春の誘惑。いちどきに桜花の咲きはじめた京都にやってきた。早朝の神戸を出てから、阪急沿線では、やはり、桜の花がだいぶん開いている。四条烏丸で地下鉄に乗り換えて、今出川で地上に出ると、いつもながら広くて、青い空が現れた。昼間に京都に来るのはどれぐらいぶりだろうか。また、同志社も、以前は、人文科学研究所の研究会でひと月に一度は必ず来ていたのだが、その研究会を遠ざかってからは久し振りだ。この開放的なところが、いかにも京都で、そんなところから生まれる学問もまた、そんな幹事、香りがするような………。
さて、京都までやって来た目的は日本基督教学会近畿支部会の研究発表を聞くためであった。わたしは、この学会の会員ではないが、今回の発表次第では入会をしようと、申込書を記入していったのだ。結局、知り合いがほとんどいなかったので入会の手続きをとらなかったが、(繰り返しになりますが、)誰か、紹介者になって下さい。
そこで、若い院生(同志社や関学の神学部、京大の文学部が多かった)の発表をいくつか聞いた。そのなかで、おもしろいと思ったのは、同志社の神学部の院生(博士後期課程)の朝香知己氏の「クィア理論とキリスト教神学─リベレーションの視点から─」であった。そのほか、現代社会の諸問題にキリスト教神学がどのようにとり組んでいるかをうかがわせる発表がいくつかあったので、このようなところで刺激を受けるのであれば、自分の研究にもプラスになると思った。
それから、詳細は省略するが、ある発表を聞いて、改めて今自分がとり組んでいる研究をまとめ、出版する必要を再確認した。戦後に限らず、沖縄キリスト教史の研究分野はそれなりの関心があるものの、必ずしも研究が進んでいるとはいえす、研究者の層も極めて、極めて、薄い。だから、研究発表や論文で事実と違うことが書かれていても、それを検証するだけのものが読み手や聞き手にないわけだから、それなりの責任を持って研究にとり組まなければならない。また、ほぼ定説化している「事実」であっても、別の視点や方法で調査すれば、別の側面が見えてくることがある。
だから、そのような間違った認識や一面的な見解が「事実」として定着する前に、徹底的な調査と、広い視座に立った研究を各個とした成果として公表しなくてはならない。それも、できるだけ早く。
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