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2009年4月26日 - 2009年5月2日

2009年4月30日 (木)

『波乱と激動の回想』〜松岡政保回顧録とキリスト教〜

探していた本を手に入れることができました。結局、大学図書館間の相互貸借の制度を使って琉球大学から借りることができました。最近は、図書館もネットを通してやりとりをしているそうで、先週の木曜日に申込をして、今週の月曜日には届いたそうです。

松岡政保『波乱と激動の回想─米国の沖縄統治二十五年─』(私家版、1972年)。著者よりの寄贈の印が押してありました。

一読して、いろいろなことがわかりました。松岡の戦前の歩みを読んでも、洗礼を受けたり、特定の教会に出入りしていたという記述はありませんでした。しかし、米国本土インディアナ州のトライステート大学に留学中にはYMCAを寄宿舎にしていたようです。また、それ以前にハワイにいた時には日本人の学校ではなく、亡命中の李承晩が設立した「朝鮮人学校」(「韓人寄宿学校」あるいは「 韓人中央学院」のことであろうか)に通っていたといいます。松岡によると同学校は、「当時の李承晩は四十四、五歳、米国の篤志家の庇護の下にハワイに亡命し、朝鮮独立運動をするかたわら、メソジスト教会の援助で、ホノルル市の中心部のミラー街に八年制の学校を設立して、朝鮮出身の教育をしていた」(p30)だということです。

戦前、戦中、戦後の政治過程のなかの沖縄・沖縄人とキリスト教について、そこから見えてくるのはどんな風景なのでしょうか。松岡は李承晩と面識があったのか。松岡が琉球政府の行政主席に就任した1964年には、李承晩はすでに失脚し、ハワイに亡命していた。また、1940年代、沖縄戦後の沖縄諮詢会・民政府時代の記述については、米軍の担当者の人物像がある程度明確に語られている。

ただ、諮詢会・民政府の指導者のうちに何人かのクリスチャンは教会に関係する一階たというだけでは、まだ、政治とキリスト教の関係を立証するためには根拠や蓋然性が薄い。もうひとつ考えているのはインドネシアルートだが、ともかく、占領体制の初期において、占領行政を進めるうえでキリスト教がキーポイントになっていたこと、また、占領行政に教会や沖縄人クリスチャンが果たした役割を立証するための証拠を、これから探していきたい。

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2009年4月27日 (月)

戦後沖縄キリスト教史研究の水準

沖縄のキリスト教史にかかわる先行研究は、極端に少ない。この研究に携わる研究者は、過去も含めてどんなに多く見積もっても10人前後ではないかと思っている。その中でも、これまで精力的に研究成果を発表してきたのが、日本大学文理学部哲学科准教授の小林紀由氏である。

彼のブログ「小林紀由研究室」に、最近、「沖縄の『復帰』とキリスト教」と題された論考が19回にわたって連載されている。中身は小林氏が1997年から続けてこられた戦後キリスト教史研究のための先行研究の網羅的な整理である。小林氏の研究の中心は「沖縄の『復帰』前後のキリスト教について」だということだが、ここでは琉球王国時代からのレビューがされており、対象地域も「沖縄」(このことばには、小林氏も指摘しているとおり、いくつもの重層的な意味が込められている)だけではなく、奄美に関する研究文献の紹介もある。

わたしが小林氏と直接お会いしてお話をしたことは数回しかない。しかし、その時、個人的には温厚な性格で、誠実に研究をされている方だという印象であった。また、沖縄でのフィールドワークの際にご一緒したことはないが、わたしの調査先でも何度か氏のお名前を聞く機会があり、特にバプテスト連盟の調査を精力的に行われていたようだ。

小林氏の研究は、宣教師に対する評価や米軍による軍事占領下の「米軍」のキリスト教に対する評価、沖縄地域社会における沖縄人キリスト者の思想や行動についての評価等の点で、わたしの研究とは視点やスタンスがちがうようだ。しかし、わたしにとって尊重すべき先行研究に他ならず、氏の存在はわたしの励みにもなっている。

さて、網羅的とはいえ、ここには多少の遺漏がある、ように思う。最初に自分のことをいうのは品のいいことではないが、わたしの研究については2000年と2001年に公刊された論文があげられているのみである。しかも、そのうちの1本は学会発表の要旨である。また、他の1本は学会誌の「研究ノート」である。わたしがそれ以降執筆した論文の関して、紹介すべき文献に値しないということであれば、今後も精進する外はない。

それはさておき、このように約26,000字におよぶ詳細なレビューだが、これが戦後沖縄キリスト教史の研究水準を表しているともいえる。小林氏は「沖縄のキリスト教史概観(つづき)」((3)〜(10))で戦後の概観を行っている。そして、そこでの記述は、主として厳密な身での一次文献ではなく二次文献に沿って記述されている。わたしは、すでに、特に1940年代後半の時期の当事者の手記、つまり一次文献を使用して研究を進めている。しかし、現行の沖縄キリスト教史研究の段階は、二次文献によりその概観が進められているに過ぎないのである。つまり、歴史研究の段階でいうとごく初期の段階に過ぎない。そのあと、二次文献の検証や一次文献の発掘。次に、それらの不足分を聞き取り調査などで補いながら、一次文献や統計資料の分析を行う。そして、歴史を多角的・立体的に検証・叙述していく。

沖縄キリスト教史研究は、現在、そこまでの研究の深まりや広がりをもっていない。それを克服するためには、厚みと広がりのある研究者層が必要であるが、現行の日本キリスト教史についてもそれが十分であるか、疑問がある。

フィールドワークをしていて、忘れられない出来事があった。ある沖縄出身でない沖縄の牧師と仲里朝章氏のことについて、メールでやりとりをしていた時のことである。わたしは、先日このブログで紹介したとおり、仲里朝章氏の文書を使って朝章氏の神学思想についての研究を公にする予定である。その内容をその牧師に話したところ、「仲里朝章に独自の神学などないと思う」との答が返ってきた。つまり、朝章氏に神学思想がないというわけではないが、それが独自のものであるはずがないということであろう。

朝章氏の思想が、日本本土の著名な神学者や欧米の神学者、また、韓国の神学者のそれと比肩しうるかどうかについてが彼我の情報の差がありすぎるので客観的に判断できる状況にはない。なにしろ、朝章氏の思想について学術的に研究している研究者はわたし以外にはほとんどいないだろう。確かに、彼の思考や行動は日本本土の植村正久や内村鑑三、そして、書物を通じて米国や西欧の大思想家の思想に影響を受けた。しかし、朝章氏の戦後の文章を通じて見えてくるのは、戦後沖縄の歴史過程の中で政治や国際関係、経済状態などの現実に直面しつつ試行錯誤をくり返して真摯に答えを見出そうとしている彼の姿勢であった。そこに、わたしは「思想」を見出したのである。そして、他の戦後沖縄キリスト教界の指導者たちにも、韓国で戦後産み出された「民衆神学」という独自の神学に比較対象可能な神学があったのではないかと予測している。

このように、当事者からの聞き取りを通して、第二世代の沖縄キリスト教界の牧師たちがおこなった「研究」を少しでも発展させ、それらを超える水準に研究をもっていくことが、わたしの喫緊の課題である。

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