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2008年3月16日 - 2008年3月22日

2008年3月21日 (金)

思わぬ出会いが………

きょうは、昨日のYさんにご教示を受けた文書を探しに、浦添市立図書館に。昨年末、いった西原町立図書館もそうだが、沖縄の市町村立図書館はそれぞれ個性的なつくりになっている一方で、郷土資料、沖縄学のコーナーが必ずある。

調べものは思いの外難航した。Yさんの記憶が曖昧で、教えて頂いた書名のキーワードがだいぶん違っていた。しかし、図書館のレファレンス室の職員の方のアドバイスで、「沖縄学」コーナー(2階)を探していると、Yさんのいわれていたものらしい文献に行きあたった。そして、必要事項をコピーして、申請用紙を「沖縄学」コーナーの職員に提出した。すると、

(職)沖縄のキリスト教についてブログを書かれているI先生ですよね。

(わ)はい、そうです。

(職)ブログ、拝見しました。

(わ)そうですか。それはどうもありがとうございます。

というような会話をして、名刺を交換した。Iさん、ブログ、読んで頂いてありがとうございます。

そのあと、このブログにちょっと書いていた沖縄の新聞に掲載されていたキリスト教関係記事のデータベースについての質問を受けた。このほかにも、わたしは自分の研究のために幾つもデータベースをつくっている。今つくっているのは、これまで収集した資料の記述のデータベースをもとにした、1940年代後半、米軍占領体制の発足期に当たるの沖縄のキリスト教の年表である。

それにしても、思いがけない出会いに、びっくりしています。それと同時に、こうして、今もどこかでこのブログを四手いただく方がいることを認識することで、これからもいい加減なことはかけないなぁと感じています。

さて、きょう行き当たった文献は『地方自治七周年記念誌』(沖縄市町村長会、1955年)。

「第一部 記録篇 文化」の「宗教」項には、仏教とキリスト教の戦後略史と当時の現況ニツイテの記録があった。そこでの気になる記述をいくつか。

先ず、戦後の仏教のことについて、わたしはほとんど知らない。1947年、「石川市の旅館で、沖縄民政府文化部の主催で第一回宗教家会議が開催され」とある。これについては、『うるま新報』の同年1月17日に「宗教協会生まる」という記事がある。この会議では、「当局」から、仏教とキリスト教が敗戦後の道徳上の問題について一致協力要請せいされていたが、「キリスト教伝道師の中の二、三人が『キリスト教を以て沖縄の国教とすべし』と提案したためにこの会合は失敗に終わった」とある。

1946年、仏教とキリスト教を中心に宗教連盟を結成する構想があったといわれているが、結局挫折している。翌年にも、このような会合が開かれたのだが、その間の事情はキリスト教側からの史料では余り見えてこない。その他、1949年に沖縄仏教会が護国寺で再組織。1951年、沖縄仏教会と沖縄キリスト教会(原文には「キリスト教連盟」とあるが、これは誤り)が主体となり「沖縄平和連盟」が結成され、「世界平和促進に協力」とある。1952年5月、仏教会とキリスト教会主体となって「沖縄救癲教会を創立」とある。

こうした仏教との協働の取り組みは、キリスト教会側の史料では、どういうわけか、余り記述がない。これは、米軍による占領下での両宗教の関係を象徴しているのかも知れないと感じた。

それから、キリスト教関係の記述についてもいくつか気になったことがあった。キリスト教に関しては、沖縄キリスト教会、バプテスト教会、沖縄聖公会、セブンスデー・アドベンチスト教会、カトリック教に分けて記述されている。沖縄キリスト教会の記述については、1940年代後半はほとんど當山正堅のキリスト聯盟とであるという印象がある。

以上。詳細については、またの機会にしたい。

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2008年3月20日 (木)

沖縄のキリスト者〜その、いくつもの顔〜

夕方、ホテルに帰って、朝買った『琉球新報』に目をとおすと、「『殺され、なぜ殉国死』 沖縄戦犠牲者の合祀批判」という記事の写真に、たったいままで話をしていた人の苦渋に満ちた顔を見た。向かって左から2目はNさんだ。

