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2008年11月16日 - 2008年11月22日

2008年11月17日 (月)

明日の神話(改)

※ 試しに、携帯でブログに投稿してみたので、文章を打ち込んでいませんでした。

岡本太郎の「明日の神話」です。東京・渋谷の京王井の頭線へ向かう通路では、数ヵ月前から工事が行われていいました。この日(今月17日)夕方に通りかかると、完成していました。当分はガードマンがつくそうです。

     明日の神話
 

         明日の神話

さて、わたしは、どちらかというと「広島贔屓」なので、この壁画、やっぱり広島にあるべきではないかと思う次第です。しかし、この通路、どこにそんなにひとが住んでいるのか、一日に35万人の人が通るそうです。35万人といえば、宝塚市の人口の約1.5倍。高知市や吹田市の人口に匹敵する規模。多くの人に、見てもらいたいということなのでしょうか。

この日は、最初だからみんな(わたしもそうですが………)携帯をかかげて、ぱちぱちやっていました。しかし、毎日眺めていると、風景化しそう。35万人とときどき通るひとり(わたし)は、何を思うことなく、通り過ぎていくような気がするのですが。

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2008年11月16日 (日)

問われる歴史観〜首里教会創立100周年とベッテルハイム沖縄伝道162周年〜

沖縄の首里教会(現在は日本キリスト教団)は、今年、100周年を迎えた。世の中は、「プロテスタント日本伝道150周年」、そして、先日の「植村正久生誕150周年周年」と、「周年記念」が続いている。

首里教会創立100周年の記念式典の後、1846年に来琉したベッテルハイムの講演が成されたのは、沖縄のキリスト教のある種の特色を表している。そして、壮大なアイロニーにも見えた。

1908年沖縄県公認の首里教会(日本メソヂスト首里教会)は、その頃の沖縄教会でも最も早い時期に教会形成を行っている(那覇地区の教会の方が教会形成の時期が早い)。だとするとベッテルハイムが1954年に離沖した後、1900年までの約40〜50年間、沖縄ではキリスト教の空白期に当たるということだ。

この空白期が生じた原因を、わたしは、かつて、「日本伝道への橋頭堡」ということばで表現した。つまり、中国伝道に行き詰まりを感じていた欧米各教派の宣教師たちは、そして、それらの宣教師を派遣している教派は、日本伝道に教勢のさらなる拡大の可能性を見出そうとしていた。しかし、日本は「鎖国(海禁)」状態で、キリスト教の禁令が布かれていた。そのため、宣教師・宣教師団は、まず、当時の琉球王国に到来し、日本開国の時期をまった。そして、日本本土でキリスト教が「解禁(実際には、黙認)」されると、日本本土に殺到し、沖縄の魂はほおっておかれた。そして、19世紀末になって、やっと、日本人による沖縄伝道が開始された。

この時点での沖縄伝道には、もちろん、欧米の宣教師も参加していた。そして、説教等は日本語で成されたのではないかと、わたしは推測している(なかには、沖縄のことばの達者な日本人牧師もいたらしいが)。沖縄人に対して、日本人の牧師が、日本語で説教をする。これは、朝鮮半島でも、台湾でも見られた構図だ。その一方で、これらの日本人牧師は、沖縄の青年に重大な感化を与え、そして、その感化をうけた幾人かは本土で活躍をする宗教学者になり、沖縄で伝道をする沖縄人伝道者となった。

首里教会の100年は、こうした、《 ベッテルハイムの沖縄伝道 → 50年にわたるキリスト教伝道の中断 → 19世紀末の日本人伝道者による沖縄伝道の開始 → 沖縄人伝道者の育成》の延長上にある。そのことを、まず自覚しなければならない。

そうすると、1846年からのベッテルハイムの沖縄伝道は、沖縄におけるプロテスタント伝道の端緒となり、当時は、まだ、独立王国であった琉球王国を、現在の国境線に則りそれを日本の一部であると解釈すると、それは日本伝道の端緒であると評価しうる。しかし、それは、直ちに現在存在する沖縄の教会の起源であると言い切れるのであろうか。

ベッテルハイムの沖縄伝道では、さきの首里教会創立100周年の照屋善彦氏の講演によると、数名の受洗者を得たという。しかし、それらの受洗者、あるいは、その子孫が今日の沖縄教会に連なっているのだろうか。その可能性は、限りなく低いのではなかろうか。だとすれば、19世紀後半は沖縄ではキリスト教伝道が断絶していたことになる。そして、沖縄戦だ。当時の伝道者の大半は様々な理由と名目で日本本土に「疎開」した。また、ある伝道者は戦場で落命した。しんとも、然り。疎開する者、戦場死する者。そして、1945年4月頃から米軍従軍牧師(チャプレン)の支援で集会を開き、やがて、教会堂等を整えていくことになった。それが、今日の沖縄教会に連なっているのであって、沖縄戦で戦前の教会とは断絶をしていることになる。

だから、首里教会の「100周年」はおかしいといっているのではない。そのような例は、他の日本の都市、とりわけ、原子爆弾で破壊された広島でもある。しかし、その断絶を、歴史家は漏らさず記述し、その「断絶」の意味を厳しく問うていかなければならないと思う。

それから、もうひとつ、首里教会の100周年で、腑に落ちないことがあった。それは、その「100周年」で日本メソヂスト教会に属していた「日本メソヂスト教会首里教会」(大保富哉牧師)のみが強調され、まったく無視されていた「日本基督首里教会」のことである。この教会は、1910年代に創立。沖縄人の伊江朝貞が牧師を務めた。この教会はおそらく日本基督教団首里西部教会となり、沖縄戦の前まで、多くの琉球讃美歌を残している新垣信一牧師が牧会をしていた。さて、首里教会の戦後2番目の牧師に就任した仲里朝章は、戦前の信仰歴等々や戦時中の働きからいっても、日本基督教会の系列にはいるはずである。首里教会が創立100周年で、この旧日本基督教会系列の「首里西部教会」を全く採りあげないのであれば、この教会は、その後どうなったのであろうか。

ひるがえって、今日の日本基督教団と沖縄の教会(同教団沖縄教区)との関係でいえば、両者の対立の要因は主として両者の歴史認識の相違にあるといってもいい。だからこそ、歴史はだいじにしたいものである。

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