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2008年2月 8日 (金)

遠く、慶良間諸島をのぞんで〜沖縄で聞く「集団自決」に関する教科書記述問題〜

その日、2007年12月26日の夕刻、首里城に立ち寄った。

前回(8月)訪れたときより、さらに「整備」が進んでいる。そして、さらに正殿裏などで工事が続いていて、重機の音が絶えずしている。しばらく歩いて、数年前に作られた展望台で、日が暮れていくのを、しばらく見つめていた。

それまでの2日、沖縄には珍しく晴天が続いていた。そこからは、那覇市街と遠くは北谷の浜から読谷の残波岬までが見通せる。那覇空港からは頻繁に飛行機が飛び立ち、低空で去っていく。また、ときおり、西から東へ演習帰りであろうか、米軍の輸送機が前田高地を越えて、普天間か嘉手納の方に降りていく。展望台登り口からは知念半島や中城湾も少しだが見えた。

展望台には、入れ替わり立ち替わり観光客が訪れて、歓声を上げている。家族ズレ、カップ裡、友人グループ。そして、外国人らしき人々も頻繁に訪れている。ほとんどは欧米系の人に見える。駐留米軍の関係者だろうか。体つきからそう推測してみる。

歓声を上げる人びとの視線の先に、慶良間諸島が、きょうもはっきり見えた。折しも、沖縄戦時の「集団自決」の教科書記述をめぐる検定について、この日、ひとつの結論が出た。

それを、わたしは携帯電話のニュース・サイトで知ったのだが、それ以外にも知る機会があった。夕方、買い物に寄ったスーパーでは、沖縄タイムスの号外が置いてあった。翌日立ち寄った沖縄県立博物館でも受付に同じ号外が置いてあった。沖縄では、こうして、情報が流布し、共有されていくのか。きっと、これを見ながら、いろいろと話が行われているのだろう。

さて、その結論は、実に中途半端なものであった。軍による「強制」は認めなかったが、「関与」の記述は復活させるというのだ。これについては、いくつもの見方がある。その後の新聞の記事にも様々な解釈がなされていた。

しかし、これは、「権力」による緻密な計算による結果ではないかと考えられないでもない。事実、これ以降、9月の11万人集会を実現させた結束は、この中途半端に見える結論で見事に分断された。つまり、その結束は、「集団自決」に際して、軍による強制があったとあくまでも考えているグループと、「軍による関与はあっただろうが、強制があったというと、日本(本土)との関係でまずいことになっては困る」というグループなどの連合体ではなかったが。だからこそ、軍による「関与」で満足した人びとと、それではとうてい承伏出来ない人びととの間に亀裂がはしり、沖縄は分断されていく。

いぜん、わたしは、ある集団に圧力をかけ続けるとその集団は分断されていく。こうして、沖縄では国家による統合と分断が同時に起こっているし、これまでも起こってきたと書いた。この現象が正に、ここで起こったのである。

しかし、現状を更に注意深く見ていくと、いろいろと興味深いことに気づかされる。その一つは、争われていることがらは今から63年近く前の沖縄戦でのことであるが、その判断や歴史的解釈には、沖縄が置かれている状況や、日本と米国が沖縄に対して行っている政治や政策が反映しているということである。大阪で岩波書店や大江健三郎を相手取って起こした裁判の原告になっている人びとは、それぞれ慶良間で軍の指揮に当たった当事者とその遺族である。彼らは、ひょっとすると単純に自分や自分の家族の名誉の回復をのみ願っているかも知れないが、その取り巻きは本島はそんなことは々でもよくて、日本人の名誉や軍の正当性を誇示したいがための集団であろう(この件については、機会があれば、別に詳論したい)。

同様に、今回の結論は、沖縄で起こっている大きな動きを統治の障碍と捉え、その動きを分担するために「権力」側が仕組んだ巧妙な仕掛けではないかと思うのだ。つまり、ここでも、歴史的な事実の問題よりも、現実の政治課題が優先され、その「集団自決」の当事者の心情よりも、現に今生きている人間とそれを統治する「権力」の論理が優先した格好ではないかと思う。

しかし、それでは、沖縄になにがしかの明るい展望はないのだろうか。それは、きっとある。そして、あるとすれば、それは、「米国や日本という国家が亡んでも、沖縄は沖縄であり続ける」と言うことなのではないかと思う。「もう、既に、沖縄は沖縄ではない」という見方もある。近代以降、あるいは、もっと遡って、琉球=沖縄、常に「らしさ」をそぎ落とされながら今日に至っているという見方もある。しかし、それでも、沖縄は沖縄であるとすれば、こうして分断され、切断されつつも、このようなできごとをくり返しつつ、それを乗り越えて、既に国としてのかたちが内分、国家というかたちにとらわれている大国よりも、ずっと長く存続し続けるのではないかということだ。

沖縄は抑圧され、分断され、周縁化されている。しかし、その一方で、そうした事態が常態化しているが故に、そのような事態をしたたかに乗り切り、且つ、主張する所をして、それを見事におさめていくようなあり方をしているのではないか。

さて、これらは、単に、わたしの仮説にしか過ぎない。そして、それを確かめに、明日から、また、沖縄に行く。そして、その後、東京と、しばらく旅が続く。

※ 以上は、昨年12月の沖縄調査の時から少しづつ書いていたもので、だから、少々つじつまが合わない所もあるが、ご容赦願いたい。

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