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2009年6月21日 (日)

「150周年」派と「地方伝道史観」批判〔一部改訂版〕〜新たな伝道と「地域教会」の確立に向けて〜

さて、さまざまな批判がありながら、「日本プロテスタント宣教150周年記念大会」が強 行されようとしています。「強行され」ということばは、多分に主観的なことばです。しかし、批判を強引な論理で排除しながら、自己を正当化しなければなら ない事態は、やはり「強行」といわざるを得ないのではないでしょうか。そして、このような構図が、今日の、そして、それは、150年前、あるいは、163年前、あるいは、それ以前のキリシタンの時代から未だに克服されていない日本のキリスト教の問題点を、クリアに映し出しているのではないでしょうか。

大会主催者のHPやいくつかのブログ・日記等をみていると、論点は大体次の一点に尽きるでしょう。つまり、ベッテルハイムの琉球伝道を、「日本プロテスタント伝道」史のなかにどう位置づけるかということです。これをめぐって「150周年派」と「163周年派」は対立しています。

ところで、「150周年派」が作ったHPのなかのビデオ「日本プロテスタント宣教150年の流れ」 という文章のなかには、

既に1846年にベッテルハイムが沖縄(琉球)に来日し、聖書を琉球語に翻訳するなど、宣教活動に尽力しておりました

という一文が見えます。ここでは、「150周年派」の公式的見解として、ベッテルハイムは今から163年前の1846年に「来日」しているとの認識を示しています。つまり、「150周 年派」は1846年の時点で琉球は日本であると彼らは考えているということです。そのうえで、ヘボン・フルベッキ(ヘップバーン・フェルベック)やウィリ アムズよりも前にプロテスタント宣教師たるベッテルハイムが「日本」で伝道を開始しており、聖書の翻訳も手がけているという認識を、「150周年派」は公式に表明しているのです。

まあ、この時点で、「日本プロテスタント宣教150周年」という論理は、破綻しているわけです。しか し、わたしたちが汲みとみべきなのは、わたしたちの内部にある「琉球・沖縄観」なのではないでしょうか。ここには無意識のうちに、琉球、あるいは、沖縄を 「日本」の範疇に併呑したり、排除したりする日本人固有の意識が現れており、残念ながら「150年派」の方々にもそれがあるということです。

(※ いらぬツッコミですが、今から150年前には、現在の日本につながる「日本」は存在しておりません。)

さて、この問題を考えるためにはベッテルハイムにとって沖縄伝道とは何だったのかや、沖縄にとってベッテルハイム伝道はどんな意味と影響を与えられたのかについて丁寧に考えなければならないと思っています。これは、この秋までのわたしの研究課題です。

ベッテルハイム来琉の100周年は1946年。つまり、敗戦の1年後。沖縄は戦後の混乱期で、米軍の占領統治がはじまりかけていましたが、まだ相当 数の民間人が捕虜収容所で生活をしていた時代です。だから、沖縄では、ベッテルハイム来琉100周年記念など祝っておられる余裕もなかったと推察されま す。

それでも、ベッテルハイム離琉の100周年記念である1954年に、100周年が沖縄全体で祝われています。琉球政府文教局ベ博士百年記念祭實行委 員會『伯徳令−−ベッテルハイム博士滞琉百年記念誌』 (1954年)も出版されています。この資料は未見ですが、ベッテルハイムの「離琉」を祝ったわけではないと思います。

この件の詳細は、後日ということで。ここでは、これまでに余り触れられてこなかった論点について述べたいと思います。

先述の「日本プロテスタント宣教150年の流れ」というビデオでは、1859年に横浜にやってきた欧米の宣教師がその後信仰を得た日本人クリスチャ ンと共に「文明の宗教」たるキリスト教を地方に伝えていったというストーリーが述べられています。「文明の宗教」ということばはそのビデオには出てきませ んので、わたしの解釈です。つまり、「150周年派」の人たちにとって、今回の「150周年」とは近代的なキリスト教が未開・半開の蛮地である「地方」への伝道」を開始したその起点としての意味ももっているということです。

明治初年の「地方」社会がどうなっていたかについては、さまざまな研究があります。

新政反対一揆、自由民権運動、地方三新法体制、松方デフレ、農民層分解………。

ま さに急速な近代化に直面し、混沌としていて、狼狽えており、不安や不満の渦巻く「地方」に、キリスト教は伝えられたのです。そして、そこで伝えられ、地域 の住民(民衆)に受容されたキリスト教は、欧米人宣教師やその感化をうけた日本人の指導的な牧師たちの伝えたキリスト教徒同一のものであったと言えるで しょうか。わたしは、かねてからそこに疑問を持ってきました。

