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2007年6月17日 - 2007年6月23日

2007年6月23日 (土)

戦争はいつ終わったのか〜6月23日、沖縄戦「慰霊の日」によせて〜

戦争は、いつ終わったか。これに答えるのは、どの戦争でも、実は難しいことである。

きょう、6月23日は、沖縄では「慰霊の日」である。この日は、沖縄戦の終結の日とされているが、それは、1945年6月22日、牛島満沖縄守備軍司令官と長勇参謀長が沖縄南部摩文仁(現糸満市)の司令部壕で「自決」し(沖縄“守備”軍による組織的抵抗の終了)、翌日、日本本土の大本営が沖縄戦の終結を宣言した日である。しかし、牛島司令官は「爾後各部隊ハ各局地ニオケル生存者ノ上級者コレヲ指揮シ最後マデ敢闘シ悠久ノ大義ニ生クベシ」問最後の命令を発して「自決」したため、その後も戦闘は続いき、それによる犠牲者は増え続けた。

つまり、戦争はまだ終わっていなかったのだ。あるいは、同年4月の早い時点で米軍の捕虜になった人びとは、その時点で個人的には「終戦」を迎えていたのである。しかし、それは単に戦闘の恐怖から一時的に解放されたというだけのことで、完全なる平和のが実現したということでは、決してなかった。

さて、沖縄にとって1945年8月15日は「終戦」を意味しないことは、すでにここで述べた。が、最近読んだ論考(立花隆「私の護憲論─安倍改憲政権に異議あり─」『月刊 現代』2007年7月号)にはこうある。

 

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 八月十五日が終戦記念日だと思っているのは、世界中で日本人だけです。日本人以外のひとが終戦記念日にしているのは九月二日です(p30)。

9月2日とは、戦艦ミズーリ号上で日本が降伏文書に署名した日だ。8月15日に「玉音放送」により日本国内に「終戦」が伝達されたが、前線の兵士には当然のことながらその命令がしれることがなかった。そのため、前線にいた兵士に「終戦」を知らせるため必要な日数がとられた。その結果が、9月2日の降伏文書の調印になったという具合だ。また、立花氏によると同日天皇から最終的な戦闘行為停止の詔勅が出たという(p31)。

因みに、8月15日は、中国では「抗日戦争勝利記念日」、韓国では「光復節」となっているが、連合国では9月2日が対日戦争勝利記念日(VJ-Day)となっていて、ソ連(現ロシア)が9月4日がその日である。そう考えると、琉球列島守備軍が 、米軍司令部で降伏文書に調印したのが、9月7日であったのもそうした流れの一環であったろう。

さて、安倍政権下で文部科学省の一部の官僚が投げかけた「集団自決」論争で例年になく騒々しい沖縄戦「慰霊の日」を迎えたわけだが、その歴史の「偽造」について考えるうちに、自らもとらわれていた歴史の思いこみについて思いをはせてみた。

人間はいつか区切りをつけて過去と訣別しなければならない。そして、その訣別と同時に追憶がはじまる。一年に一度、その日を記念日として追憶・追悼をくり返すことで、その日、または、その日までにあったできごとを忘れないよう上手に忘れていくのであろう。

しかし、その日が見あたらないこともある。沖縄戦に関しては、いつそれが終わったのかが、それを追悼するひとにとって定かではない。いつそれを追悼すればいいか。その日は、それぞれの住民・遺族にとってさまざまである。

そして、今ひとつ。沖縄戦の「終結」は単に住民を巻き込んだ日本軍と米軍との戦闘の「終結」に過ぎない。それぞれの「その日」の後、間をおかず、米軍の占領統治がはじまる。これは、なるほど、戦争ではなかったが、軍事占領であり、日米共同での植民地化にほかならなかった。そして、朝鮮戦争、ベトナム戦争と他国の戦争と常につながった日々であった。それほど、戦争と戦争の類似的事象と隣り合わせの日々であった。そこで起こったさまざまな事件、事故は、1972年5月15日の「本土復帰」の日に清算されたわけではない。その清算されないという事実が、今日まで続いており、それがいつ終わるのか、全くのところめどが立っていない。

戦争はいつ終わったのか。それは、単純でありながら、考えれば考えるほど、解答不能の問でもある。

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2007年6月22日 (金)

