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2008年3月 3日 (月)

「間接的」〜支配、あるいは、ハラスメント〜

他者を支配する仕方として、直接的な力をこうして支配するよりも、間接的日〜を枯死することで支配する方法の方が、統治の仕方としてより高等である。治者が直接被治者に対峙すると、被治者の反感や反発、抗議等々が直接治者に向かう可能性がある。そこで、“賢い”治者(別に褒めているわけではありませんが………)は、間接的に被治者を統治しようとする。

そのテクニックは、様々だが、大体の場合、被治者の指導層を自らの側に取り込み、彼らを使って統治をするという方法が一般的である。その懐柔の手段は、例えば、植民地の場合、現地の優秀な若者をその宗主国の最高学府に留学させる。そして、治者の言語や思考、思想、それから、“先進的”な学問・知識・技術を学ばせる。そして、彼らが帰国すると官界・政界・学界・経済界等の新しい指導者として活躍させる。つまり、斯界の統治の成否は、治者と被治者の間に設けられた「中間層」の育成と規律訓練にかかっていると言える。

なるほど、日頃世話になっている人から、いろいろ言われると、それがかなり無理なことであっても無碍に断ることができない。そのようなパターナリズムを利用した宣撫の仕方は、しかし、問題が隠される傾向にあるが故に、大きな問題をはらんでいる。また、このような関係は、国家間、あるいは、植民地と宗主国、中央と地方との関係以外にも、職場や地域社会の人間関係のなかでも起こりうることである。

例えば、職場で、経営者が法令に基づかない理不尽な要求を現場の労働者にしたり、法律上認められている好意を不法に規制しようとする時、それを直接行えば、労働争議に発展しかねない。しかし、現場の責任者や事務担当者を通じて、間接的にその意向を経営者が貫徹使用とする場合には、現場の労働者はそこでの人間関係でそれになかなか抗することができない。

このような経営者のやり方は、一種の「パワー・ハラスメント」である。わたしの「現場」である大学教育の場では、「アカデミック・ハラスメント」というものあるが、これは、どちらかというと教師と学生との間に直接的に起こることが多いように思う。が、この「パワハラ」もないわけではない。問題はくだんの「中間層」が、学生やヒラの教職員の側に立っているのか、それとも経営者側の立場に立っているのかで、大きく変わってくる。

このブログで、沖縄の現状や歴史を述べる際に、必ずしも沖縄“全体”が反基地でもなく、反米でもなく、反日的でもないことの理由を、わたしはこれまでにも縷々述べてきた。このような事態も、また、治者(この場合米国だけではなく、日本政府も)が時間をかけ、根気強く、時には強引に、時には金を使ったりして、被治者と直接対峙し、自らの意向を汲んで動くという自在な「中間層」を巧く育成した結果であろう。そして、選挙のたびに問題になるのは、この「中間層」の争奪であり、権力を持つ治者は自分たちの立場に立っている「中間層」には手厚く補助を与え、敵対的な「中間層」に対しては徹底的に「力」を行使しつつ、その勢いと力をそいでいくことに腐心している。

さて、歴史の中で起こっていることは、決して、自らに関係しないことではない。それは、わたしたちの周囲でも、身近に起こっていことでもある。

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コメント

この日記は、実に沢山のことを示唆しており、大変勉強になります。AIさんのいう間接的支配が、いかにこの世に蔓延しているか。そしてそれを打ち破るにはどうすれば良いのか。言葉の節々に共感を覚える日記です。AIさんの誠実さがいかに今の日本に必要なのか感じ入りました。ご教授ありがとうございますhappy01

投稿: 石油王 | 2008年3月 6日 (木) 13:33

石油王様

少々褒めすぎですが………。

さて、自分の立っている位置から自分や趣意を変えていこう。それが、言いたかったのです。

投稿: one(管理人) | 2008年3月 9日 (日) 20:41

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