さきのビデオのなかに今回の150周 年の先駆けとして、50周年、100周年の時の集会と共に、明治初年3回にわたって東京・大阪・京都で開催された「基督信徒大親睦会(基督教信徒大親睦 会、基督教徒大親睦会ともいう)」も挙げられていて、この大親睦会を起点として「リバイバル」が起きたと述べられていました。

これは、果たして事実なのでしょうか。確かに、1883年の東京での大親睦会とその前の横浜での初週祈禱会を起点として、同志社やわたしが以前調査 した岡山県の高梁でもリヴァイヴァルが起こります。しかし、それは、東京や横浜といった当時のキリスト教の《中心=中央》でのリヴァイヴァルとは全く異質 のものではなかったと思うのです。

同志社では下級生から上級生にリヴァイヴァルが伝播し、学生たちはついに期末試験を投擲して全国伝道に行かせよと日本人教師や宣教師に詰め寄りまし た。また、当時、「地方」で散発的・自然発火的に、そして、澎湃として起こったリヴァイヴァルは求道者が発火点になっていて、それが次第に信徒回想の底辺 から頂点に伝播していきました。そして、ついには、未信者・求道者が神の御声を聴き、神の御姿をみたといって、そんな経験のない牧師に悔い改めを迫るとい う事態が至る所で起きます。

これは、キリスト教というよりも、この時代に近代化による地域社会の激変にともない全国各地で同時多発的に起こった丸山教や富士講などの民衆宗教に おけるオルギア(オージー、Orgy)と共通点の多い、民衆的運動であったと思います。わたしは、それを社会の周辺・辺境で起こった苦境・難儀に対応する 自然な対応として起こったリヴァイヴァルだとして、そのようなリヴァイヴァルを《フロンティア=辺境》型リヴァイヴァルと名付けました。そして、宣教師や 指導的な日本人牧師が人為的に起こした《伝道集会=中央》型リヴァイヴァルと対置させたのです。

この時期に澎湃として「地方」でわき起こったリヴァイヴァルは、教会が建設される以前に起こったものもありました。「150周年派」のひとたちは、これらを自分たちの正史に組み込むために、その内容には敢えて触れず、自分たち(の直系の人々)が起こした「リバイバル」が全国に伝わり、それによって自分たちのキリスト教が根づく契機となったという一種の虚構を作り上げてきたのです。

しかし、実際には、こうした「地方」でおこった《フロンティア=辺境》型リヴァイヴァル対して、当時の教界中央の宣教師や日本人牧師たちは、冷笑したり、恐れを抱いたりして、結局、これらの動きを封殺しようとしたフシがあるのです。その意味で、「150周年派」の人々の主張は、「地方」に伝わった横浜から伝えられたキリスト教とそれを受容した人たち・教会の信仰の相違を無視しているし、各地でつくられた教会の設立史と発展史の自立性と多様性を認めていないように思うのです。

いまから150年 前に横浜に伝えられたキリスト教は、横浜や東京のキリスト教の源流になったとは、かろうじて言えると思うのですが、それを「日本の源流」といってしまう と、それはとても政治的な色彩を帯びてきてしまうように思います。つまり、明治以降の日本のキリスト教会はそれが伝播する際の民衆的な契機を冷笑し、抑制 することで、それらと切り離した形で「文明の宗教」としてのキリスト教を「地方」に移植していったということです。

そして、もう一歩踏み込んでいえば、今日の日本でのキリスト教の低迷(明治以来、何度かの「キリスト教ブーム」のとき以外はずっと続いていますが)は、まさに「150周年派」の直系の先輩たちが日本におけるキリスト教土着の民衆的契機を踏みにじったことに由来すのではないかとわたしは考えています。そのような意味で、「150周年派」の方々の脳髄にしみこんでいるこうした「地方伝道史観」を、彼らがいまだに放擲し得ないという事実が、今日の教界をも混乱させているのではないかと思うのです。

そうです、問題は沖縄の諸教会への伝道をどう考えるかでもありますが、それ以上に「地方」の教会の自立性や独自性の問題でもあります。だからこそ、それぞれが「150周年派」に簒奪された各個教会史を奪還し、それを糧に地域社会にいかに伝道していくかを考える契機にもなると考えますが、みなさんは、いかがお考えでしょうか。




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お風呂が沸くまでの間にちょっと一言。 本日職場でプロテスタント宣教150周年の話が出ましたが、ほぼ全員が敵の場で、しかも時間がなくて発言することができませんでした。あーあ、CHIKENなわたくし。本当はこれを何も知らない皆さんの前でハッキリ伝えたかったのに。わかってくれそうな方々にだけこっそり資料をお渡ししましたが、どうも物足りないので物申す。 結論から申し上げると150周年の基点を何年にするか?ということがその人の立場を表明することに繋がるってことなんですな。プロテスタント最初の宣教師... [続きを読む]

受信: 2009年12月 2日 (水) 23:59

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