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2007年9月30日 - 2007年10月6日

2007年10月 1日 (月)

1995年の出来事。

1995年。阪神淡路大震災。オウム真理教事件。そして、その年の9月、沖縄で起こった事件。それから、大田昌秀知事による代理署名拒否と日本政府(村山富市(社会党)内閣)との裁判闘争の始まり………。

この年も、沖縄で大規模な県民大会が開かれた。場所も、今回の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」と同じ宜野湾海浜公園。

今回のできとは、確かに画期的で、新たな展開を予測させる出来事であった。しかし、2点、引っかかって仕方がないことがある。それは、今回の県民大会の参加任数を比較するときに1995年年のそれとの比較がなされることである。わたしが引っかかっているのは、1995年に起きた事件の名称がくり返されていることだ。

あの事件の当事者は、いまも、どこかで生活をしている。加害者のうち一人は、のちにも同様の事件を起こした挙げ句、自殺したという。その他の者たちは、どうやら今も生きている。そして、一方の当事者も。その方や関係者が、この報道をどう聞くだろうか。その配慮は、マスコミにはもないように思える。大会の主催者にも、その配慮はあるのだろうか。

それから、もう一つ。

きょうも、あるテレビで、キャスターが今回演壇に立った高校生の発言を引用している。あの2人の高校生の言葉は確かにインパクトはあった、しかし、キャスターなら自分の言葉で語らなければならないだろう(これは、自戒を込めた言葉です)。1995年の県民大会でも、やはり高校生の演説が、その後何度も、何度も、報道で引用されることになる。あの高校生は、のちに大学に進学し、もうとうに社会人になっているが、あの場に立って演説をしたことよりも、その後、たびたび自らの発言の断片がくり返されることで、人生を変えられたのではないかと、危惧している。

沖縄の、抱える問題は、その淵源がどこにあるのかと言うほかに、本当に重層している。差別や抑圧の構造は、何層にも折り重なり、主体・客体、すべて入り交じって、今も、なお、複雑化し、隠蔽され続けている。

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2007年9月30日 (日)

例えその場に、立てなくとも、わたしは、わたしのできることを

昨日、沖縄の宜野湾海浜公園にて、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が開かれ、11万とも12万ともいわれる人たちが集まったという。他に、八重山・宮古でもそれぞれ数千人の人たちが集まった。その報道を、沖縄の新聞社や放送局のHPで見聞きし、その場に行くことがかなわなかったことを、寂しく感じた。

「例え、いけなくとも、心はひとつ」──とは、とてもいえないけれど、わたしは、わたしのできることをする。高校や中学校の教科書は「集団自決(より実態に即していえば、「強制集団死」)」の他にも不十分なところがいくつもある。そのなかには、学説上の論争になっているものもあるし、仕方がないことでもあるが、学問上不十分なところもある。それらの、過不足を補い、ていねいに学問的位置づけをし、誤りを正していくのは、わたしたち大学の教員の役割であると思う。

講義の授業が始まった。わたしのメインの講義は、後期、いよいよ沖縄戦と戦後占領体制に入っていく。今年は、ことに、沖縄戦の全体像と、「集団自決」、「強制集団死」についてより時間をとって話そうと思う。そして、この問題が、いまだに日本の沖縄支配に利用されていることをていねいに説明したいと思う。

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