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2009年8月16日 - 2009年8月22日

2009年8月20日 (木)

市民に愛されるキリスト教

キリスト教は“愛”を説く宗教です。そのココロは、あなたは神様に愛されているのだから、貴方も「隣人」を愛しなさい。しかし、キリスト教やキリスト教徒が「隣人」から愛されることなど想定していない。

しかし、きょう、ベッテルハイムに関する戦前の顕彰行事の史料として新たに発見されたものを見ていると、「ベッテルハイムは市民に愛された」と言うことがよく分かった。

ヘボンやフルベッキは教科書には出て来るけれど、市民(勿論その頃には「市民」という者はいなかったのだけれど)愛されたのだろうか。そして、その業績だけではなく、人間性やエピソードが市民の間や地域社会に語りつがれているだろうか。

キリスト教の伝道とは、キリストの言動とそれを伝えようとする人間の言動が、人びとの心のそこからの共感を呼び、忘れがたい感慨をその人の心に残すことであろう。

だから、ヘボンやフルベッキは、そういう意味での伝道をしていない。きょう、それが、わかった。

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沖縄でも選挙です。

沖縄滞在二日目。沖縄も選挙です。滞在している那覇は第1区。那覇が中心だけれど、慶良間や久米島の離島が含まれています。候補者、離島まで行っているのかしらん。そして、その問題を取りあげているのかしらん。おっと忘れてた。那覇から400㎞ぐらい離れている大東諸島もこの1区なんだって。

公文書館がある南風原町は第4区。このの選挙区は想像を絶する広さです。距離にして最長500㎞以上。つまり、糸満や南風原などの南部の市町村と宮古・八重山・与那国の先島を全部含むからです。

それに比べて、第2区は米軍基地が集中しているとはいえ、選挙区も集中していて、とにかく陸続きです。第3区は大体沖縄市以北の、これまた広大な選挙区です。それに、伊江島、伊平屋島、伊是名島などの離島もかかえています。

きょうは、そんな沖縄の大変な選挙事情を垣間見た一日でした。Gさん、ありがとうございました。

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2009年8月19日 (水)

「期日前投票」をしてきました。

昨日、第45回衆議院議員総選挙が公示されました。期日前投票はきょうからだそうです(ただし、最高裁判所裁判官国民審査は23日から)。そして、わたしはしばらく出張が続くので、「期日前投票」というのに行ってきました。

投票所開場のの8:30少し前に行くと、一番乗りでした。投票所でははじめに宣誓書を書くのですが、30日に投票できない理由をいくつかの選択肢をマークする形で答えて、名前、生年月日、住所を記入し、それを最初の受付に出すと、生年月日の確認をして簡単に投票用紙が渡されました。

それで、恐らくわたしが行った投票所で、わたしが最初の投票者だったからでしょう。小選挙区と比例区、両方の投票箱のふたが開いていて、わたしが投票をしようとすると、係の人に「中に何もはいっていないことを確認して下さい」いわれました。それで、立会人のお二人と中が空であることを確認しました。そうして、係の人がふたを閉め鍵をかけました。

市民の義務というと大袈裟ですが、こうして選挙の公正が保たれていくのだと感じました。

生まれて初めての体験に、年甲斐もなく、ちょっと感激しました。

その後、8:35ぐらいには投票所を出て、それから空港へ。そして、那覇へと、忙しい一日でした。

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2009年8月18日 (火)

探求心と気魄〜日韓研究者の集い〜

「東ASIA宗教文化学会 第1回 国際学術大会」が終わった。わたしは、1日目、1本目の発表の指定討論者となり、2本目で自分の発表をこなしたので、あとはじっくりとその場でのやりとりをきくことができた。この学会は、日本と韓国だけではなく、中国(中華人民共和国)、それに今年はオーストラリアの研究者の参加もあったそうだ。研究発表は基本的に発表者の母国語(日本語、韓国語、英語(そして、昨年は確か中国語のセッションもあったと記憶している))で行われている。今回、わたしは、中国の研究者の発表をほとんど聞くことはなかった。

また、今年は北海道大学が会場とあって、アイヌ社会と宗教・信仰のシンポジウムももたれた。このシンポジウムはとても興味深かった。谷本晃久氏「アイヌ社会と和風宗教儀礼─幕末・維新期を対象に─」では、アイヌ社会への「和人」の浸透に従って、それぞれ影響を及ぼしながら、お互いの宗教儀礼を取り入れていった過程を学んだ。

ところで、シンポジウムの冒頭、主催大学の関係者は北大、あるいは、北海道と開拓の歴史に触れた際に、いわゆる「北大人骨事件」に言及した。しかし、同時にシンポジウムの主題と直接関わりないが、朝鮮人の炭坑や土木工事で働かせたことについての言及がなかったのは、腑に落ちなかった。

さて、韓国人のキリスト教に関する研究発表を聞いていて感じたことがある。わたしが聴いた発表のほとんどが、日本の植民地統治期のキリスト教の研究であった。そして、個別の研究については選択した史料のバランスや実証が不十分なものもあった。また、結局何を主張したいのか理解できなかった(言語の問題もあるだろうが)ものもあった。しかし、韓国人研究者の発表には日本人の研究者にはない、熱のようなものがあり、相当の気魄が感じられた。

