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2009年4月19日 - 2009年4月25日

2009年4月20日 (月)

女性市長、誕生

わたしの勤務先は、兵庫県の宝塚市にある。そう、あの‘TAKARAZUKA’や「タカラヅカ」やら、手塚治虫やらの宝塚市である。その宝塚市で19日、市長選挙があり、女性市長が誕生した。この宝塚市では、実は、二代続けて市長が汚職事件で逮捕されているのだ。今回は、その「出直し選挙」。宝塚市は人口22万人余り。しかし、新市長は25,000票あまりで当選している。つまり、人口の10分の1。

さて、この選挙結果について、いろいろ問題はあるにしろ、わたしはそれを一応肯定的に捉えている。しかし、一部には、愚にもつかないことで、まだ何もしていない新市長を批判する輩もいる。新市長はもともと社民党の国会議員であった。いわゆる「土井チルドレン」。それで、震災のことを持ち出して(宝塚市にも「震度7の帯」が走っていた)、その時の社民党の首相の対応が遅れたので、新市長を許さないという。これは、全くの揚げ足取りである。しからば、市長が汚職事件で二代続けて逮捕され他市の市民は、その市長を選んだのだから兼で姿勢を私物化してもいいと考えているのだろうか。そんなことはない。まぁ、こんな輩の書いていることをよく読んでいると(それほど暇ではないのだが…)、けっこくじぶんが住んでいる市の市長が女だから気にくわないのだったりするのだ。

宝塚はそれほど民度が低いところではないと思う。しかし、宝塚市をよくしようという意欲には欠けているのではないだろうかと思うことがある。市民のうち、その大半は大阪か神戸で働いていたり、買い物も両脇の日本有数の大都市で用を済ますことが多いと聞く。彼等住民・市民と入れ替わるように観光客(宝塚歌劇の観劇のためが大半。その他、清荒神・中山寺か、植木を買いに来る客か)が宝塚に来る。従って、女性は子育て等があれば街の将来に積極的にかかわろうとする動機はあるが、大阪・神戸で働いていてる男性市民は何かのきっかけがない限り、宝塚市をよくすることに関心が薄いと推察される。この一種の無関心がくだんの汚職事件の土壌を培養してきたのではあるまいか。

──山深い西谷地区。宝塚が「寳塚」と表記されていた頃からの宿場町小浜地区。阪神競馬場のある住宅地旧良元村、そして、山中に開けてニュータウン。歌劇の街・宝塚駅周辺。武庫川沿いには沖縄人の集住地区もあった。

宝塚市はこのように混ざらないいくつもの地域で成り立っていて、中心というものがない街。これは、この周辺のいくつかの衛星都市でもありがちな光景である。新市長の前途は多難だろうが、ひとまず見守ってゆきたいと思う。

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国際学会の学会誌

先日、投稿をしていた『東アジア宗教文化研究』の編集委員会から便りがあり、わたしが投稿した仲里朝章論、「米軍占領下における沖縄キリスト者の思想形成─1940年代後半の仲里朝章を中心に─」の創刊号掲載が決まった。同誌は昨年8月釜山で設立総会があった(わたしも出席して発表をした)「東アジア宗教文化学会」の学会誌である。

仲里朝章という、宗教研究はおろか、キリスト教研究の研究者でもほとんど知らない人物の思想形成と占領下での葛藤についてのわたしの研究に対して、意義を認めていただいたことは、素直に嬉しいと思った。書簡には「仲里という傑出したキリスト者が」とあったが、それには少し違和感があったが、それでもわたしが本稿で意図した「戦前・戦後の世界・日本・沖縄と向きあったかを通じて、現代の宗教のあり方を根底から問い直すものとなって」いるという編集委員会の評価は、わたしだけのものではなく、沖縄の、徳に米軍占領下で教会を形成してきた沖縄の教会とキリスト者に対してなされたものと了解している。

なお、3点ほど修正意見(勧告的意見ではなくて、参照的意見であったが)があったので、期限までにできるだけいいものに仕上げて、世界に送り出したいと思っている。

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2009年4月19日 (日)

笑顔のままで

──歴史の中の人物像は、いつも眉間にしわを寄せて、困ったり、怒ったり、嘆いたり?

わたしが描く歴史の中の登場人物は、果たして笑うことがあったのだろうかということを、ふと考えはじめた。きっかけは、最近の自分のこと。

現在、わたしは、ちっとも笑えない情況にある。毎日、毎日、気がつけば、顰めっ面で歩いている自分がいる。鏡を見たら、きっと自分ではないような感じがするだろう。それに、始終奥歯を噛み締めているので、なんだか頭まで痛くなってきた。腕組みも多い。さらに、溜め息も。さらに、さらに、弱り目に祟り目とはこのことで、数日前から右足が腫れ上がっている。木製のゴミ箱に思いっきりぶつけたからだが、幸い骨折には至っていなかったが、それにしても、満足に歩行もできないでいる。

そんなわたしだが、でも、きっといつかは腹の底から笑える日が来ると信じている。

きっと本当に大変な情況にある過去・現在の人々は、わたしの直面している困難の何十倍、何百倍もの困難に耐えているのだろう。そんな人々が、笑顔でいるとはにわかに信じられないことであるが、ときに、史料を読みながらほほえみや笑顔を感じることがないわけではない。

──苦しい人は、笑わない。

は、実に先入観だと思う。また、

──笑っている人は、幸せな人だ。

も、先入観だと思う。

どんな情況でも、笑顔でいられること。そのことが、とっても必要で、かつ、努力や気力が必要なこと。そんなことを、考えさせられる、今日この頃のわたしの苦境である。

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