまもらない。国家の過ちを隠蔽することで自らの名誉を軍や国家のそれに「偽装」して守ろうとしているだけだ。それに引き替え、自ら愛する肉親の命を奪った「罪」を告白しながら、その贖罪のために生き抜いた人の日々の崇高さ。

答えは、歴史が、自ずから出してくれると、わたしは信じている。

 

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2007年3月30日 (金)

満開の桜をあとにして。

釜山での3日間が終わった。釜山はわたしの住んでいる神戸よりも北にある(神戸は大体北緯34度41分あたり。釜山は北緯35度近辺)。しかし、市内の至る所に桜(ソメイヨシノが中心)が咲き乱れていた。ことに訪問した釜山外国語大学校は桜の多い大学で、キャンパスが桜色になっていて、早いものは散り初めていた。

こうして、実り多い、思いで多い訪問を終えた関西空港は、まだ、肌寒くもあった。桜はまだ3分咲といったところ。まだ、まだ、これからである。

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2007年3月29日 (木)

防塁の上に立つ

※ いろいろリサーチ不足なのですが、とりあえず見聞きしたことを覚書として書きます。記載の事項に誤りがあれば、訂正をお願いします。また、自分で気がついた誤りは適宜訂正いたしますので、真偽を確かめないままの転載はご遠慮ください。

………………………………………………………………………………

仕事で訪問した釜山外国語大学は、もともと秀吉の朝鮮侵攻の際、加藤清正が城を構えたところだと、日本語大学(韓国の「大学」は日本の「学部」にあたる)の教員が教えて下さいました。ちょうど折から桜が満開で、新学期(韓国の新学期は3月から)の活気がみちたキャンパスからは、すぐ近くに釜山港が見下ろせます。なるほど、要害の地です。

このほか、釜山周辺にはこの戦闘に利用された両軍の砦跡が残っているようです。そのうち秀吉軍のものは「倭城」と呼ばれているそうです。

午後から見学した釜山外国語大学校の新キャンパス予定地は釜山大学校近くの東莱(동래)は秀吉軍侵攻時の激戦地だそうです。ちなみに釜山外大は金井山城(금정산성)近くの48万坪に新キャンパスを建設とのこと。

その他、植民地時代のものも含めて、釜山にはいろいろな意味で日本との因縁浅からぬ場所等がありました。かってこの国を攻めたとき築かれた防塁に、いまは世界各国から学生が集いこの国のことばと文化を学んでいます。わたしの大学の学生もお世話になっています。そして、わたしはここにさらなる有効の絆を深めるためにやってきたことを実感しました。

こうして、ひとつひとつの出会いを通して、この国を身近に感じ、興味が深まりつつあります。

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黄砂の街に、降りたって

フィールドワーカーを自称する筆者は、実は「国外」(「海外」の方が、曖昧で都合がいいが………)にほとんど出たことがありません。いままでに、わずか2度。1981年3月(中国:北京、西安、延安、上海等)、2004年9月(香港・澳門)。そして今回初めて韓国に降り立ちました。

初めての韓国は黄砂に霞む釜山から出発です。といっても、今回は釜山のみであさって帰ります。

釜山が近づき、飛行機が降下しはじめるとやがて広大なコンテナバースやクレーンが林立する港が見え、やがて、山の中腹まで迫り立った数十階のマンション群はかつてみた香港の風景を思い出させました。滑走路の間際にはビニールハウスや屑鉄置き場のような場所が見えました。いろいろな意味で、活気ある街への期待が高まりました。

そして、飛行機は金海国際空港に着陸したのですが、滑走路を走っているわずかのあいだに3機の迷彩を施した軍用輸送機が飛び立ち、滑走路の脇では軍用ヘリがローターを回して待機していました。平時にあってのこのありように、この国の厳しい現実を認識しました。

空港から街中に入っていくと、ちょうど釜山では桜の花が満開近く。なかにわ散り初めの樹もあり。至る所に桜の花を見つけました。そして、予想していたことですが、教会がとても多く、そのどれもが大きいのには驚きました。

一旦ホテルでチェックインをすませ、また、市中に出ると、今度は釜山港の近くで10メートルおきに配置された警官を目撃しました。そして、米軍の軍用車両が街中を走っているのを目撃しました。その米軍車両にはナンバープレートがありません。運転をしている方にその理由を聞くと、「米軍は基地のなかは大韓民国ではなく外国であると言っている。その外国を走るのだから大韓民国のナンバープレートは必要ないのだと。しかし、ここは大韓民国のはずなのだが、彼らは傲慢にもここも外国だと思っているらしい」とのこと。

どっかで聞いた話ではある。というか、沖縄と似ているではないか。空港の軍用機も、然り。そんなことを釜山の第一印象として感じていたのだが、もちろんそんなことは、「釜山の第一印象はどうでしたか」と笑顔で、次々聞いてくる初対面の訪問先の方々に言うことができなかった。

いまは、遠い先のことだろうけど、こうして沖縄で紡いできたことが、韓国の現実や歴史と切り結ぶとができたらと、密かに思った一日であった。

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