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2009年6月7日 - 2009年6月13日

2009年6月 9日 (火)

宗教と苦闘~「宗教と社会」学会学術大会雑感~

そう。わたしは、多少、ヘソが迂って付いている。みんながいいというものを余りよく思わなかったり、反対に、みなが批判するものを応援したくなる。

さて、今回に学会で、わたしは研究発表をし、そのほかに3本の個人研究の報告を聞いた。二日目は、共同研究の成果を発表するテーマ・セッション(この学会の売り物!!)の発表を2本聞いた。

午前中の発表は、米国のSGIに関するもので、用意は周到、練り上げられた3本の基調報告は形式も美しく整っていて、発表者の呼吸もぴったり。正に、完璧なプレゼンテーション。漏れ聞くに、ずいぶん「予行演習」をやったそうだ。実に楽しそうな発表であった。

しかし、それを聞いていて、ついつい、論理やプレゼンに破綻がないことが気になってしまうのは、勿論わたしの悪い癖だ。いくら順調に布教が進んでいる団体でも(でも、全米で11万人の信者はちょっと微妙な数字だが)、学問的に批判すべきところはあるはずだ。SGIは、フランスでは一時期カルト扱いされたと聞く。ならば、米国でも同じような批判はあるはずで、そのような迫害を伴いそうな他者からの批判に対して、会員たちはどう思っているのだろうか。そんなこんなの小さな疑問があった。信者の「生」の声の紹介はあったが、それに対する顕彰は余り成されていないようで、多分にできごとが数量化されて語られていたように感じた。

この団体については、興味はあるがほとんど知識がなかったので、一つ一つの事実や分析は大変興味深く、勉強にもなった。しかし、不思議に、胸に響くものがなかった。

午後の発表は民衆宗教のなかのジェンダー・バイアスを主の扱ったもので、発表者4名中3名が男で、その男がなにやら必死にフェミニズムについて語っているものだった。このセッションは、レジュメもなんだか中途半端で、パワーポイントは使わないし、発表していることも呂律が回っていないような、なんせグダグダな内容だった。

しかし、わたしは、こっちの方が気に入っている。宗教は最終的に解脱や救済を目指すものだが、その過程には実に迷いや苦闘で、汗や涙にまみれているのものではあるまいか。信者がそうなら、聖職者はなおさらそうで、あるいは、そうでなければならないと思う。その聖職者が、自らの偏見に気づかされ、その資質のなさを突きつけられ、苦慮する。あるいは、信徒や他の聖職者の心ない言動に傷ついていたり、傷つく信徒を目の前に、彼ら/彼女らが立ち尽くしている姿が、それぞれの発表を通して、わたしにははっきりと見えたのだ。

実は、1日目にもそのような発表が1本あった。発表者はネット上では面識があり、何度かやりとりをしているが、リアルにあうのは初めての方だ。彼女は、多分キリスト教の牧師で、自らがずっと抱えておられる問題について、探求しておられる。そして、その解明のため、神学だけではなく、社会学の大学院に学ばれて、学位も取得しておられる。そして、この学会でも何度も報告をされているのだが、今回初めて発表を拝聴した。彼女はご自分の問題に対してあまりにも真摯に取り組むあまりに、そのすがたをみていると、わたしの胸まで苦しくなってくる。

いくつかの意味で、彼女の戦いや試みは成就・達成されていないと思う。そして、闘う場所がここでいいのかという疑問もある。しかし、彼女の50分間(発表25分、質疑応答25分)には、先行研究の整理だとか、分析のしかただとか、方法論だとかいうものを、超越したもっと重たいものがあるように感じた。

学会発表の善し悪しは、準備がじゅうぶんかどうかだけではないと思う。乗り越えられない課題に、いかに果敢に挑戦し、目を背けないで自身を見つめるかだ。

さて、今回の会場は創価大学。八王子があんなに東京から遠いとは思わなかったのだが、その八王子の市街地からさらに15分ほどバスに乗った。ここは、今日では、実質的に創価学会の「総本山」になっているという。キャンパスは緑の覆われており、数々の塑像や記念碑がそこかしこにある。また、いくつかの壮麗な建物は現在の名誉会長の権勢を物語る。そして、レセプションがあった本部棟の5階(傾斜地に建てられているので、5階が玄関です)の展示スペースは、現名誉会長にたいする個人崇拝の色彩が非常に濃く、わたしの認識である仏教のイメージとはほど遠かった。そもそも、宗旨の違うわたしには、個人崇拝や偶像崇拝が気になって仕方がない(つまり、嫌悪感を催したということです。でも、これって宗教研究者としては失格かも)。

――民の苦しみを救ってあげた。

このことはの主語は、教祖でも神でも仏でも当てはまるが、政治家を入れても当てはまる。わたしは、ともに苦しみ、涙を流し、悲しさのうちに、ともに歩き続ける神様の姿に、あこがれる。そして、自分も、願わくば。そうでありたいと思うのだ。

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