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2008年5月 3日 (土)

ディープ・オーサカ・フィールドワーク(1)

※ 「(1)」ですから、(2)や(3)があると思うのですが、乞うご期待。

5月1日。我が勤務校は創立記念日で休校。

午前中のK女学院大学でのチャペルアワーの奉仕の後、昼過ぎに学生と西宮北口で待ち合わせて、本年度初めての、フィールドワーク、題して「ディープ・オーサカ・フィールドワーク」に出かけました。参加者は、わたしと韓国・釜山からきている短期留学生4名と日本人学生1名。これは、諸般の事情で休講にしたり、これから休講にしなければならなくなったりしている留学生の日本理解のための講義(「○○語・○○事情Ⅳ」)の補講でした。

前の講義の時間に事前のレクチャーを1時間ほどしていました。

コースは、だいたい以下の通り。

西宮北口から阪急で梅田 → JR大阪駅から環状線で鶴橋 → 鶴橋「国際マーケット」 → 猪飼野・御幸森神社 → 御幸森商店街・コリアタウン → 平野運河 → 今里新地 → 近鉄今里駅から鶴橋 → 鶴橋でお買い物 → JR環状線で大阪へ → 解散

ご存じの通り、生野区は人口約135,000人のうち、約33,000人は外国人(外国人登録者数)で、そのうち約31,000人が在日韓国・朝鮮人であるといわれている。いわゆる「在日」といわれている人の中には日本国籍を取得している人もいるので、この区の4分の1は「在日」である。

鶴橋近辺を学生を連れてフィールドワークするのは4,5年ぶりか。それでも、街のたたずまいはそれほど変わっていないように思えた。高架下あたりの「国際マーケット」も以前のままで、キムチを売る店が並んでいる通りの角にある婦人服の店のちょっと太めのおばさんのマネキンも昔のままであった。猪飼野のコリアタウンも神戸の南京町風にアレンジされてから1,2度いったので、わたし自身は驚くこともなかった。

今里新地は、今から10年近く前、今里に住んでいた留学生を訪ねて訪れて以来であった。当日、曇り(“フィールドワーク日和”)であったせいか(前回もそうであったような)、街全体は霞んでいるようでもあり、くすんでいるようでもあった。きっと夜になると、全く別の街になるのであろう。しかし、大学院時代の恩師である杉原達氏の著書『越境する民─近代大阪の朝鮮人史研究─』(新幹社、1998年)にある通り、街を歩くとヘップ・サンダルを作るときの圧着機の音や段ボール工場、それに「韓国の主要都市がぐるりと一回りできるほどに、朝鮮・韓国にまつわる店」([杉原 1998]p23)が立ち並んでいた。済州島特有の「トルハルバン」とう石像も至る所にみられる。

鶴橋や猪飼野、今里には日本人のとっての「外国人」である「在日」や中国人などが多く住んでいる。しかし、「在日」といっても、それぞれ一様ではない。1920年代になって盛んになった朝鮮人の日本内地への渡航の時期にわたってきたいわゆる「一世」とその子孫である「二世」、「三世」………。それに、近年日本に渡ってきたいわゆる「ニューカマー」の人々。その国籍も「韓国籍」、「朝鮮籍」、そして、正確には「在日」ではないが「日本国籍」を取得した人々と、一様ではない。

そのような事実はおおむね事前学習で伝えてはおいたが、今回同行した韓国人留学生と日本人学生はどのようなことを感じたのだろうか。

以前に比べて、いくぶん観光客らしき人が増えていた生野の街。でも、きょろきょろしながらそぞろ歩きする「外来者」への住民の視線は、必ずしも暖かいものばかりではない。日本人の学生は今里新地を歩いているときから、少し顔が青ざめていたような気がしたが、かえって感想を聞くと「怖かった。もう行きたくない」といった。韓国人の留学生は、「街の人の言葉(韓国・朝鮮語)が済州島の訛があって、釜山から出身の自分にとっては懐かしかった」という感想を述べる一方で、「店の人に韓国語で話しかけたのだけれど、いやな顔をされた」と驚いていた。また、商店街で話をしていた店番の年配のご婦人5,6人は、それまで日本語で話をされていたのに、我々の姿を見とがめると急に韓国語で話しをし始めたりした。

このように、フィールドワークをするわたしたちに対する視線を自覚することは、それでも、有意義なことであったと思う。

さらに旧猪飼野の入り口にある御幸森神社(御幸森天神宮)には、至る所に天皇系の紋章である「菊花紋」があり、境内の隅には「遙拝所」があった。その説明書きには「遠く遙かふるさとを思いながら………」というような文面があり、当世風の粉飾がなされてはいるが、天皇家と天皇信仰にまつわるものがコリアタウンの直近にある。そして、そこでは年に何回か「日本式」のお祭りがあり、それには近隣に住む「在日」の方々も参加や寄進をされていいる由。もともとこのあたりには百済から移住者が多いといわれていてる。多民族・多文化環境での「共生」のあり方はとは、どのようなことなのかを、自分自身も身をもって知り、留学生や日本人学生にも知ってもらいたかった。

さて、次回は、どこへ?

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