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2007年8月26日 - 2007年9月1日

2007年8月30日 (木)

何のために、わたしは、この道を行くのか。

公文書館での史料収集を終え、夕方、西原町に向かった。沖縄教区のY牧師とO牧師にお会いするためだ。

Y牧師は、先日刊行された拙稿「日本基督教団における沖縄教会観の起源とその変遷」 のなかに登場する人物である。そのご当人から、拙稿に対する批評を頂いた。そのなかで、一つ、わたしが誤解していたところがある。それは、Y牧師が1966年8月、日本キリスト教団の主催で開催された「第十七回夏季教師講習会」で沖縄教会の代表として出席した経緯だ(こう書くと、Y牧師が何方なのか関係者にはわかってしまうが)。

わたしは、「比嘉盛仁・沖縄キリスト教団理事長」の代わりにこの講習会に出席したと書いた。Y牧師にご指摘頂いたのは、まず、当時は沖縄キリスト教団の代表は「理事長」ではなく、「議長」であったこと。確かに、沖縄キリスト教団は、1962年の総会で「教憲教規」を制定し、宗教法人規則を一部変更した。その際、「理事長」は「議長」と改称されている。

そして、今ひとつは、Y牧師が代理で出席したのは比嘉盛仁・沖縄キリスト教団議長ではなく、比嘉盛二郎・同副議長の代わりであったことである。

これは、確かに重大な事実の誤認である。いつか拙稿を別のかたちで交換する際に訂正しなければいけないが、取り急ぎここに記しておきたいと思う。

さて、久しぶりにお会いしたY牧師もO牧師もお元気で、現在の沖縄教区のこと、日本キリスト教団のことなど、たくさんお話しをして頂いた。こうして、戦後、米軍占領下の沖縄で占領軍と渡り合いつつ、牧会に携わられ、「合同」・復帰後は日本政府や日本教団と対峙してこられたおふたりからは、お会いするたびに、新しい課題を頂く。そして、わたしが、何のために、この道を歩いているのか。この、だれも通ってこなかった、道を歩いていくのか。おふたりには、わたしの研究成果を見て頂きつつ、その研究の意義も再認識させられる。

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2007年8月29日 (水)

残されたもの、その声を聞きながら………

さて、フィールドワーク3日目。

沖縄キリスト教史に関して、1940年代の史料はほとんどないと言われていた。いってみれば、それに挑戦してきた日々なのだが、記録を残すことにこだわりをもつ人は、どの時代にもいる。

きのうときょう、沖縄県公文書館で蒐集した史料は、実は、個人が自らの意思で保存した資料を遺族が公文書館に寄贈したものだ。

そのような個人的営為があってわれわれ歴史家は、はじめて史料に触れることができるのだ。そして、公文書館・図書館は、故人や遺族の意をくんでそれを分け隔てなく公開する。公開された資料が、従来支配者やエリートが構築してきた歴史を揺るがすことになる。

つまり、公文書館や図書館は民主主義の砦。

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2007年8月28日 (火)

夢は、ハワイで。

二日目の沖縄。きのうは、これまでに相当たくさん夏の沖縄を経験しているわたしでもはじめて見るような晴天でした。しかし、きょうは、時折激しいにわか雨があり、いつもの8月の沖縄でした。それにしても、ここの雲の造形はすばらしい。

きょうは、一日公文書館にこもりっきりでした。いろいろ、収穫がありました。

第一に、沖縄戦のさなか沖縄人や日本兵、それから朝鮮人、中国人を民間人捕虜収容所に収容するために行われた身元調査で使われた「訊問調書」を見つけました。

それから、それを探しているうちに偶然見つけたのは、比嘉靜観(せいかん)という牧師の資料でした。これは、
沖縄からハワイに移民してその指導者になった湧川清栄氏の寄贈文書のなかにかなり大量にありました。靜観は、沖縄出身で、伊波普猷の影響を受けて沖縄の日本組合教会の牧師になります。その後、ハワイに渡り、マルクス主義に傾倒して社会運動を行っています。そして、靜観は、詩人としても有名で、彼の残した『人間・社会』(実業之布哇社、1924年)を公文書館の文書群から発見し、はじめて彼の詩集を手に取ることができました。