それらの発表の指定討論者になっている日本人の院生がした気の抜けたようなスカスカのコメントを聴いていると、なにか焦燥感のようなものがわいてきた。小器用に何でもそつなくこなすのだけれど、そのどれにも渇いた印象しかない。湿っていたり、ぬめっていたり、焦げていたりする、匂いも手触りも、息づかいも感じられない。

さて、明日から沖縄なので、これ以上の詳報はできない。しかし、かえりみて、自分の研究にも熱と気魄が長距離を飛んでいくための「燃料」として必要であることを実感している。

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2009年8月17日 (月)

当ブログのコメントについて

先日、「彩東タカ」という方から、わたしの「他人の空似〜『田母神』殴り込み講演と『小林』中傷漫画に寄せて〜 」にコメントを頂きました。そのコメントを一読し、このブログのコメント欄へのアップは不適当だと判断しました。今回、このような措置を執ったのは主として以下の理由によるものでした。

(1) コメント中に何か所か不適切な表現や事実でないこと、事実と確認できないことがあたかも事実であるかのような表現があったこと。
(2) 全文を通して御自身が主張されたいことを一方的に、そして、羅列的に述べられているだけで、わたしの記事についてのコメントにはなっていないこと。

御自身が主張されたいことがあるのなら、御自身のフィールドでなされればいいのではないでしょうか。何も、わたしのブログのコメント欄に書き込むような姑息なことをされなくてもと思います。それから、基本的にわたしの記述をよく読んでおられないような印象を受けました。

それにしても、いよいよ選挙の公示が近くなり、「ネット右翼」(この「彩東」さんもそうではないかと推察します)の方々は相当焦っておられるようです。民主党政権が誕生するのではないか、そして、「そうなるとこの日本は終わってしまう」と、正にパニック状態になっているのではないかと疑われるほどです。わたしは、この月末の総選挙で民主党が政権を取ったとしても、この日本が決して良い方向に向かうことはないと思っています。これ以上悪くもならないだろうけれど。でも、政権交代は必要だと考えています。ひとつは、民衆というか、市民というか、住民というか、そうした人びとが政権を変えたという体験において。今ひとつは、正堅は後退するものであるという緊張感を政治家、官僚、そして、有権者・非有権者がもつということにおいて。

さて、話を「彩東タカ」氏のコメントの話を戻しましょう。その記述のなかには、この種の人たちの典型のような思考や記述の方法があったので、以下に幾つか述べたいと思います。

第一に、キリスト教を批判する非キリスト者の典型的な論理立てです。「彩東」氏は御自身がはっきりおっしゃっていないので定かではないのですが、恐らくクリスチャンではないと思います。キリスト教国である米国や米国人に対して「隣人」として寛容を求めています。「米国はキリスト教国なのだから、日本と戦争をするのではなく、共存すべきだった」という調子です。「彩東」さん。あなたも「隣人」を愛してみてはいかがでしょうか。

第二に、やや極端に思われる例を採り上げて、それを強引に一般化していくという、「ネット右翼」特有の陶酔的論理です。

第三に、沖縄や沖縄人に対しては同情するような姿勢を見せ、自分には慈悲心があるのであるということを最初に述べています。しかし、彼(ら、彼女ら)にとって大事なのは沖縄ではなく、沖縄以外の日本だということがよく分かります。そして、それは本人(たち)には、ほぼ自覚されていないところが、彼(ら、彼女ら)の「イタイ」ところです。

第四に、今後予想される微かな可能性ですが、こうして自分のコメントがアップされないとわかると、わたしの行為を「言論の弾圧」と批判するようになる。しかし、これも結局自由や人権を全く理解していない(する気がないのか、できない(する能力がない)のかわかりませんが)からだと思うのです。

さて、わたしは世間から「右翼」と言われる人のなかにも、十分に対話が可能である人はいると考えています。しかし、「彩東」さんとは議論が難しいと思うのは、「彩東」さんの主張にはオリジナリティーがないからです。つまり、ネット上で誰かが言い出したことを幾つもつぎはぎのように貼り合わせて、それを「自分の意見」とラベルを貼って提示しているようにしか、わたしには思えないのです。どんなに意見が違っていても、又、イデオロギーが偏っていても、自分の意見がしっかりある人であれば、お互いに自分の意見をぶつけ合うことで、同意はしなくても理解はできると思うし、お互いに変わっていく契機にもなるでしょう。これまでに、そうした体験は何度もありました。しかし、今回は、きっと無理です。

最後に、この記事については、これとは全く別に、個人的なメッセージという形で賛意のメールを送ってこられた方がいました。これには、とても勇気づけられました。望むらくは、その方もそれぞれに場で、粘り強く、何度でも、「田母神」氏や「小林」氏の非を主張し、金城重明氏らを守るための言論活動を行っていただきたいということです。

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