Nさんは、見るからに篤実なクリスチャンである一方、ご夫婦とも社会問題に高い関心と見識を有している方でもある。そのNさんは2002年に今回と同様の訴訟を起こす。Nさんの姉上のお一人M子さんは、沖縄戦で「ひめゆり部隊」の一員として伊原第三外科壕でなくなられている。M子さんはその後1955年に家族の了解なしに靖国神社に合祀されたという。この間の経緯は、Nさん御自身がその訴訟でしめされた「原告意見陳述書」に詳しい。

そして、Nさんの信仰に基づいた思想と行動は、Nさんのお父上のそれと繋がっている。だから、Nさんの語る姿はとてもおだやかなのだが、揺らぎがない。

その一方で、きょう、Yさんという信徒と面会した。彼のお父上も、Nさん同様、戦後沖縄のキリスト教伝道草創期を支えた牧師の一人である。Yさんは、日本キリスト教団ではない別の教派の信徒だが、沖縄の他のクリスチャン同様、他教派の事情には関心があるらしい。それで、教団のN中央教会のあららし牧師の人事や、自家用車の横っ腹に反基地のスローガンを書いている牧師のことを指して、牧師が沖縄の社会運動や政治問題に関わることに疑問をしめされた。

Yさんの考え方はわたしの考え方とは違っていて、わたし自身はどちらかというとNさんの考えに近い。しかし、Yさんの考え方もアリで、決して頭から否定すべきではないと思う。そう感じたのは、ここ数ヶ月のYさんとのやりとりからだ。Yさんは、Yさんなりに、信仰にかけて、筋を通そうとして上司と常にぶつかっていたお父上のことを、非常に親愛を込めて、肯定的に評価されている。

教会や牧師、信徒の社会運動や政治運動に消極的で、常に聖書の御言葉を生活の基盤として、絶えずそれを口にしながら、それに忠実にあろうとする信徒は、沖縄に多い(社会運動や政治活動に熱心なキリスト者が、聖書を軽んじているということはないのだが)。そのような信徒でも、やはり、抑圧や権力の横暴には敏感で、権力や権威とは距離をとりながら批判するところは批判している。

わたしは、Nさんのような仕草や表情が作れるキリスト者になりたいと思う。だからといって、Yさんの信仰を否定したりすることはできない。そんな権利はないのだ。

さて、明日は、どんな沖縄のクリスチャンやノン・クリスチャンに出会えるのだろうか。

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2008年3月19日 (水)

雲の上を行く

午前中神戸空港を経って、昼すぎに那覇空港に着いた。途中、荒天から雲の上にでるまでは少し揺れたが、厚い雲を抜けると安定した。しばらくすると機長のアナウンスがあった。

当機は、ただいま鹿児島の東の上空を通過中です。…(中略)…当機は、現在、高度約38,060フィート、11.6km、対地速度時速約750㎞で航行中です。

高度を「㎞」で聞いたのは多分初めてだと思う。「11.6㎞かぁ。『㎞』でいわれると、実感が湧く」と妙に感心しながら、窓の外に目を落とすと、真っ白い雲のフカフカのジュウタンが広がっている。しばらく、その白さと、なめらかさに目を奪われていると、直に妙な気分になってきた。窓の外の景色が全く変化しないので、乗っている飛行機がまるで止まっているような錯覚が襲ってきた。しかし、現実には、この飛行機は「対地速度時速約750㎞」の高速で那覇に向かって南下しているのだ。

その美しい風景と不思議な感覚にひたる中、ボンヤリとこれからの研究のことを考えていると、飛び立ってから現在までのことが、いまの「沖縄戦後キリスト教史」研究についてのわたしの歩みと重なって感じられた。約10年前、この研究をはじめた時、つまり、滑走から離陸の時には、ほとんど先行研究もなく、手探りの状態が続いた。しばらく沖縄に公文書館や図書館、沖縄教規資料室に通い詰めて来る日も来る日もあるかどうかも分からない「史料」を探していると、このまま目的地に到着することはないのではないかという感慨にいくどともなく襲われた。つまり、教の荒天で喘ぎつつ、ふらふらしつつ、エンジン全開で上昇するこの飛行機のようだった。

