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2008年2月10日 - 2008年2月16日

2008年2月16日 (土)

剣道着で水泳を〜“謎かけのような息継ぎ”〜

剣道着を着たまま、水泳をするのは、大変難しいと思う。下手をしたら、溺れ死んでしまう。溺死はしたくないので、必死で泳ぐ。必死で泳ぐけれど、そうすればそうする程、胴着は重いし、裾や袖はじゃまやし、面をかぶったままでは息継ぎもできません。もう溺死寸前です。

しかし、遠のく意識の中で、思うことがあるのです。必死でやれば、それなりに、得るものも多い。それに、わたしは、結構こうゆうの、好きなんです。

ということに、一生懸命やっていたら、気がついた次第です。これからも、みなさん宜しく。

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2008年2月13日 (水)

霜柱〜沖縄での事件についてと「寒い感慨」〜

東京は寒い日が続いています。朝、公園を歩いていると、霜柱が立っていました。久し振りに見る霜柱。あっちにも、こっちのも。かなり大きいものもありました。それを、踏んでみました。すると、「寒い感慨」が身体の中に、湧いてきました。

霜柱は、寒い冬の日の、朝方だけ、出て、陽が昇ると融けてしまいます。
霜柱は、踏むとばりばりと音がして、靴の裏に軽い刺激があります。が、痛いというわけではありません。

沖縄で事件が起きて、それがたまに、思い出したように、本土で報道される。しかし、それは、靴の裏からの軽い刺激であって、決して、自分の足が痛む程ではない。そして、それは、日がたつと、消えてしまう。その間に、全く悪質な、論点のすり替えが起こり、達観と諦観により、物事の本質は稀釈されていく。

そんなことを、どのくらい、くり返すのでしょうか、この国は。

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2008年2月12日 (火)

スティグマ〜歴史の「傷」〜

詳しくははくことが出来ないが、今から60年も前に受けた理不尽な「傷」の「物語り(ナラティブ)」を聞く機会があった。わたしは、できれば、その「傷」のもとになった物事の仔細を明らかにし、傷つき、貶められ、卑しめられた人がいるとしたら、その汚名を雪ぎたいと思う。

包帯のような嘘を 見破ることで
学者は世間を 見たような気になる
       (中島みゆき「世情」)

わたし(たち)は、人が隠そうとしていることも、結果的に暴くことになる。汚名を雪ぐこともあれば、こうあり、名を遂げた人物の「虚像」を剥ぐこともある。それは、歴史の調査や記述がわたしなりの“闘争”の手段である以上、さけられないことである。しかし、現に生きている人の生活の平安や心の安定を、かき乱す権利など、研究者にはないのだということを、同時に感じている。

「歴史」になりきっていない「歴史」が、今のわたしの課題には存在している。それを、歴史化し、公の場に引き出してきて、公平に評価していくことが、わたし(たち)の使命であるのだが、もう一歩踏み出すことに、逡巡している。だから、長期戦で、粘り強く、対話と働きかけを続けていく他に、途はない。

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早朝の那覇を発って〜「東京」というギャップ〜

未だ、朝が明け切らぬ中、モノレールに乗って那覇空港に向かった。今回は3泊4日という短い時間であったが、また、いろいろ収穫があった。そして、今回も沖縄では事件が起こり、どうやら号外(これと、これ)も出たようである。この件については、また、しばらくしてコメントを書くつもりだが、そんなことが起こっている沖縄を、心残りながら、離れた。

そして、関空着、伊丹経由で東京にやってきた。

わたしは、四国の海辺に近い田舎町で生まれた。一番近い“大都会”の松山の市街地まで、30分に一本の路線バスを待って、時々連れて行ってもらうことが、子どもながらにとてもうれしかったことをおぼえている。その後、少し大きくなって、世の中には松山よりももっと大きな“大都会”が、たくさんたくさんあることを知った。そんな“大都会”にも住むようになった。それでも、いまだに、わたしは田舎もので、“大都会”の雑踏に出て行くことが、本当に苦手なのだ。休日、家を出るのが億劫で、結局一日家にいるのは、外出がイヤなのではなく、あの三宮やその他の雑踏が苦手なだけなのだ。

ところで、朝までいた那覇も、近年、とみに“大都会”化していて、泊まっていたホテルがあった「おもろまち」周辺は、「新都心」と名付けられ、開発が進んでいる。休日で、久し振りに太陽が顔を覗かせた昨日、「サンエー那覇メインプレイス」という巨大ショッピングモールの周辺は、駐車場待ちの車で大渋滞していた。また、その周辺には高層のマンションやホテルが次々と建ちはじめている。しかし、そのような“表通り”をはなれると、そうではないところが、まだ、何処にもある。「開発されていない」というよりも、「取り残された」という印象があるのは、それだけ両者のギャップが開いてきたからなのだろう。

そんなところから、東京に来たわけだが、ここにはここだけの世界と雰囲気がある。そして、それと接するたびに、わたしは違和感を抱いていて、いっこうにこの首都に馴れない。さて、この地でも、昨日の沖縄の事件は語られている。随所で語られている。国会で、政府で、そして、街中でも。しかし、それらの言説は、沖縄のそれとは違っている。その事件そのものに関する関心の持ち方や視点が全く違っているのだ。それは、政府だけではなく、民間の企業でも、一般の住民にしても、そうなのだろう。

東京には、「怒り」がないように思う。それだけ冷静なのは、やはり距離感があるからなのだろう。「距離感」、そして、その「ギャップ」。これらは、事件そのものに対する皮膚感覚にも存在している。あるいは、“狙われている”という切迫感、危機感に対する「距離」と「ギャップ」なのだ。

いつも書いていることだが、これは、キリスト教についてもいえることだろう。沖縄の教会に歴史などない。あっても、それは本土の中央教派・教団の伝道地、いわば、植民地か新領土としての「伝道される」歴史があるだけだ。──と、本土教団史には書かれていて、今の教団の執行部はそう思っているのだろう。

しかし、それだけではない。日曜日に出席した首里教会の礼拝では、沖縄に「研修」に来たという東京のどこかの支区の一行(といっても、牧師と信徒の計2名だったが)が等々と自分の思い出話をかたり、自分が如何に沖縄に縁があるのかについて語っていた。しかし、肝心の沖縄で何を見、何を感じ、自らが何をしなければならないと感じたかについては、結局何も語られはしなかった。礼拝中の新来者“挨拶”とは、元来そのようなものかも知れない。しかし、“研修”で何程のことを学んだのか、それを自己確認ヲしなければならないといった姿勢はないのではないかと、わたしはその人たちのことを見て感じていた。

東京の大教会や大教会からの間接的支援を得ている東京の教会が、沖縄のことを理解するのは、自らの思考を逆転させたり、自らの価値観を一端白紙にしなければならなかったり、いろいろ大変だと思うのだが………。

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