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2010年3月21日 - 2010年3月27日

2010年3月23日 (火)

「虹をくぐって」の教育論

科学的に考えると、人間は決して虹をくぐることはできない。なぜなら、虹は水滴による光の反射なのだから、虹の出現地点は光(多くの場合太陽)と水滴とみている自分の三点で決定される。したがって、虹に向かって自分が移動したとしても、人間は決して虹に近づくことはできない。

しかし、わたしたちが子どもの頃、雲に乗れると確信していたように、子どもなら、虹に乗ってみたいと願い、それが実現できると信じている。そのような想像力は、少年にも、青年にも、成人にも、老人にも許されるであろう。

その上で、「人間は願えば雲に乗れるのだ。そして、希望を抱いて努力すれば虹をくぐることだってできる」と教師は生徒に、大人は子どもに教えるべきなのだろうか。それとも、願っても、努力しても手の届かないもののたとえとして、虹の橋を渡ることや虹のアーチをくぐることはけっしてできないことを教師は生徒に、大人は子どもに教えるべきなのだろうか。

そんなとき、へそ曲がりなわたしは、もし虹の橋を渡ることができたとしても、もし虹のアーチをくぐることができても、「その後も人生は続くんだよね」とつぶやいている。できもしないことがわかっていて、なおかつ、そこに目標を勝手に置いてしまって、「いつかできる」と励まし続けることが教育なのだろうか。

きょうは、卒業式。わたしはひとりの教員としてここ数ヵ月悩みに悩み抜いたすえに、ある決断をした。それは、決して虹はくぐることができないのだと、現実を直視させることだったのか。それとも、わたしはできないと思っていても、想像力をもってすれば、虹をくぐることが可能であった学生の、可能性を阻んだことになるのか。今でも、答えは出ていない。答を出すのは、それらの学生の努力次第であると同時に、ともに歩む事がどこまでできるか、自分の忍耐と知力が試されているのだ。

さて、「虹をくぐって」もそうなのだが、卒業式の謝恩会で学生たちが好む最近の歌謡曲を聴いていて思ったことがある。それは、ひとつは孤独を歌いながらその孤独と徹底的に向きあうことはせず、安易に「いつもいっしょだ」とかいってみる。もうひとつは、ゴールはすぐそこで、希望に満ちた未来もすぐそこまで来ていて、それに向かっているあなたの歩みは美しくて、尊いものだという、底抜けの明るさである。現実は、こんなに暗く、卒業しても働き口もない、そんな暗闇に出て行くのに、学生たちはその底抜けの明るさに熱狂する。

きっとファシズムの前夜もこうだったのだろう。きっと社会主義が示した来るはずのない「明日」への熱望もこうだったのだろう。ふと、そう考えてみた。上を向いて歩くのは、涙がこぼれないようになのか、それとも、くぐることができるはずの虹を見るためか。だとしたら、わたしたちは、学生に前を向くようにいわなければならないのではないか。ほんとうは、下を向くようにいいたいけれど、それではあんまり元気が出てきそうにないので、せめて足元を見ることから先を見据えるところまで、着実に歩み続けることを自らのみをもって示す外はない。

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異なる意見の存在を知ることの大切さと虚しさ

このところ、ベッテルハイムの琉球伝道以後や「150年」「163年」問題についてこだわっているので、様々な立場の文献をできる範囲で読むことにしている。批判するにしろ、評価するにしろ、読んで知らなければ、なにもはじまらない。

読んでみると、どんな立場にたっていても、それなりに勉強になることも多い。どのよう文章であれ、真剣に書いていれば、賛同できないけれど、理解できることも多い。しかし、中には、そうでないものもある。以下の本が、それだ。

福音主義自由教会の道―“日本伝道一五〇年”講演集 Book 福音主義自由教会の道―“日本伝道一五〇年”講演集

著者:近藤 勝彦
販売元:教文館
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読みはじめて最初の「福音主義自由教会の道─日本伝道一五〇年をふまえて─」の本文の2行目から3行目にかけて、「それ以前にもすでに琉球にイギリス海軍の医師である宣教師が来た例などもありましたが」とあるが、ここにはいくつもツッコミどころがある。

この宣教師とは恐らくベッテルハイムのことを指しているのだろうが、彼は「イギリス海軍の医師」であったのだろうか。今まで読んだ文献にそのような記述はなかったように思うが、できれば、著者の近藤勝彦氏に問いたいものである。また、「イギリス海軍の」が「宣教師」にかかっていると解釈しても、間違いである。彼を琉球に派遣した英国琉球海軍伝道会は英国海軍と公式には関わりもない団体で、琉球に渡航歴のある退役した元海軍軍人が創設した団体である。だから、ベッテルハイムは「イギリス海軍」の「宣教師」ではない。このような初歩的な事実は、ベッテルハイムの琉球伝道に関して書いている著作物にはたいてい載っていることだ。

それにしても、近藤氏はなぜ「ベッテルハイム」という名前を使わなかったのだろうか。

[仮説1]とっさに思いつかなかったのか(この文章は「2009年2月11日、日本基督教団大阪教会を会場に、関西における日本伝道一五〇年記念大会での講演」とある。この日は、なんと、建国記念の日なのだが!!)。この文章は講演の筆記らしいので、それはあり得る。

[仮説2]
ベッテルハイムの名前を知らなかったというのはないだろう。名前を知らないのに、その人物が「医師」で、「イギリス海軍」の名がついた宣教団にいたことは知っているということはありえない。

[仮説3]ベッテルハイムの名前を知っていて、わざと固有名詞をいわなかったのか。だとしたら、相当いやみな人だ。ベッテルハイムになにか恨みでもあるのだろうか。

さて、最初に引っかかることがあったにしろ、必要なことなので、気を取り直して続きを読んでいた。しかし、15ページまで読み進めて気力が萎えかけている。それは、このページの終わりから5行目と4行目に新島襄が「新島譲」と、2度にわたって誤記されているのを発見したからだ。誤字・脱字の類については筆者も偉そうなことは言えない。しかし、東京神学大学の学長である(奥付にはそうなっていたが)著者が、同志社の創設者の名前を誤記した本を出版してたといあっては、ちょっと見過ごせない。しかも、この講演は同志社とゆかりの深い日本組合基督教会の初期の主要教会のひとつである大阪教会(旧「梅本町公会」)で行われている(講演会では、講演だから、字の間違いはわからなかったのか)。だから、いくつもの意味で、信じられない。

205ページには「出版部の高木誠一氏が校正などのご助力くださいました」とあるので、教文館の編集者も目を通しているのだろう。であれば、著者も編集者もこのような重大な間違いを見逃していたということになるが………。

実に虚しいことであるが、しかし、なんとか気力を出して、先を読み進もう。

最後に、発行日は2009年12月10日とある。もし、万一、版を改めることがあるのなら、しっかり校正をした方がいいと思うのだが。

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