そして、今。「見つからないのでは………」という焦燥感は消えたが、かわりに、やってもやっても進んでいるように感じられない新しい感覚に捕らわれはじめている。

でも、心配は無用。の様な気がする………。飛行機は次第に高度を下げ、雲の中に突入すると、とたんにがたがたと揺れはじめた。そして、また急速に高度を下げると(「嘉手納ラプコン」のせい)、鉛色の海が見えはじめた。そして、10数分。那覇空港にランディング。

きっとそうなのだろう。これから、もう一山あって、次第に研究の最終地点が見えてくる。曇り空だが、雨は降っていない、暖かい那覇の街を歩きながら、そう思った。

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2008年3月16日 (日)

「集団自決」を心に刻んで

証言沖縄「集団自決」―慶良間諸島で何が起きたか (岩波新書 新赤版 1114) Book 証言沖縄「集団自決」―慶良間諸島で何が起きたか (岩波新書 新赤版 1114)

著者:謝花 直美
販売元:岩波書店
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わたしとほぼ同世代の沖縄タイムス編集委員の著作だ。戦後生まれの著者が、「慶良間諸島へ毎週通いながら取材を重ねた」(p221)結果生まれた貴重な証言集である。これほどはっきりした証言があり、しかも、複数の証言の中にはそうとうの共通部分があり、それぞれが、違った立場、違った状況下でしている証言だけに、併せて読むと、より立体的に歴史的事実が浮かんでくる。

こうした「事実」がありながら、文書の不在を根拠に、今ごろになってその「事実」を否定しようとする者たちがいる。

沖縄戦の真実と歪曲 Book 沖縄戦の真実と歪曲

著者:大城 将保
販売元:高文研
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ここには、教科書検定の際の「集団自決」記述をめぐってのできごとと大江健三郎と岩波書店が元軍人とその遺族に訴えられた件の顛末が詳しく書かれている。ここには、沖縄戦での「集団自決(強制的集団死)」への日本軍の軍命・関与を否定するために、どのような問題の矮小化と詐術が、どのような場で行われたのかが詳述してある。つまり、「集団自決」に関する訴訟を起こし、それを理由に教科書検定を“後退”させる。このような試みは、従軍慰安婦や南京大虐殺を否定する主張を展開する時にも用いられたもので、それらを否定しようとする人脈は、繋がっているというのである。このようなことは、一部では周知のことであったが、本書で、認識を新たにした。

軍命は必ずしも文書で伝達されるものではない。わたしは以前沖縄に侵攻した米軍が日本軍から押収した「公式文書」群をマイクロフィルムで見たことがある。そこには、ありとあらゆる(と思われるほどの)命令書が前戦の部隊と司令部との間に交わされたことが見て取れた。弾薬・糧秣等々の要求と補給、 進軍計画などが細かく報告され、指示されていた。それをみながら、わたしは、戦争とは一面で、官僚機構による行政的な行為であることを知った。

しかし、だからといって、「集団自決」を命ずる軍命が、それらの文書群に存在しないことを根拠に完全に否定されるわけではない。それに加えて、軍の関係文書の大半は敗戦前後に破棄されていると見られる。自ら破棄したものを、あるいは、同じ勢力が破棄したことを確信した上で、“それ”はないと主張し、「真実」は隠蔽し、「事実」を歪曲する。

さて、謝花氏の地味だが粘り強く継続されてきた聞き取りと、それを可能のした氏の誠実さが閉じられた心を開いたことを、思う。わたしたちは、聞き取り調査の技能を一層磨き、その成果の社会への還元について真剣に考えたい。

この19日から沖縄へ行く。今回の調査の目的は「集団自決」とは別のところにある。しかし、わたしが研究の対象と指定戦後の沖縄の人びとは、多かれ少なかれ、「集団自決」や日本軍による虐殺、そして、米軍支配の暴虐を体験した人であることは、しっかりと心に刻み、調査にのぞみたい。

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