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2008年10月26日 (日)

対話を拒否する人

引きつづき、日本キリスト教団総会でのことです。

「風」の方々による「第36回教団総会速報Vol.19」によると(といっても、すでにソースは削除済みなので、それを見ることが出来ない方々には検証の手段が内のですが)、常議員に選出された北紀吉(おそらく、まだ、東海教区議長)は、選任の挨拶のときに、「『もはや対話はない』と威嚇的に挨拶し、議場の反発を買って多くのヤジが飛んだ」といいます。

この北氏はこのブログで例の東海教区の元会計担当者による詐欺・横領「事件」のさいに、最後まで(といっても、まだ決着はついていないのだが)この元会計担当者を擁護し続けた教区議長です。

さて、総会でのこの発言。わたしは、その場にいませんでした。「風」の記者さんの「威嚇的に挨拶し」というのは、すくなくとも主観的な感想です。また、北氏の発言も「」がついていますが、本当に正確な引用なのかわたしには確かめようがありません。

だから、「この発言が、もし事実だとしたら」という留保条件がつきますが、対話を拒むのであれば、牧師などという面倒くさい仕事は辞めた方がいいと思います。「威嚇的」態度も、これも間接的な情報ですが、例の東海教区の事件をめぐって北氏に直接会った人からの伝聞ですが、その時も、相手が信徒で、しかも女性であったせいか、大変威嚇的であったということです。こうした伝聞情報をつなぎ合わせると、北氏の人格や人間像が類推されます。

キリスト教は、ことばの宗教です。ことばによって、今日まで伝えられてきました。北氏をはじめとする方々がこだわっておられる「信仰告白」等々も、すべてはことばです。そして、キリストはそのことばをもって今もわたしたちに語りかけておられます。

キリストは対話の人であったか。聖書にはそうではないことを連想させることを書いていますが、力をもたない、弱く貧しい人たちの語りかけに、必ず応じておられました。キリストが対話を拒むのは、たとえば、キリストを試みたり、高圧的に真理を押しつけるものたちに対して、議論を拒むことで、本当の真理に気付かせようとする場合ではなかったかと思います。

さて、わたしの聖書には、自分を迫害する人のために祈りなさいと書いてあり、わたしの敵をわたしが愛しなさいとも書いてあります。北氏は、講壇で、「自分に逆らうものたちとは、対話はしてはなりません」とでもといているのでしょうか。

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