« 2009年2月22日 - 2009年2月28日 | トップページ | 2009年3月29日 - 2009年4月4日 »

2009年3月22日 - 2009年3月28日

2009年3月24日 (火)

本を探しています。

書きの本を探しています。御存知の方は、御一報下さい。

◎ 松岡政保『波乱と激動の回想─米国の沖縄統治25年─』(1972年)

Webcat Plus」で検索したら、全国で6つの図書館に所蔵されていることがわかったのですが、借りるより、出来れば買って手元におきたいと思っています。「日本の古本屋」で見つけたのですが、一足違いで店頭で売れてしまったそうです。

松岡政保は1964年から68年まで琉球政府行政主席だった人ですが、1945年には沖縄諮詢会の工務部長をしていました。彼のことは、当時の沖縄のあるキリスト者の日記にしばしば登場します。戦前に米国留学の経験があり、英語が堪能で、沖縄人と米国人の間にたってしばしば通訳をしていたそうです。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年3月23日 (月)

春の日に〜二度と会わないかもしれない、あなたへ〜

【卒業祝賀会での挨拶】

1989年。今からもう20年も前にことになるのですが、中国で天安門事件という大事件がが起こりました。その時、わたしは大学院生だったのですが、5月頃から、まじめだった中国や台湾の留学生がたびたび授業を休むようになりました。そして、学内の隅っこで肩を寄せ合いながら、なんだか深刻な話をしていたことを思い出します。そして、6月4日。それからしばらく、課の留学生たちは講義どころではなくなったのでした。

その時は、留学生は友人だったので、同情はしており、「当事者は大変だなぁ」と思ったのです。しかし、どこか他人事でした。わたしの身には、わたしの国にはそのようなことはおこりっこないと。しかし、その後、阪神大震災や地下鉄サリンなど、多くの大災害や事件を経験して、それが決して他人事ではないことがわかってきました。

きょうは、皆さんへの餞に、この天安門事件のことを歌った歌を歌います。

事件が起こってから次第に真相が明らかになってきたある日のこと。テレビの音楽番組でこの事件のことを題材にした歌が紹介されたのを偶然聴きました。爆風スランプの「おお BEIJING」(作詩:サンプラザ中野 作曲:ファンキー末吉)という曲でした。その曲に胸を打たれたわたしは、さっそくその曲が載ったCDを買ったのです。これをいうのは、とっても恥ずかしいのですが、わたしが生まれて初めて買ったCDは爆風スランプの「ORAGAYO‐in the 7th Heaven」です。

 【中古】CD ORAGAYO−in the 7th HEAVEN/BAKUFU−SLUMP

わたしたちのこれからは、何が起こるかわからない時代になってきました。そして、それらの災害や事件はわたしたちの生活に大きな影響を与え、愛や夢の行方を遮るかもしれません。この歌で、サンプラザ中野がいおうとしているのは、次のようなことではないかと思うのです。

一生懸命に生きて、なんの落ち度もなかったとしても、わたしたちは災害やテロに巻き込まれて、自分の人生を大きく狂わしてしまうことがあり得ます。しかし、わたしたちはどんな些細な愛や希望でも、絶やさずに、ほそぼそとでもつなぎ続けていれば、きっとまた愛しい人に巡り会えたり、抱いてきた夢が叶えられるかもしれないということです。だから、どうか、どんな困難に直面しても、愛や希望を決して失わないように。そんな出会いをして欲しいと願っています。

そんな想いを込めて歌います………。

 

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年3月22日 (日)

歴史のリアリティ〜「宗教と社会」学会(本年6月)研究発表予告〜

このところ取り組んでいるのは、沖縄の1940年代後半。沖縄戦後、戦禍による荒廃のなか、米軍による統治がはじまった。人々は、生きることを最優先に、必死で生きていた。そんななか、沖縄のキリスト教は再出発する。その過程で生まれた「事実」をひとつひとつ発掘し、それを当時の政治的状況のなかに位置づけたいと考えている。それこそが、いま、わたしが追いかけている歴史のリアリティだ。

