そして、それは、だれのものでもない。
話題のNHKの朝ドラ「ちりとてちん」のなかにこういう場面はあった。正確な表現ではないが、
落語家にとって落語というものは、飯の種です。けどそんな大事なもんを師匠たちは、一銭のお金を取るでもなく惜しげも無く教えてくれはるんですね。そないして伝わってきたっていうところが、落語の素晴らしいところだとわたしは思うてます。
つまり、落語というのは落語家の共有財産だから、個人や一門がそれを独占するのではなく、請われれば、自分の弟子ではなく、他の師匠の弟子であっても、稽古代をとるでもなく、レッスン料をとるでもなく、快く、気前よく教えてくれる。落語というのは、そういうことをずーっと続けて、代々伝えられてきた伝道芸のであるというのである。
これは、実は、学問の世界にもいえることである。わたしは保育所から大学院の博士後期課程までずっと公立学校に通ってきた。だから、いまわたしの「飯の種」になっている学識(たいしたことはないのだが………)は、実は自分の努力だけではなく、自分の「師匠」だけではなく(わたしには、実は、これというはっきりとしたひとりの師匠はいないのだが)、他学の「師匠方」、上の学年や同級生、下の学年の学生たちのおかげで修得できたのだ。そして、そこには、膨大な公費…国費が投じられている。金の話をこんなところですると汚いようだが、だからこそ、わたしの知識や経験、学問の方法論等々は学界や教育の場での共有財産ということになる。
だから、自分の弟子にだけ、「一子相伝」で伝えるべきものではない。また、自分の大学の、自分の学部の、自分の学科の、自分のゼミの学生のみに伝えるべきものでもない。請われれば、わたしはわたしの知り得たすべてを公にする義務があるのだ。本の出版というかたちであれ、論文の公表というかたちであれ、講義・講演というかたちであれ、学会発表というかたちであれ、とにかく、すべてを公にする義務がある。このブログでも然り。
わたしは、今、大学で教務委員という仕事をしていて、非常勤講師をお世話する立場にある。来年度も、わたしたちの大学、わたしたちの学部、わたしたちの学科では本来教えることができないことを研究しておられる専門家の方々が、その知識や学識を惜しげもなく、大学の枠を越えて、わたしたちの学生に教えて下さることになっている。実に、ありがたいことである。
大学の非常勤講師については、すでに他大学で専任の職にあるものが出講することに対する議論があることは承知している。非常勤の職は「限られたパイ」なのだから、すでに他所で給与を得ている研究者は遠慮すべきであるという論理は、それは、それで、筋が通っていると思う。しかし、同時に、公共財である個々人の「学識」を請う者ならだれにでも公開すべきであるという主張は正当であろう。
さて、わたしは、それらの人びとと比して、どれだけの者をこの社会に還元できているのだろうか。それを考えると、甚だ心許なくなってくる。
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