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2007年5月13日 - 2007年5月19日

2007年5月17日 (木)

「5・15」~この日について語ること。今を語ること。これからを語ること。~

35年目の5月15日がやってきた。あの日、わたしは小学5年生。四国の小都市の小学校では午後から学校は休みになった。そのことだけは覚えている。そして、その前の沖縄国家での「大人の世界」の混乱も、何となくだが覚えているような、でも、「あとからの記憶」のような、あいまいな状態である。

さて、今年も学生達に聞いてみた。きのうの大学院の講義と学部の講義で。きょう、5月15日はなんの日だと。毎年のことだが、この日がなんの日か知っている学生はほとんどいなかった。聞いている学生のほとんどは1980年代後半生まれの学生。学部の講義はちょうど「琉球処分」のことを話す予定だった。この「本土復帰(日本では、「沖縄返還」)」と「琉球処分」はつながりがあることだということも話をした。

それから、あるMLから手に入れた今年5月11日の『沖縄タイムス』の記事『琉球新報』の記事にあった沖縄近海への海上自衛艦派遣について政府の意図やその意味、沖縄のおかれている現状や辺野古のことを話した。

宜野湾市の普天間基地や沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故(2004年8月13日金曜日。しかし、このこと自体やその後のできごとを考えると「事件」だと思う)をした。そして、その市街地にある米軍基地をジュゴンの生息地である辺野古崎沖に移転することになった経緯を簡単に話をした。学生たちは静かに聞いている。

そして、そこではもう3年以上座り込みが行われている。ここには地元の基地移転反対派の住民(その多くは老人たちである)、そして、沖縄各地や本土から若者たちが支援に集まっている。中には、聞いている学生と同年代の者たちが座り込みをしたり、海上にカヌーやボートで出て「阻止行動」をつづけている。

そこに、海上自衛隊の掃海母艦、つまり海軍=軍隊の艦船が武装して(新聞紙上には「ゴムボートやボンベが積載されている」(前掲『沖縄タイムス』の記事)ときされているが、要するにそれ以外は通常の装備だということだ。つまり、武装しているということ)沖縄・辺野古で政府の政策に反対して抗議行動をしている人たちに近くに派遣されている。その意味を、学生たちに考えて欲しかった。

大学院では、「そんな理不尽なことが行われるのであれば、沖縄の住民が一致団結して反対行動が盛り上がるのではないか」という意見が出た。私自身も、心情的にいえば、そうあって欲しい。しかし、恐らくそうはいかないであろう。

自衛艦を今回派遣するに当たりどれぐらいの費用がかかっているのか、正確なところはわからない。しかし、帰還にもよるが数千万円から億単位の費用がかかっているに違いない。それだけ、コストをかけて政府がすることは、単純に反対派住民や本土からの応援の人々を実力で排除することではないと思う。むしろ、メディアやインターネットを通して全世界に、自衛隊が自国の国民に実力を行使する姿を見せた時点で、政府や防衛「省」、自衛隊のこんかいの“作戦”はほぼ心配したと言えるのではないかと思う。

また、政府や沖縄県、防衛当局は辺野古の反対派の“実力”についてそれほど評価していないのではないか。辺野古にいる人びとの発信やその支援者たちの発信を見ていると、今にも海自が実力排除に乗り出さんばかりのことを書かれているが、それは、自己の力を過大評価しているのではないかと思う。だからといって、彼ら/彼女らのやっていることは些細なことで、意味のあまりないことであるとわたしが思っているわけでは、決してない。しかし、現実は、この通りだと思う。それは、他の県民や国民がその人たちがやっていることを知り、その共感がひろがったときにこそ、国家にとって無視できない力になるのではないかと思う。

さて、政府は何をねらっているのだろう。防衛「大臣」は実際に海自の隊員が調査に直接協力することはないだろうが、将来のことはわからないというような曖昧な言い方をしている。そう、神経戦はもうはじまっているのだ。大体、軍の指揮者が作戦の詳細についてメディアに話したりはしないだろう。新聞に載っている情報も、きっと当局が意図的にリークしたものに違いない。つまり、実際に実力を行使しなくても、その存在があるだけで、最大の効果を上げることが軍隊の使命ではないかと思う。そう考えると、県知事が表明している「不快感」も名護市長のコメントにある「慎重」を記すことへの要望も、別の意味で読み込まなければならないと思う。

さて、昨秋の沖縄県知事選挙も今春の参議院補選も自・公の推す候補が2連勝しており、普天間基地の辺野古移転に反対する候補は選挙に敗れているという現実がある。また、名護市でも、そうである。

そんな状況を考え合わせていくと、安倍政権は「ボンベやボート」を装備した海自艦を辺野古近くに派遣することでまず講義する人たちの集団の分断や弱体化をねらっているのだろう。しかし、それだけではない。海自艦を派遣し、知事や市長に懸念や不快感を語らせることで、沖縄県民の不安感を煽る。そのことで、沖縄県民自身が自他の収拾に向かうようにし向ける。そうすると、抗議する人びとを排除するのは政府や警察、軍隊ではなく、沖縄県民自身ということになる。そうすることで、政府は普天間基地の辺野古移転は沖縄県や地元住民の意思であるという「虚構」を正当化しようとしているのではなかろうか。

今、辺野古で座り込みをつづけている人たちは、辺野古へ結集することを呼びかけている。しかし、それでいいのか。このニュースを聞いたとき思い出したのは、ふたつのことである。ひとつは、日清戦争の時の「黄色(チイル)軍艦」。もうひとつは、「琉球処分」をめぐる「頑固党」の人びとのことだ(「小説 琉球処分」参照)。

「頑固党」を辺野古の抗議する人びとになぞらえているのではない。当時とは状況が違うし、思想や行動様式も違っている。しかし、最終的に、沖縄に生活する人々の支持や共感を得なければ、「頑固党」の人たちが明治政府の沖縄「近代化(ただし、本土並みのそれではない。どちらかというと植民地における「近代化」に似ている)」への誘導と同化政策の前に霧消していった教訓を、学ばなければならないのではなかろうか。

本土にいて、しかも、座り込まないわたしが、そんなことをいう資格はないのは、承知している。しかし、辺野古へ結集し力と力の対決に持ち込むことも重要だろうが、辺野古地区の人、名護市民、そして、沖縄県民に対して、どうするかを考えるときに来ていると思う。そして、そこに座った人たちは、必ず、そのことばをもっていると信じている。

さて、わたしは、きのう、きょうと話をしたように、わたしの声の届く範囲で、明日も話をしたいと思う。沖縄の明日、わたしたちの明日、そして、世界の明日について。生むことなく、ねばり強く、何度もいろんなことばと論理で言い換えて。

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