それで、以下の通り、学会で研究発表をします。

・:*:・`☆、。・:*:・`★.。・:*:・`☆、。・:*:・`★・:*:・`☆、。・:*:・`☆、。・:*:・`★.。・:*:・`☆、。

戦後政治のなかの沖縄キリスト聯盟
─「新沖縄」建設をめぐる地域社会の対立と葛藤─

 発表者は、これまで主として米占領軍と沖縄のキリスト教との関係に着目して、戦後沖縄キリスト教史を捉えてきた。米軍は沖縄の軍事占領を円滑に進めるためにキリスト教を宣撫工作の一環として利用してきた。一方、沖縄のクリスチャンは、当初、米軍のチャプレン(従軍牧師)や熱心なクリスチャン兵士たちを戦後復興の同労者と考えていた。しかし、東アジアでの冷戦激化にともない占領体制そのものが変質していく過程で、沖縄教会の牧師・信徒のなかには米軍の意図に気づき、占領体制に対して異議申立の意思表示をする者もあらわれた。

 しかし、米軍との対比のみで沖縄キリスト教史を見ると、沖縄の地域社会や沖縄教会の内部にある矛盾や軋轢、また、その両者間にある緊張関係などを見過ごす恐れがある。沖縄人は、占領体制下でも、現在でも、決して「一枚岩」ではない。そこで、本報告では、1940年代後半、戦後復興めぐって沖縄住民のなかに様々な思惑が交雑している戦後政治の文脈に、沖縄のキリスト教を位置づけることで、「新沖縄」の建設を模索するなかで生じた沖縄人指導部や沖縄教会に生じた対立や亀裂、葛藤を探究していきたい。このような視座はキリスト教史研究では余り見られないものではないかと考えている。

 沖縄の戦後政治は、1945年8月15日、占領軍による沖縄諮詢会(以下「諮詢会」)の招集にはじまったことは知られている。しかし、すでに、それ以前に民間人捕虜収容所(沖縄島での戦闘の最中に米軍に保護された人々が収容された)では「市長」や「村長」の選挙(選定)が米軍も関与して行われており、その時点ですでに「政治」が生まれていたといえる。諮詢会とその後継の沖縄民政府(以下「民政府」)については議事録が公刊されている。また、諮詢会の15名の委員(幹部)のうち幾人かの手記や評伝がある。それらを見ていくと、戦後復興後と「新沖縄」の建設をめぐって、沖縄人のなかにも様々な思惑があったことがわかる。当時、「斬り込み」と称して米軍から「戦果」を挙げ、それを日本本土や台湾・中国大陸へ「密輸」する者も相次いだ。彼らにとって、戦後の混乱状況はその後の成功の足がかりとなった。また、沖縄戦でインフラや社会組織が破壊された。それゆえに、必要な情報の先取や物資の配分の権限をめぐって沖縄人のなかにも新しい「権力」や「政治」が発生する。

 この一連の政治過程では、戦後沖縄教会の中心となったいくにんかの人物の思惑が垣間見える。その者たちが中心となって結成したのが、沖縄キリスト聯盟である。1946年2月6日(「1947年1月9日」説もあり)に結成されたといわれる沖縄キリスト聯盟は、他では「沖縄キリスト教連盟」とされることもあるが、当事者たちは「キリスト教の連盟」ではなく、「救い主・キリストを頭(カシラ)とする連盟」という意味で捉えているので、報告者は「沖縄キリスト聯盟」という表記が妥当であると考えている。これに象徴されるようにこの組織については未解明の点が多くある。しかし、近年、報告者が発見した文書により、その実態が明らかになりつつある。そして、この聯盟に参加した個々の人物についても次第にその輪郭が明らかになってきている。

 本発表では、これら新資料の発見や人物像の研究の成果をふまえて、それを諮詢会・民政府の人脈・党派、政治行動と関連づけていく。そして、当時のキリスト教界の指導者たちも、「一枚岩」ではなく、現実政治のなかで対立する党派やグループにそれぞれ分かれて、それぞれの意図や思惑で活動してきたのではないかということを立証する。また、沖縄教会関係者たちは、「新沖縄」を構想めぐってそれぞれの党派・グループに別れて行動した。本報告では、そのなかでおこった対立や葛藤を実証する。

※ 第17回学術大会(大会ホームページ)
   開催日:2009年6月6日(土)、7日(日)[予定]
     場所:創価大学

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年2月22日 - 2009年2月28日 | トップページ | 2009年3月29日 - 2009年4月4日 »