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2008年11月 9日 (日)

憧憬と超克〜沖縄のキリスト教会がもつ活力〜

この間の3連休で仕上げた論文は、昨年、キリスト教史学会で研究発表したものです。

題名は「軍事占領下における軍隊と宗教─沖縄地域社会とキリスト教─」。基本的には歴史の論文ですが、沖縄のキリスト教の現況にかかわる問題でもあります。

沖縄のキリスト教との割合は以前ここでも書いたように日本の他府県に比べると約3倍に当たります。その原因についてはこれまでもいくつか議論ありました。その中には、沖縄の宗教的風土をとりあげて、そこにその原因を見出すもものがあり、一見説得力があるように思われました。しかし、沖縄のキリスト教との人口分布を詳細に検討すると、沖縄でも宗教的な伝統が残っている地域、例えば、沖縄島の南部・北部の一部や先島・離島地域では沖縄のなかではキリスト教との比率は低いのです。だから、別の原因もあるはずなのですが、それで、わたしは、戦後の米軍との関わりに注目して、その原因を探ったのです。

今回、昨年の発表を原稿化する過程で、この問題を再考してみました。そして、最後の部分を、こう結びました。

 このように日本の教界での沖縄の教会の存在感が希薄なまま1972年の沖縄の「本土復帰」(日本側からみると「沖縄返還」)が実現する。しかし、依然として米軍は沖縄に駐留したままである。このような状況下にあって、沖縄のある教会は様々な問題をはらみながらも「祖国」日本の教会にではなく、沖縄のなかに存在する米国人の教会や米国人キリスト者たちに寄り添いながら伝道を行っている。また、別の教会は社会的な問題には全く関与せず、ひたすら沖縄人の魂の救済を専らとして伝道活動を展開している。その一方で、日本の反戦・反基地団体と連帯し、社会的な関心をもってそれらの活動の最前線に立つことで自らの信仰を証する集団もある。こうした三者三様の教会のバランスのなかで、現在でも沖縄での伝道が行われていることになる。
 こうしてみると、沖縄教会にとって米国のキリスト教とオーバーラップする軍事占領はいずれも二重の意味を持っていることがわかる。すなわち、米国のキリスト教は沖縄の教会やクリスチャンにとってあこがれであると同時に、克服すべき対象でもある。その憧憬と超克の二つの力が共存し、ある時にはせめぎ合うことで、沖縄のキリスト教は新たな活力を生みだしているのではないか。

日本のキリスト教伝道を語るときに「社会派」と「福音派」の対立がよく議論されています。このような議論のなかでは、両者は同じ教派・教団に属している場合もあるけれども、互いに理解不能で、敵対的で、大概に互いを論破するだけではなく、お互いの消滅を願い、実力を行使しているようにさえ思えます。

しかし、実際には、そうなのか。これが今回論文を執筆していて感じた率直な実感です。日本の他の地域ではどうでしょうか。それぞれに、「社会派」と「福音派」の“濃度”は違っていると思います。一般的に、「社会派」が多いところと、「福音派」が多いところ。それぞれのなかで、両者の多少はともかく、存在感として両者がせめぎ合っているところでは、案外、キリスト教が“盛ん”なのではないでしょうか。これは、仮説で、今後立証することは可能であろうと思います。

沖縄の場合、信徒の数や教会の数・規模でいうとおそらく「福音派」が「社会派」を圧倒していると思います。しかし、「社会派」はその発言や行動で沖縄の地域社会にそれなりの存在感をもっていると感じます。そして、それぞれが戦後教会を形成し、信徒を集めてきました。その過程で、全く正反対の意味で米国のキリスト教、米軍のキリスト教と拘わってきました。

「社会派」については、自覚的には1960年代になってはじめて現れてきたと思います。その「社会派」は米国・米軍をアンチテーゼ、あるいは、批判の対象としてそのキリスト教を受容し、地域社会の現状から生まれる不条理に対峙するために、米国のキリスト教を「超克」しようとした。「福音派」は、米軍や米兵を通して体感した米国のキリスト教への憧憬を抱き、それに寄り添うことで、おそらくそこから様々な支援や感化をうけたことでしょう。その沖縄のキリスト教の二つの流れは決して対決的ではなく、お互いに距離を置き、牽制しつつも、一方でお互いを気にかけているのようにわたしは感じています。

だから、例えば、日本キリスト教団という一個の集団を、どちらかひと色に染めようとすることは、明らかに間違っています。大概に互いを批判しながらも、切磋琢磨し(できるかな? でも)、併存することが日本のキリスト教の活性化につながるのではないでしょうか。思えば、日本キリスト教団にとって、現総会議長が総括した「荒野の40年」こそ、実はそのような可能性を時代ではなかったかと思うのです。しかし、実際には「福音派」が退場し、対話を拒絶し続けていました。そして、体制が整うと、クーデター的手段で「政権」を奪取したのでした。

さて、もうひとつ書き忘れていたことがあります。それは、沖縄にはいまだに魂の救いを必要とする人々や状況が存在しています。だから、キリスト教だけではなく、様々な宗教が重要な役割を果たしているのです。「信仰告白」は何のためにあるのか。教団は何のためにあるのか。もはや「救うべき魂」がなく、そこに届かない祈りや告白ばかりの教会・教団は、この地域社会に必要なのでしょうか。

沖縄のキリスト教会の強みは、一枚岩の団結の強さではなく、魂の救いに至る多様性が保証されていることろにあると思うのです。そして、その保証は、沖縄のキリスト教徒によって成されています。

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コメント

素晴らしいお話を聞かせてありがとうございます。最後には感動している自分に気付きました。たぶんAIさんの真摯な言葉に、胸を打たれたんだと推測します。

>憧憬と超克

なるほど〜と唸りました。

また、福音派と社会派。
キリスト教音痴の私には何を意味しているのか、なんとなくボワ〜ンとしたイメージでしか捉えられていませんが、それぞれが果たしてきた役割というのは必要であったという肯定的なご意見に、キリスト教の世界を少し垣間見た気がします。

投稿: 石油王 | 2008年11月 9日 (日) 21:15

「沖縄のキリスト教会の強みは、一枚岩の団結の強さではなく、魂の救いに至る多様性が保証されていることろにあると思うのです」

なるほど、と思いました。

聖書自身、たとえば、「信じて救われる」「不信仰のまま救われる」「隣人愛で救われる」といういくつかの道を示しているように思います。また、いくつかの道があることで、ひとつひとつが絶対化されないように思います。

各個教会内でも、「魂の救いに至る多様性」の保障は大事だと思います。

投稿: ぱすと~る | 2008年11月10日 (月) 10:45

石油王さま、コメントありがとうございます。

「社会派」と「福音派」については、改めて説明したいと思います。

また、来て下さい。

投稿: AI(one) | 2008年11月11日 (火) 23:52

ぱすと~るさん、ご無沙汰しております。お元気ですか。

キリスト教がこの国に根づくためには、仏教のような懐の深さが必要なのではないかと思います。「誰かを」、ではなくて、すべてを包み込むようなものが歴史のなかでキリスト教のなかに生まれてくることを、わたしは待っています。

投稿: AI(one) | 2008年11月11日 (火) 23:56

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