« 2010年7月25日 - 2010年7月31日 | トップページ | 2010年8月8日 - 2010年8月14日 »

2010年8月1日 - 2010年8月7日

2010年8月 7日 (土)

「核抑止論」の「抑止」を!!〜昨日の記述に対するコメントについて〜

昨日の広島平和祈念式典での「平和宣言」に関する記述にkazzさんからコメントを頂きました。ありがとうございます。

大学が広島だったのですが、広大に入ってまず教えられたのは、「核抑止論」が以下に無意味であるかと言うことでした。今から30年も前のことです。戦略的にみても、経済合理性からみても。そして、おそらくkazzさんがおっしゃりたい、環境や哲学的な面から見てもそうです。

そして、それはほとんど無意味なのだけれど、意味があるとすれば政治的な意味だけです。恫喝や威圧、取引や駆け引きなどの政治的な意味です。また、この恫喝や威圧は「敵(仮想敵)」だけではなく、味方や「身内」、つまり、同盟国や国内の国民・他国民などにむけられているのです。

菅直人総理が式典後の記者会見で「核抑止力は必要」と語ったということですが、国連が核廃絶へゆるやかに流れ出していて、米国やイギリス・フランスまで少なくとも核兵器の「縮減」へ向きあおうとしているときに、わが国の総理のこの発言は、いかにも時代錯誤です。しかし、これも米国から日本への政治的抑圧が政府から国民への抑圧へと移譲していく過程です。そして、その発端は、米国が「同盟国」である日本への「核による恫喝」があり、その呪縛から歴代政府が抜け出せなかったということです。

でも、希望がないわけではありません。kazzさんのように、この問題へ向きあう市民が少しでも増えていけば、わが国政府や米国をはじめとする核保有国の政府・国民、そして、国連が「核廃絶」に踏み出す勇気を与えることが出来ると信じています。

これが、「核抑止論」の「抑止」です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年8月 6日 (金)

川は、決められたところに………〜広島市長による「平和宣言」と「核廃絶」への道程〜

最近、通勤のルートを変えた。朝は、住吉川という川のそばを通るルートだ。川の流れをみていると、気持ちが落ちつく。その変化がなぜ起こるのか。それを、しばらく考えていたが、理由がわかった。川の流れの波立ち、白く泡立っているところがある。その泡立ちや、小波立つところをみると気分が落ちつくのだ。

さて、川の水はそうして波立ちながらも、決められたところへ、いつか流れ着くものだ。65年の歳月は規則正しく流れていったが、川も時に澱みながらも少しずつ、決められたところに流れていくだろう。

「非核三原則」の堅持と「核の傘」からの離脱。意思があれば乗り越えられるだろう。そして、その意思を以下に自らの指導者に持たせるか。「離脱」を決断させる勇気を市民が為政者に与えられるか。自問自答しながらも、それでも川は「核廃絶」という決められたところに、時に澱み、時に蛇行しつつ、流れていくだろう。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2010年7月25日 - 2010年7月31日 | トップページ | 2010年8月8日 - 2010年8月14日 »