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2010年4月25日 - 2010年5月1日

2010年4月30日 (金)

ベッテルハイムと沖縄

呻吟のすえ、「ベッテルハイムと沖縄」という原稿を書き上げた。7月頃に刊行される『キリスト教史学』(第64集、キリスト教史学会)という学会誌に掲載されることになっている。

今年(2010年)の3月14日、沖縄キリスト教学院シャローム会館大教室で開かれた「ベッテルハイム宣教163年感謝会」に出席したことはここで報告している。その二部で行われた「ベッテルハイムの琉球伝道とプロテスタント宣教『150年問題』についての対論」のなかで、平良修牧師(日本基督教団沖縄教区無任所) が最後にいわれたことばが心に残っている。

「日本プロテスタント史150年」という言い方ではおさまらない、日本のプロテスタント宣教の歴史の多様性があると言うことです。…(中略)…ひとつにまとめるというところに日本のキリスト教会の貧しさがあるのだと思います。多様性を認めるというところに、バラバラになるというイメージがあるけど、本当はしたたかな強さがあるんだと思いますよ。そういう意味で、わたしは堂々と150年を祝いたい人は祝えばいいと思うし、163年が正しいと思う人は、そういう方向でやっていったらいいと思います。

これは、極めてまっとうな歴史観だと思う。日本のキリスト教史と沖縄のキリスト教史とは基本的に別個のものだという主張だ。そして、このふたつの歴史はときどき合流したり、離れたり、感化されたり、反発しあったりしている。この集会では琉球の独立や自立性について大いに議論された。こうした独立論、自律論にならうと平牧師のような主張になるのだろう。これは、今度書いた論文のキー・ポイントになった。

今回の論文は、1846年から2010年までの164年間の沖縄のキリスト教史を、ベッテルハイムの琉球伝道とそれに対する顕彰行事の変遷をたどることで架橋する試みであった。

ベッテルハイムの顕彰行事は、戦前に2回(80周年、90周年)、米軍占領下で2回(「百年祭」、120周年)、復帰後に1回(150周年)の5回となっている。これらは、それぞれに、それぞれの時代の時代状況によって性格も変わってくる。そして、特に最初の3回は沖縄の政界、財界、官界、学会、教育界の要人が積極的に関与し、本土の政府や言論界の要人も支援したこともあった。そして、最後の5回目は広く市民に公開されるかたちで開催されている。2回目にはベッテルハイムの孫が沖縄やってきたし、3回目と4回目は外の子孫が占領軍の関係者としてたまたま赴任しており、彼女たちがベッテルハイムの「遺品」を多数沖縄に寄付をしている。3回目にやってきたベス・プラット夫人は生涯沖縄との交流を欠かさなかった。

また、書きながら、次第に確信に変わったことがある。それは、17世紀前半のルエダ神父の八重山伝道(「八重山キリシタン事件」として沖縄の高等学校の副読本にも載っている)や19世紀の中盤のベッテルハイムなどのカトリック・プロテスタント双方の伝道後、そして、沖縄戦での教会活動の停止など、沖縄のキリスト教は歴史の断絶を経験している。しかし、特に戦後のベッテルハイム顕彰行事では、沖縄のキリスト教がベッテルハイムの琉球伝道にその源流を求める傾向が強い。

論文の詳しい内容はここでは割愛するが、「150年」に固執している人々は、いかに沖縄に配慮を見せたとしても、こうした沖縄のキリスト教のアイデンティティに関わるところに、まさに「土足」で、無遠慮に乗り込んできて、それらを踏みつけにしておきながら、自分がなにをやっているのか気が付いていないのだと思う。

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