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2010年5月9日 - 2010年5月15日

2010年5月14日 (金)

「優しさ」「思い遣り」、再考

昨年度末のことになるが、臨床心理学を専攻する大学院生の研究発表を聴く機会があった。テーマは、自閉症児の支援についてであったが、話しをきいていて、この日本社会での生きにくさを思った。この社会は、自分のことよりも、周囲や相手を思いやることを強制される社会である。だから、「KY(空気が読めない)」なる言葉が生まれ、その言説が周囲の諸現象を網羅しながら、マイナスの評価として定着する社会である。

自閉症やアスペルガー、また、学習障害などの話しをきくたびに、自分も子どもの頃にそうだったのではないかと、こころの中でつぶやいている。それでも、「KY」などといわれなかった分、わたしは生きてこれた。確かに、出会う人、ほとんどすべてから、変わっているといわれたり、思われたりしてはいたが、わたしはむしろそれを自分の「売り物」にしてきたきらいもある。

そんな社会ゆえの病理なのであろうか、昨今の沖縄・普天間にある米軍基地の移転について新聞の論調、テレビのキャスターやコメンテーター、そして、一般人のブログ等での議論を見ていると、米国に対する過剰な配慮が無神経になされていることに、わたしは苛立っている。大臣や官僚が、米国への外交上の配慮を口にすることと、識者・マスコミ仁を含めた民間人・一般人が同様の発言をすることの意味は、全く違っていると思うのだが。

なにに苛立っているのか。5月末の期限を控えて、徳之島への移転や全国各地への訓練の分散移転が取りざたされると、あるものは訳知り顔で米軍の戦略についてとうとうと語る者がいる。そして、それは結果的に米国や米軍の代弁者と化している。「いったい、何人(ナニジン)なんだよ、あんたは」と毒づきたくなる(※ わたしは、右翼的なナショナリストではないと、自分では思っているのだが…)。徳之島も含めて琉球や沖縄が「日本」であるというのであれば、我々の「国益」は米国の戦略を思い遣り、米軍の活動しやすいように配慮するような優しさではないはずだ。なのに、ありもしない中国脅威論や冷静に考えたら起こりそうもない北朝鮮の暴発の脅迫を受け、それを内面化し、今度は自らそれを吹聴して回るようになってしまう。そうなってしまうと、今度は、米軍の戦略の宣伝を公共の電波やネットを使って執拗にくり返すのは犯罪的である。しかも、最初に述べた「優しさ…思い遣り症候群」という民族的宿痾にとらわれた我等は、一挙に世論があらぬ方向に持って行かれる傾向にある。

そんなとき、わたしのような「KY」は、少しは役に立つだろうと思っているのだが。

また、米軍は、普天間基地の移転先について「地元の合意があるところ」といっているが、その時点で沖縄、特に辺野古沖はアウトなはずだが、誰もそのことは指摘しない。指摘しないばかりか、沖縄に残るのがさもあたりまえのような言い方をしている。沖縄はかつて琉球王国の一部であった奄美・徳之島は、「日本」じゃぁないのか。そう。沖縄での「地元の反対」はスルーすることにして、徳之島や本土の別の地域に米軍がやってくることになると、「地元の反対」云々なのですか。沖縄でも反対運動があるのだから、徳之島や本土の各地と同様に、「地元の反対」を理由に米軍基地の完全撤去を何故求めないのか。自分のところで受け入れるのがいやだったら、せめて国外移転を主張しなければならないのに、「地元の合意」がないことを理由に移転が無理だというのはあまりにも懶惰で怯懦ではないだろうか。

ねえ。優しくなる相手を間違っていませんか。思い遣りをもつ相手を間違ってませんか。もっと自分に優しくなってもいいでしょう。もっと、八方ふさがりになって、道路の真ん中で、「どうしようかぁ。助けてくれぇ〜」と叫んでいるひとに思い遣りをもってはどうだろうか。

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2010年5月13日 (木)

ひととして

わたしには、ひととして扱われたいという欲求が、常にある。だから、わたしはひとに対して可能な限り、ひととして接してきたつもりだ。ひとをひととして扱うこと。これは、いかなる場でも最も大切な作法であろう。特に、教育の場では講義室の中はもちろんのこと、教員同士の会議の場でも、学外であってもそうしなければならないと、わたしは思って来た。それは、誰に対してそうするかという対象の問題でも同質であると思っている。学生や同僚、家族、友人など自分の近しいひとたちだけではなく、また、豊かで力を持ているひとたちだけではなく、できれば、すべての関わりを持つ(たとえ通りすがりでも、行きずりでも)すべてのひとびとに対しそうするべきだと思ってきた。これは、教育に携わる人間としてだけではなく、時に厳しく言行の一致が社会的に求められる研究者としての立場であり、「汝の隣人を己の如く愛せよ」と命ずる神を信じるひとりの人間として、自分に科した課題でもある。

わたしは、こうあれたのは、いままで、わたしに関わりのあったひとびとからひととして尊重されて育てられ、接してこられたからである。そうして、わたしは、ひとをひととして扱わない行為やひとを、ごく単純に、そして、だれでも、軽蔑することができたし、反論する勇気を持てたのだと思う。こう思うと、なおさら、ひとに対してひととして接することは、その連鎖があるだけに、とても重要であると考えている。

さて、ひとは、ないがしろにされ、モノとして扱われると、ときに反感を抱き、ときに絶望を抱いたりする。それならば、モノとして扱われるとはどういうことか。自分に見合った役割を与えられず、代替可能で、機械的なことを淡々と行うことを強いられることだろうか。こんなときには、こころは折れ、挫かれてしまうかもしれない。これを乗り越える唯一の方法は、諦観だ。諦め………。しかし、今のわたしには、なにも、諦めることはできない。

モノとしか、代替可能なキカイとしか扱われていないひとに対して悲しみを抱き、そう強いる社会や国家、個人に対して憎悪や嫌悪感を抱く。こうして、わたしは学問をやってきた。だから、虐げられてきたひとびとを見ると涙が流れ、そして、いかにすればそこから抜け出すことができるのか。それを最期までしっかりと見届けたいと願っている。そう、そう願いつつ、生きてきたし、これからも生きていく。

自分はひとして扱われたい。これは、ささいな自尊心だ。そして、それは、ささいではあるが、また、これまでいくつかのものを失い、これからは大切なモノたくさん失いそうな予感がするなかで、なお、この自尊心のみが自分と周囲のひとをたてて、共に歩んで行ける道であると信じている。

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