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2010年5月30日 - 2010年6月5日

2010年6月 2日 (水)

希望の灯をふたたびともそう。~第一次民主党政権へのはなむけに~

昨年の政権交代で明らかになったことは、この国がいまだに米国の隷属状態にあるということであった。これは、自民党政権では徹底的に長年隠蔽され続けたことであった。それが、白日のもとに曝されたのであった。まず、そこから出発しなければ、わたしたちに希望は見えてこない。わたしたちの希望はこうした隷属関係を脱して、新たな対等な関係を築くことではないかと思う。その先に、普天間のみならず、沖縄と日本本土との関係を新たにしつつ、沖縄から米国の軍事基地を、そして、日本軍(自衛隊)の軍事基地を撤去することが可能になるはずだ。

しかるに、そのように考えられない思考を米国と自民党に代表される戦後の保守政権はわたしたち国民になかに深く浸透させてきた。沖縄という、日本本土からはるか離れた洋上の「島」に米軍の基地をおくことで、現在、わたしたちは日頃その隷属関係を身に染みて感じることなど決してない。しかし、「普天間」と「徳之島」が連日連夜、連呼されるに及んで、わたしたち国民には、改めて沖縄の米軍基地の存在を再認識する機会が与えられたのである。これは好機であり、鳩山政権の「成果」でもある。

本日、事実上終焉を迎えた鳩山政権に、この件(つまり、普天間基地の移転をめぐる一連の騒動)について非があるとすれば、上記のような準備も、心構えも、大志も、壮大なビジョンもなく、普天間基地の沖縄県外移設を持ち出したことくらいのものである。これら一連の問題の元凶は、専ら米国にあるのであって、日本政府が主犯であるかのような認識は明らかに間違っている。しかるに、マスコミをわれわれも、新政権の批判のみをくり繰り返し、元凶である米国や米軍についてはほとんど批判らしい批判をしては来なかった。それは、決して正当なことではなし、フェアなことでもない。

その意味で、この国の保守や右翼の思想的だらしなさには、あきれてしまう。さっきテレビで見たこことだが、かつて自分で政権を投げ出した安倍某は「できもしないことを国民に約束し、国民に失望を与えた」といったそうだが、そのような批判はおのれがしてきたことに照らしてまったく破廉恥なことである。彼、安倍某は、「真正保守」を自認しているそうだが、彼の言は、つまり、「米国のいいなりになっておれば良かったものを、米国に抗うような余計なことをしたばっかりに、ざまぁみろ」ということである。ここに、保守の退嬰をみることができる。保守ならば、なぜ鳩山と手を組んで、米国の沖縄における、岩国における、佐世保おける、三沢二井おける、横須賀における、そしてすべての国内の米軍日における米軍兵士による横暴な振る舞いに怒り、それらをまともに処罰すらできぬ「日米地位協定」の改訂、もしくは廃止を強く米国政府に要求しないのであろうか。

かれら、「エセ保守」にできることは、北朝鮮や中国と、日本や韓国とのありもしない軍事的緊張を声高に唱え、無垢な若者を扇動するぐらいのことである。真にそれらが危機であるならば、国内でオダをあげるのではなく、直接、それらの国の為政者に訴え、直接行動に出ないのだろうか。そのような、きわめていい加減で無責任な体質が、いま、ネットの世界で増殖し、若者の健全な思考をむしばんでいくのだ。そして、行き着く先は、ファシズムか。

さて、今一度、希望の話に立ち戻ろう。

結局のところ、沖縄や奄美(徳之島)に対するわたしたち自身のなかにある無関心が、ブーメランのようにわたしたちに失望や絶望をもたらしたのだ。沖縄にある米軍基地を移転、撤去するのにはまず米国政府や米軍の顔色をうかがって、それぞれの気持ちを忖度しなければならない。この国辱的な関係に対して無関心であったことがわたしたちに絶望をもたらした。これは、自尊心の問題であり、国家のみならず個人の自立と自由という尊厳に関わる問題なのである。

だとすれば、自尊心を満たし、国家的・人間的自立と自由を回復するためには、わが国の政権の問題でもなく、米国の問題でもなく、米軍の世界戦略の問題でもなく、北朝鮮の冒険主義やや中国の膨張主義の問題でもなく、実にわたしたちの問題として、沖縄にある米軍基地をどうするかを、堂々と、そして、幅広く語り、語り続けることで、わたしたちはふたたび希望の灯をともすことができるのではないかと考えられる。

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