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2008年6月 2日 (月)

悔いのない研究生活とは

土肥昭夫先生の追悼礼拝の続きです。

わたしは、同志社大学や神学部にとって部外者です。神学部のスタッフ(教員)の顔を全員知っているわけではありません。でも、恐らく、この記念礼拝には同志社大学神学部のすべてのスタッフが出席していたわけではないようです。どうやら、当初学部葬の予定であったのが、現役の教授ではなかったことから、土肥ゼミ卒業生の有志による会になったようです。ともかく、同志社人文科学研究所や学会で知った顔があり、知らない顔があり………、の会でした。

土肥先生はそれまで手がけられておられた研究(お仕事)に一段落をつけ、次の研究に取りかかろうとした矢先に、亡くなられたということです。

先生の次の研究テーマは「戦後天皇制とキリスト教」。

戦前の天皇制とキリスト教はある一定の緊張関係があったのですが、戦後はそれが一気に薄れ、キリスト教にとって皇室や天皇はとても親和性の強いものになったのではないでしょうか。これについては異論があるかもしれません。確かに、教界では部分的に戦後も天皇制と厳しく対峙し続けた人たちがいます。しかし、一般の信徒はそうではないように思うのですが、いかがでしょうか。そのテーマを、土肥先生はどうお書きになるつもりだったのでしょう。それを拝見する機会は、永久に失われたのですね。

そのエピソードを聞きながら、研究者の死と仕事ということを、自らのことに引きつけながら、考えました。

研究者にもいずれ生の終わりがきます。それが唐突なものであれ、予告されたものであれ、どんな研究者にも死は来るのです。そのときに、し残した研究テーマが全くない研究者などいないのではないでしょうか。また、あくまでも一般論としてですが、死ぬ前にし残した研究課題がないのなら、その時点で研究者ではない、とも。キリスト教的に言えば、「神は、その者が必要である限りその生を許す。だから、その者が心残りがありながらこの世を去ったということは、神がその仕事が必要ではなくなったと判断されたのだ」という方も可能でしょうか。

いずれにしろ、研究者としてつねに“その日”が来るということを意識し、自分の仕事を大きくまとめる努力をしなければと思う年齢に、わたし自身がさしかかっていることを実感しました。

そして、気になったことを一つ。それは、そのし残した仕事(研究)を、「誰が継ぐのか」ということです。

土肥先生のお連れ合いである土肥淳子さんは、挨拶のなかで土肥先生が先述の「戦後天皇制とキリスト教」に関する研究をすでにはじめており、資料を集め、メモを作っていたことを挙げて、それを“継ぐ”研究者が現れることを期待しているというような趣旨のお話をされました。ご遺族としては、もっともな話だろうと思います。

また、それに先だって礼拝で説教を担当された原誠同志社大学神学部長も説教のなかで同様のことをいっておられました。原先生は、おそらく土肥先生の「歴史神学」研究室(?)の後継者。だから、これは一種の土肥先生の学問の正統なる継承者の選定の儀式でもあったのでしょうか。

しかし、この追悼礼拝には、わたしを含めて多彩な人たちが参列していました。そして、その誰もが、土肥先生の人柄と学問を慕い、愛していたのだと思います。そして、それぞれに自分なりの仕方で土肥先生の学問を部分的、あるいは、全面的に継承しているのではないでしょうか。だから、土肥先生がし残されたお仕事を直接継承する者だけではなく、だれもがそれを自分の血肉にして、自分の場から、自分の知恵で、道を切り開くことができるのではないかと思います。

わたしも、ゆくゆくは、土肥先生のように、自分の学問からはじまって、人柄・人格を付加しながら、だれかの心に届き、そこにこに留まる仕事をしたいと思いました。

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