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2008年7月20日 - 2008年7月26日

2008年7月25日 (金)

様々な実感(雑文)

先日、赤坂から銀座まで歩いてみた。東京で移動するときには、ほとんど地下鉄なので、実感はなかったが、こうして歩いてみると、巨大だと思っていた東京も案外広くないことがわかる。

そして、容赦なく照りつける夏の日差しが、わたしの身体に“今年の夏”の実感を植え付けた。その炎天下、休まず、小一時間、あるいは、2時間以上を歩き通せた実感が、心地よかった。

さて、銀座について久しぶりに教文館というキリスト教書店に立ち寄った。キリスト教史や沖縄のキリスト教についてはめぼしいものはなかったが、他では手に入れることが難しい学術雑誌を2冊と、『教団新報』(日本キリスト教団の機関誌)3号分を手に入れた。

同じ建物にある喫茶店で、汗まみれになった体を休めながら手に入れたばかりの『キリスト教社会問題研究』を開いた。この雑誌は数年前までわたしも活動をしていた同志社大学人文科学研究所が主催する「キリスト教社会問題研究会」の年刊誌である。最新号は昨年の4月に亡くなられた、T先生こと田中真人先生の追悼号であった。

研究会で顔を見知っている方々が、何名か、追悼の文章を載せておられた。そのうちのお一人は、先日亡くなられた土肥昭夫先生である。また、研究補助者として働かれていた方が、大学のポストに就かれていたりしたことを、そこで初めて知った。

喫茶店の生ぬるい冷房のなかで、それらの追悼と田中先生の思い出の文章を読んでいると、研究会での出来事がよみがえってきた。なぜか、とても、遠い日の出来事のような感覚であった。

そして、、また、それでも、田中真人先生が逝ってしまわれたという実感が、まだ、ほとんど、わたしの躯や、こころのどこにも、わいてここないことが不思議であった。ただ、心の目が同志社人文研に向けられ、目をつぶってあの暗い階段を昇っていくことを目の裏側に再現すると、その先に真っ黒な、そして、空疎な、空間が最近広がりはじめている。

実態のない実感だが、確かに、何かが、とても遠くなりつつあるのだ。

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