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2007年12月23日 - 2007年12月29日

2007年12月26日 (水)

「兼次伝道所 週報」

前の記事に引き続いて、西原町立図書館のこと。

ここにきたのは、前日にインターネットで蔵書検索して『日本キリスト教団 兼次伝道所 週報 第1集』(村上仁賢資料刊行会、1998年、以下『兼次伝道所 週報』)を是非みたいと思ったからである。

兼次伝道所は沖縄島北部の今帰仁村にある。2004年に花城静子牧師が就任している。北部の村にある教会の週報(※)が西原町(沖縄島では中部管区)の図書館にあるのか不明だが、沖縄の公立図書館にはここしかない。それから、この史料は、同図書館の「新川明文庫」に所収されている。

※ キリスト教会では毎週の礼拝で礼拝の式次第や一週間の予定、教会員の動静、前週の説教の要約、牧師のコラムなどを印刷して配っている。それを週報という。

兼次教会については、沖縄キリスト教協議会『沖縄キリスト教史料』(いのちのことば社、1972年)に、以下のような簡単な記述がある(同書、pp60)。

  一九四七年
 兼次教会が生まれるまで
 兼次教会は、当時文化部長であった当山正堅氏のすすめで、まず島袋昌子氏の音頭取りで、婦人会が集まり出発したものといってよい。戦前、やはり当山、島袋氏が中心になって、未亡人会とか銃後の婦人会を組織して、授産活動などをしていたが、終戦となり、それが一応用がなくなったと思われた時、再び、今度はキリスト教の伝道の下に集められることになったのである。集会場所は、島袋姉が住んでいた家の納屋などを使用した。説教は、当山氏やその他の人びとが巡回した。

その他にも、兼次伝道所(兼次教会)の記述は散見されるものの、沖縄の教会ではあまり重要視されていないよう見える。その兼次伝道所に、米軍占領下の1962年3月末に村上仁賢牧師が、本土から赴任する。村上氏は、のちに、「日本と沖縄の教会」(日本基督教団沖縄教区『27度線の南から─沖縄キリスト者の証言─』日本基督教団出版局、1971年、pp.252-270)を著している。それによると、村上氏の夫人の実家が西原村(現西原町)にあるという。そして、沖縄への赴任は沖縄の友人の薦めであって、自らのことを、「社会のことも政治の問題にも関心のない、一般的平均的日本人キリスト者」であると繰り返し述べている。この村上氏のエッセイをよむと、占領下沖縄の北部・農村に赴任した本土出身の牧師が、次第に沖縄の現実に直面して、「特殊的希少的日本人キリスト者」に変貌を遂げていく様がわかる。

わたしがきょう見た『兼次伝道所 週報』は、1962年から68年のものがつづられている。毎号1ページ。そして、ほとんど毎号、「想雲」と題して村上仁賢牧師のコメントが載せられている。その「想雲」を読むと、ベトナム戦争が激化し、占領下の沖縄の駐留米軍の性格が変貌し、東西冷戦の最前線となるなか、日本本土からやってきた日本人牧師がその時々に感じたことやその思索の変化の一端が垣間見る。

まだ詳しくそれを分析したものではないが、

キリスト教団。というものは信仰とは余り関係ありません。なぜなら王や政治家の信仰がそのまま自分の信仰ではないからです。米国や英国と同様ソ連や中共でも教会は世と戦っています(1964年10月18日)。

(前略)トレーラー落下事件〔※ここを参照=引用者〕でもベトナム戦争でも可愛そうなとか恐ろしいこととかが基準になるから身近になければ放置する。アメリカに対しても支配者と被支配者の姿勢しかない。したがって卑屈な態度しか生まれない。民主主義に主従はない(1965年6月20日)。

主のためにいるの信者は多い。教会のためにいるの信者も多い。しかし、現実の、この沖縄の為に祈る信者は何人あるか。というのは聖書の信仰によれば祈りは行動を伴うのであり換言すれば行動がないのは祈りのない証拠ともいえるのだ。沖縄のために戦後キリスト者は何をしたか。どのような発言と実践をしてきたか。現実にはキリスト者は現実肯定主義者か、逃避主義者か、無責任主義者ではないか。キリスト者の生き方がどう変わったか。それが見たいのだ(1966年1月16日)。

等々、いろいろあるが、いずれも単純に評価することが難しい発言である。村上仁賢牧師のこの関わり方には、日本本土出身の牧師として可能性もあり、限界もある。彼は彼なりに、沖縄の現状と対峙し、沖縄の教会に関わってきた。

日本基督教団議長の名において公開された『…告白』を、われわれ兼次教会一同は同じく日本人キリスト者であることの自覚にもとづき、心からこれに同意し、アーメンを唱和するものである。日本基督教団と当教団との合同についての日程が組まれ、すでにその行動が開始された今日、われわれ沖縄に住む日本人キリスト者もまた、右の告白をすり抜けては、自覚的、主体的な合同は、なし得ないと信じ、ここに役員会の名において、共に責任を負うものであることを表明する。

これは、「時のことば 『告白』に同意する」として、『教団新報』(1967年5月20日)に公表された村上仁賢牧師の言葉である。「同じく日本人キリスト者であることの自覚にもとづき」という発言をどう捕らえるか。やはり難しい問題である。