痴漢と憲法

痴漢と憲法─、はどうにも据わりの悪いことばである。

だいぶ前5月6日(2月19日の再放送)のNHK「焼け跡から生まれた憲法草案」はいい番組でした。「憲法は、戦後GHQによって押しつけられたもので、よって、それを改正して、自主憲法を制定しなければならない」という、ことが虚構でることは、さまざまな観点からすでに証明済み。だから、改めてこの番組でそれを知ったというわけではないのだが、それにしても、こうして具体的な事実がもう一つ積み重ねられ、それが全国的に報道され、多くのひとがその番組を見て、憲法についていろいろなことを考えるきっかけに、改めてなったという意義は大きい。

例の「従軍慰安婦」の番組改編問題からNHKを見限っていたのが、この番組を放送したNHKを少し見直した。そして、この番組をつくったディレクターを中心としたスタッフが、問題に真摯にとり組み、事実を根気よく追究してきた姿勢が見られる。

ところが、このところ、その番組のディレクター・山口智也氏をめぐって、気になるニュースがネットのあいだを飛び交っている。

例えば、「反戦な家づくり」というブログの「『焼け跡から生まれた憲法草案』のディレクターが逮捕さる!」では、その山口氏が6月1日に都内で痴漢容疑で逮捕されたというのである。最近、NHKではこのての事件が多かったので、この報道を聞いたとき、「またか」という認識しかなかった。しかし、その「犯人」が山口氏であったということになると、他の疑念が生まれてくる。

もちろん、痴漢は許されない犯罪で、もしこれが事実であるとしたら、「あの番組はこんな人間が実はつくったのだ」ということになるだろう。そのような人間を作品だけで評価し、免罪するつもりはさらさら無い。しかし、ネット上を飛び交っているのは、山口氏が謀略にはめられたということである。その「仮説」の詳細は先述の「反戦な家づくり」に詳細に紹介されている。

普段は、謀略史観など好みではないのだが、そんなこともあり得るかなぁとおもってしまった。事態の推移が今後どうなるのか、注視しなければならない。

と、書いたが………。次にねらわれるのは、NHKでは6月21日、「クローズアップ現代」で放送された「“集団自決”62年目の証言〜沖縄からの報告〜」のディレクターか、キャスターの国谷裕子氏ではなかろうか、と、ふと思ったりする。

気がつけばそんな時代に………。これが、自分の生きている“今”、行われているかもしれない、そこはかとした恐怖を感じてしまうできごとであった。でも、まだ、引き返すことはできるだろう。そう心に記して、見て、行動するしかない。

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わたしたちは、ことばで生きている。

東京のある研究会でのこと。政治思想史を専攻している同年代の研究者が、食事のかなにかの時の雑談で、「だって、わたしたちは、ことばで生きているんでしょう」といった。どういう文脈でその話が出て来たのかは、すでに忘れているくらいのことだったのだが、このことばは、とても印象に残っている。

以前から思想史や哲学、現代思想の研究者の発言について、どうもしっくり来ないものを感じていた。何が大事で、何にこだわっているのかが、わたしと微妙にずれているのだ。その原因が、このことばで、わかったような気がした。

たしかに、わたしは研究者であり(つまり論文を書いて生活している)、大学教員である(大学で、ことばで、講義をして、生活している)から、「ことばで生きている」といわれればそうなのだ。しかし、それと同時に、歴史の研究者であるわたしは、ことばではなく、“行為と存在”で生きているのだ。

先哲が、どれだけ、また、どんな思索をしたか。思想系、哲学系の研究者は、それを重視する。しかし、歴史系の研究者は、どんなにすぐれた思索や思想も、実際に機能しなければ、評価しようがないと考える。それは、それらの思索や思想に意味がないといっているのではないのだが。また、思想や理論というものは、そもそも、実際の歴史過程ではそのままに機能することはない。それを実践する為政者、政治家、官僚、また、宗教家や信徒、農民、商人、庶民、民衆によって、それらの思想や理論が採用され受容される過程で、変質していくのだ。

このように、同じ問題にとり組んでいても、思考方法がまったく異なる者がいる。だからこそ、そうした研究者が、互いにうまくコミュニケーションをとりながら、研究をすることは、学問とその実践の新たなフィールドを開拓することになるのではないか。そして、その場に身を置いて、自分の腕試しをする、いわば「他流試合」こそ、学際研究の醍醐味である。

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