  牧師

彼は牧師だ
けれども
牧師でない
人間だ
彼は人間イエスと偕に
人間になりたいのだ
彼は人間
それ故に
彼は牧師だ。

もう一つ。

  愛

愛があれば
社会主義と
無政府主義と
基督教と
仏教と
人間と
人間と
国家と
国家と
民族と
民族と
相剋することはない
愛は凡てを溶かす。

戦前の話で、しかも、ハワイだから、すぐには無理だが、いつか繋がっていくといいと思う。沖縄のキリスト教。そこから、実はいろいろな流れが形成されていて、辺境のキリスト教はキリスト教の終着点ではなく、多の辺境へ向けたキリスト教の源流になっていく。その流れは、予想もしないものと合流し、本流の中で、多の何者かになっていく信仰であった。

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黒いクジラは動かない、決して、動こうとしない。

書くのを忘れていたことがあります。

昨日の朝、空港へ向かうポートライナーから窓の外を見ると、神戸港の沖になにか黒い、大きなものが見えました。黒いもの正体は、クジラでした。

P8270361














では、ありません。 黒い、大きなものの正体は、どう見ても潜水艦。

P8270373














黒い、大きな潜水艦が、ずっと動かずにいるのです。空港に着いてからも、ずっと、ずっといるのです。

その黒い、動かない潜水艦野分を、白い船が通り過ぎていきました。それは、日常。そして、非日常。ポートライナーに乗っている人は、だれ一人としてそれに気がつかず、空港について、展望台にのぼってもそれに気がついているふうな人は一人もない。

日常生活に、戦争が、忍び寄る。そんなことを、ついつい想像してしまいました。それは、わたしが沖縄に行くからでしょうか。
これは、敏感になって、気がつかないといけないことではないかと思うのです。そして、平和な民間の港湾になぜ、その軍の潜水艦が停泊しているのか、追求しなければならない。

こちらに来てから、空港にいる短時間に、自衛隊の戦闘機が何度も、何度も飛び立つ爆音が聞こえました。那覇空港は、軍民共用空港。ここにも日常生活と戦争が隣り合わせになっています。

※ 写真は、クリックすれば大きくなります。かな?

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2007年8月27日 (月)

〔速報〕沖縄に来ました。

先週の岡山県・金光での日韓宗教研究FURAMの総括もできていないのですが、本日、昼過ぎに沖縄に到着しました。

自分の研究テーマのための沖縄フィールドワークは、約1年半ぶり。短い期間ですが、充分成果を上げたいと思います。

さて、沖縄のついたのですが、いつも様子が違っていて、車の数がずいぶん少ない。で、ある人のブログを見ていたら、きょうは、沖縄では「うーくい」とのこと。つまり旧盆の最終日。「うーくい」とは、たぶん、「お送り」のこと。因みに旧盆の初日は「うんけー」、つまり、「お迎え」。つまり、ご先祖様をお迎えして、お送りするわけです。

それで、きょうは、どこも、お店はお休み。夕食は、いつも行っているところでと思ったのですが、お目当てのところはどこもきょうまで休業。

さて、「うーくい」なら、どこかでエーサーをやっているだろうけど、きょうは禁欲して、明日からの準備をします。

それから、久しぶりに、『沖縄タイムス』に目を通し、『琉球新報』を買いました。おりしも、第二次アベ改造内閣の発足。新聞紙上では、先の防衛「省」の次官人事をめぐるごたごたが
触れられていました。沖縄では、守屋前次官は普天間基地の辺野古崎への移転をめぐって「沖縄に差別的態度をとった人物」とされているようです。小池“前”防衛「相」は仲井間沖縄県知事や島袋名護市長と旧知の仲らしいが、さりとて、沖縄の一般住民の側に立って発言しているわけでもない。

小池氏の後任は高村正彦氏とのこと。彼は沖縄に対してどんなスタンスをとるのだろうか。こうして、沖縄に来てみると、本土ではほんの小さな波動でも、それが周縁に伝わるにしたがってとてつもない津波のようになっているように思う。そして、指したる防塁もないままその津波に曝され、流され、あるいは、踏みとどまって、逆らっていることは、波動の出発点からは見えない。そんな構図を痛感しました。

さて、あした。また、報告します。

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