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2010年8月8日 - 2010年8月14日

2010年8月13日 (金)

13日の金曜日で思いだした、落差の問題〜むかし、「八重山共和国」という国があった!?〜

そうか、思い出した。6年前の8月13日も金曜日だった。そう、沖縄国際大学に米軍ヘリコプターが墜落した日だ。コンビニで買った『沖縄タイムス』でも、『琉球新報』でも一面で記事になっている。

では、本土の新聞ではどうだろうか。だいたい推察できるが、これを本土の無関心と片付けるのは、簡単なことなのだが、問題はそう単純でもない。

きょうは、一日県立図書館で仕事をした。1945年の12月から翌年の1月にかけて、八重山に存在したという「八重山共和国」について色々調べた。沖縄島では45年の8月に沖縄諮詢会が組織され、軍政の諮問機関として機能しはじめる。では、宮古は? 八重山は? と考えたこともなかったのです。

結論から言うと、1945年の暮れに米軍が乗り込んでくるまで、八重山は一種の無政府状態であった。45年8月末、一旦石垣島に上陸した米軍により武装解除された日本軍の将兵はそのまま島に残留した。彼らの日本本土への「復員」は同年10月頃からはじまり、翌年初めには完了した。したがって、45年8月から約4か月間、沖縄県庁や八重山支庁は機能停止しており、住民の安全や福祉、教育を担当する公的機関は存在していなかった。さらに、残留している日本兵(史料には「現満兵」、つまり「現地満期兵」とあった)は、戦前・戦中に島外からやってきた寄留者と結託して日本軍の物資を隠匿したり、横流しするなど利得行為を行っていた。日本兵のなかには、その物資をダシにして現地の女性を誘惑するものがあとを絶たなかったと史料は言う。

その間にも、マラリアでの死者は増え続け、地元の医師たちは懸命にその治療と防御にあたるのであった。しかし、(旧?)日本軍は、それらの医師たちが要求した薬剤や食糧の供給を断り続けたという。

そのような現状を憂えた石垣島の若者は自警団を作り、それが「八重山自治会」へと発展した。この自治会は「八重山共和国」とも喩えられることもあったが、米軍が進駐してくるまでの数日間、八重山を統治した。

その間、教会は? ──と、わたしの関心はそこへ向かうのだ。これまでは、45年8月末に新垣信一牧師がマラリアでなくなってから、宮良用善や崎山信邦によって教会が再建されたということぐらいだった。しかし、崎山は先述の「自治会」では税務の専門家として手腕を発揮していた(※ これについては、もう少し詳しく調べてから報告したい)。『燈台 日本キリスト教団八重山中央教会65年記念誌』(同教会、1992年)の年表には「一九四六年 一二月二五日 第三代牧師宮良用善先生就任、崎山信邦氏宅で集会を再開」(p9)とある。

混乱した時勢のなかで、戦闘の終息から教会の再建にかかった約一年にいったいなにがあったのか。その空白を埋めることがわたしのこれからの仕事である。

さて、6年前のきょう、起こった事件に話を戻すことにする。この事件が象徴するように、基地問題に対知る認識は沖縄(沖縄島、沖縄本島ともいう)と日本本土との間ではかなりのギャップがある。同時に、沖縄と宮古や八重山との間にもまた違ったギャップが存在している。そのようなギャップを、一方は知りもしないし、したがって意識をすることなどまるでないのだ。

八重山の戦後など、どうでもいいことだろう。それは、沖縄戦でも、戦後の米軍統治でも、中心的なことではなくて、周縁的で、些末なことだから。── これとこれに類するような偏見を一つ一つ事実の積み重ねで否定し、知識や意味の落差をなくしていくことが、これからの大きな課題である。

それを再認識した一日であった。

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2010年8月12日 (木)

話し続ける。諦めない。

先ほど、沖縄に着いた。それで、気になったのが、「韓国併合」100年についての首相談話である。沖縄と韓国。そうです。なぜ政府は、総理大臣は沖縄に謝らないのか。基地問題の放置や沖縄戦での切り捨て、さらには、琉球を「処分」した今から131年前の出来事まで。「間違っていました。すみません」とは決して言わない。401年前の薩摩の琉球侵攻まで謝るのかどうかは別にして、沖縄戦の犠牲者には同情しても、謝罪をしない。基地問題でも理解を求めても、謝ったことはない。(と思う…)

総理大臣になれば、いろんなところで、これまで政府がやってきた様々な悪行について、自分に直接的な責任がなくても、謝らねばならない。そして、謝っては、いろんなところから、批判される。こうして、誤り続け、批判され続けるのが、あなたの役目です、総理大臣。

さて、くだんの談話。実に当たり障りのない、「無難」以外の評価のしようのないものになった。そのような実に中途半端なものだから、当然、「右」からも「左」からも、韓国からも中国からも批判されている。もともと、外交的な談話というのはそういうものだろう。だから、「これでいいのだ」とつぶやいてみるが、しかし、………

植民地支配があったのは事実だし、支配した側にも、支配された側にも、それを否定的に見る見方や肯定的に見る見方があるのも事実だ。だから、どちらかに偏れば、半谷側から寄り痛烈な批判が燃えあがり、国家が二分しかねない。………、と考えるのだろうな、政治家も官僚も。とくに、民意で政権交代が起こったと認識している民主党政権は、国論を二分しかねないようなデリケートな問題には、敢えて立ち入りたいと考えていないのだろう。そう。それ以前の小泉政権以降の大衆迎合的政権でも、あの安倍某や麻生某でも右に振り切れなかった(行ってしまえなかった)。

しかし、一歩踏み出してはどうだろうか。時代の空気を読み、大衆の顔色を伺いつつ政権を運営していく方法が当節流行りなのだが、時代を作っていくために、数歩踏み出すのはどうだろう。そして、その「一歩」は、絶え間ない対話から生まれる。

それから、もうひとつ。わたしは「在特会」という組織について、余りよく知らない。ただ、YouTubeで彼らの執拗な街宣活動をみて気分が悪くなった(比喩ではありません。吐きそうになりました)ことがある。しかし、同時に、その動画を胸のすく思いで観てる人もいるのだろうと思った。わたしは、「在特会」のみなさんやその活動に喝采を送る方々と対話をする自信はない。

その「在特会」の関係者が逮捕されたといいます。彼らのしたことは、許すことはできないし、まったく理解もできません。しかし、ローヤに入れられたからと行って問題はなにも解決していません。それに、心配なことがあります。これから、「韓国併合」100年をめぐって右と左の対立が激しくなることが予想されるけど、今回のことは、「一罰百戒」で、世論を息苦しくしないかということです。政府に指示で、そのような政策的な逮捕が行われているのであれば、私は同スタンスを取って良いのか、迷っているところです。

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