« 軽く見ていたかもしれません。 | トップページ | 憧憬と超克〜沖縄のキリスト教会がもつ活力〜 »

2008年11月 9日 (日)

「筑紫哲也」との別れ

筑紫哲也」が亡くなった。

わたしが大学生・大学院生の頃、今から思えば、たいそう滑稽で、未熟な感じだが、『朝日ジャーナル』を読んでいる自分がどこかしら誇らしくもあった。その『朝ジャ』の編集をしていたのが、亡くなった筑紫哲也さんでした。しばらくして、筑紫さんは『朝ジャ』をやめて、「NEWS23」のキャスターになりました。わたしは、それから、欠かさずその番組を見るようになりました。

そうです。わたしは、筑紫哲也さんのファンだったのです。

しかし、あることがきっかけで、筑紫さんの番組を余り見なくなりました。その「あること」とは、1995年1月17日以降の阪神大震災での筑紫さんの報道姿勢でした。ジャーナリストとして、節を曲げず、「現場主義」に徹することは必要不可欠なことです。そして、筑紫さんはそれを確かに、この時も、忠実に守ってはいたのです。しかし、彼のことばは、この圧倒的な「事実」の前に完全の浮いてしまっていたのです。現場でありながら、現場に完全に距離をとり、それなのに、それをことばで飾ろうとしている筑紫さんの姿勢に、わたしは激しい違和感を感じました。

思えば、これが、わたしと「筑紫哲也」との別れです。その後も、別れた彼女に対して冷たくできないのと同じ信条で、その後の「筑紫哲也」に適当につきあってはいたのですが、震災でも彼のことばがいつも脳裏を過ぎりました。

「筑紫哲也」は、人々が哀悼し、賞賛するに値する人物だと思います。わたしは、そのことを否定するつもりはありません。しかし、わたしは、こうして「筑紫哲也」が賛辞で埋め尽くされてこの世から送られる、少し前に、別れを告げていたのです。

|

« 軽く見ていたかもしれません。 | トップページ | 憧憬と超克〜沖縄のキリスト教会がもつ活力〜 »

訃報」カテゴリの記事

コメント

私も、あることがきっかけで、筑紫さんとは距離を置くようになりました。
人が死ぬと、その人があたかも「聖人君子」であったかのような追悼の言葉が飛び交うのには、いささか、うんざりです。
私も筑紫さんは、好きなジャーナリストでしたが・・。

投稿: 土方美雄 | 2008年11月11日 (火) 01:56

土方美雄さま、コメントありがとうございます。初めてではないでしょうか。うれしいです。

「異論反論、Objection!!」の筑紫哲也さんですから、ご自分が送られるときも、賛辞だけでは不満なのではないでしょうか。

わたしは憧れてきた人に対して、自分なりの方法で送りたいと思いました。

投稿: AI(one) | 2008年11月11日 (火) 23:59

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/33092/25152115

この記事へのトラックバック一覧です: 「筑紫哲也」との別れ:

» 筑紫哲也が率いた「朝日ジャーナル」黄金時代 [千恵子@行政書士]
20歳代前半にシェイクスピア全集を、二束三文で売り払ってからかしら。わたしは、ほとんど書籍は買わない。活字は大好き。本の匂いを嗅ぐだけで幸福感に浸るほうなのだが、どうせ安値で売るなら、最初から図書館で済まそうということになる。そんな次第で雑誌もほとんど買わない。最新号を、土日に図書館でチェックする日々なの。1984年から1987年までの間、雑誌「朝日ジャーナル」だけは別だった。毎号わくわくした。わたしは日本文学やルポルタージュが元々好きだったが、この雑誌をきっかけに、社会科学や自然科学の書籍にも関心... [続きを読む]

受信: 2008年11月13日 (木) 16:41

« 軽く見ていたかもしれません。 | トップページ | 憧憬と超克〜沖縄のキリスト教会がもつ活力〜 »