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2007年1月17日 (水)

忘れてしまいたいこと、聞いてほしいことと~12年目の「1.17」によせて~

いまだに、阪神大震災という言葉を聞いただけで動悸がして、涙が溢れてくる。震災とその後の出来事はわたしにとって忘れてしまいたいことであるが、同時にだれかに無性に聞いて欲しくなることでもある。

あの日、わたしは大阪府下T市のアパートで、小舟に乗ってゆっくりと、しかし強く流されるような夢を見ていた。そして、夢だと思ったのに、その流れが急カーブを切ったとき目が覚めた。

1995年1月17日は火曜日。直後の聖日礼拝で、わたしはT教会で礼拝の司式をした。司式者の祈祷で何を祈ったのか詳しく覚えていなが、神様に必死に訴えたことだけは微かに覚えている。その礼拝後、T教会ではかねてから予定されていた特別伝道集会が粛々と行われた。しかし、教会事務室では副牧師と青年会の数人がその時点で不明の教会員・求道者の安否を必死に確認していた。その震災後の教会の風景にわたしは強い違和感を覚えていた。また、T教会では社会委員会や青年会を中心に教会で毎月一定の額を継続的に集め、被災地に送る活動がはじまった。わたしたちはその募金が教会に関係なく被災地の必要なひとに届けられるものだと理解していたが、いつの間にかT教会の被災者のみに配られることになってしまっていた。

キリスト教は常に隣人とは誰かを厳しく問うてきた。しかし、震災後、「隣人」をめぐって教会内にはさまざまな亀裂が生じた。その亀裂は地域社会と教会の間にも生じ、やがて、わたしの信仰の中にも生じた。ごく一部の方々の奮闘を除いて、教会は、特に比較的被害の軽かった被災地周辺地域の諸教会は震災とその後の事態に対してほとんど無力であった。そのことだけは、歴史に明記しておきたいと思う。

さて、その他にもいくつも嫌なことがあった。そのたびに、教会に対するわたしの失望はいよいよ深くなった。わたしは、キリスト教の信仰を失ったのだ。と、その時感じていた。しばらくの苦悶の時を経て、わたしの足は遂に教会から遠のいてしまった。そんな鬱々たる日々を送っていたある日、わたしは以前読んだ『近代日本と神戸教会』のことをふと思い出した。そして、なお数週間の迷った末、1995年12月31日、神戸教会の礼拝にはじめて出席した。

その時点で、わたしの中にはある想いが確信となりはじめていた。「被災者や被災地のためにわたしができることはあまりない。しかし、神戸の教会に連なることで神戸ともにありたい」。その後、翌年4月神戸教会転入会。さらに97年3月神戸市東灘区に転居。ただ、わたしは震災のときもその後の自体が進行中である今日も、ほんとうに何もしていない。ただ、神戸と寄り添い、震災後の神戸や阪神間の移り変わりを見つめてきただけだ。そんなことしかできなかったが、それでも、それだけはできたのだと思っている。

ところで、震災に関する記述はいまだにそれぞれの個人的体験の集積の域を出ていない。一年に一度1月17日に繰り返される報道の中で語られるできごとは、それぞれがとても貴重なものであっても、震災の全体像を論理的にのべたものではなく、あくまでも自分や自分の周囲に起こったことを思い起こし、言語化したに過ぎない場合が大半である。したがって、体験者以外の人々にとって、それらは非論理的で、断片的な体験の羅列と感じられたかもしれない。しかし、震災時のその周縁にいたわたしは自分の似たような体験と重ね合わせて共感したり、忘れたい記憶を苦々しく思い起こしたり、欠けたピースを見つけたようにその断片を水からの記憶に加えたり、現状を見ながらそれを照らし合わせるなどして、それぞれに証言を理解することができる。

震災から12年。体験者と非体験者の記憶の格差と印象の落差はどんどん開いているのではないか。思い出したくないできごとはひとときでも忘れていたいと思う。しかし、だれかに聞いてもらわないと救われない。黙っていたら伝わらない。でも、話しはじめると気持ちをうまく伝えることができない。そんなもどかしさを、この12年のあいだ、ずっと、わたしは感じていた。

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