沖縄の教会には、それぞれに立場で、違った発言をし、行動をする信徒・牧師たちがいる。そして、それぞれのかたちで地域社会とかかわりをもち、日本国家や米軍と向き合いながら建てられている教会がある。わたしの仕事はこのようなさまざまな亀裂や断裂を見つけ出し、それを丁寧につなげていくことである。道のりは遠い。しかし、こうして足を使っての史料を集め、残された声に、これからも耳を澄ましていこうと思う。

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西原町立図書館

午前中、西原町立図書館へ。

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2004年に新築されたらしく、外観も内容も新しい。

図書館の前には、二つのオブジェ?がある。

(1)                                                                                          (2)
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(1)は西原町幸地で発掘された「九六式十五糎榴弾砲」。(2)は同町出身の「比嘉春長顕彰碑」。

探していた史料については、続報します。

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沖縄に来ました

昼過ぎに那覇空港到着。沖縄にしては珍しく快晴。暑い。

さっそく、コンビニで『琉球新報』を購入。

朝刊には大阪の大正区で関西沖縄文庫を主宰する金城馨氏らが、大正区で「集団自決」の体験者に対して聞き取り調査を行ったとの記事。証言集集め冊子にするという。それから、豊見城市であした、不発弾処理。その他、来年度予算の政府案のうち普天間基地移設等の対沖縄予算の記事があり。

夕刊一面には「集団自決」の教科書検定についての記事がトップ記事。「軍強制記述は『回復』」、「自民山崎氏が示唆」「実行委要請『訪中前に主唱言及』」との楽観的な記事。余談だが、同一面に高見知佳の写真を発見。わたしとは同郷の人だが最近テレビで見ないと思ったら、結婚後沖縄県内で絵本の読み聞かせや講演をしているらしい。意外であった。

それにしても、山崎氏。「記述は回復されるだろう。総理が(二十七日の)訪中前に何らかの発言をすることになるだろう」って、ほんまかいな。

夜は、おもろまち・新都心に。美術館のような日銀那覇支店(きょう営業開始らしい)と新しい県立博物館・美術館の概観を見る。

あとは、つづく。

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2007年12月24日 (月)

顛末は、まだだけど、お覚え頂きたいこと。

ここ数日間、このブログのアクセス数が以上の増えています。その多くが、「牧師退任勧告」や「東海教区」、「横領事件」などのキーワードで検索してたどり着いたものと思われます。また、東京からのアクセスは元もと多いのですが、それに加えて、東海教区にあたる静岡県や山梨県、長野県からのアクセス、また、神奈川県からのアクセスも、通常に比べて非常に増えています。それから、このブログの記述を自分のブログで紹介してくださっている方もいくつかあるようで、そこからのアクセスも毎日あります。

 

これは、日本キリスト教団に最近起こったこの二つの問題に対する関心の高さを物語っています。特に、共同通信社が東海教区の一件を配信し、『週刊新潮』が記事を掲載したことにより、問題は広がりを持つようになったようです。

それから、一昔前なら密室の会議のなかでの発言だったものが、いろいろな媒体を通して公になることもあり、そこから、牧師や教団指導者の思わぬ側面が露わ になることもありました。そして、そこでの記述が、こうしてブログや何かで増殖しているのです。これにより、また、教団現執行部とその周辺の傲慢さが浮き 彫りにもなりました。

さて、わたしの記述に対しては、そのアクセス数に比べると、コメントがほとんどないのですが、それでも、この問題が、教区の信徒・教職者、そして、それぞれの教会の求道者、それに教団・教会外の方々、できるだけ多くの耳目を集めることを、今後とも期待したい思っています。

しかし、一方で、仄聞するに、この件で教団の教会を離れたり、教会から足が遠のいている信徒がいることを、どうか、みなさま、お覚え頂きたいと思います。東海教区の詐欺・横領事件のケースでは、教区総会で決めたのだから、「外野」の意見に惑わされることはないのだ、という居直った発言も見られるようですが、それは、物事の本質から遠いことです。そして、その他の発言を含めた、一つ一つのできごとが、信徒に失望をあたえ、これから伝道がなされるであろう地域社会から教会が永年にわたって構築してきた信頼を根底から揺るがすことにもなりかねません。そこに無神経になったままでの伝道などありえないと思うのです。つまり、教会を離れていく人たちは、総じて、教会への関心が高い人で、教団や教区、教会をよくしようと発言するうちに、人に躓き、他人の信仰に躓き、そして、身を引いていくのです。

どうか、牧師・先生と呼ばれるみなさま。あなたたちの生活や保身のことは理解できないでもないです。しかし、できることなら、教団や同僚牧師を向いた牧会ではなく、信徒を、あなたが責任を持っている教会の信徒ばかりではなく、地域の信徒、教団の信徒を向いた牧会をお願いしたいものです。

そして、信徒のみなさん。わたしたちは決して一人ではありません。イエスがわたしたちとともにいてくださいます。そして、呻吟し、傷んでいく信徒の思いや姿が浮き彫りになるとき、わたしたちは祈りで連帯していけると思うのです。

明日は、クリスマスイブ。このことを覚えて、東海教区にある教会と信徒のため祈りたいと思います。それから、「教師退任勧告」を受けた方だけではなく、提案した側の人びと、そして、それぞれの牧師が牧会する教会の信徒、沿いして、所属する教区と教団のために祈りたいと思います。

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