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2010年10月10日 - 2010年10月16日

2010年10月14日 (木)

沖縄行き最終便

関空発沖縄行き最終便の搭乗者は、沖縄人率が高い。そして、活気の消えたJALの待合室でも、沖縄人どうしでは知らない人であっても、話しの輪ができていく。

「戦後の娘さんは、きれいになった」と何度も誘いをかける、車いすの老女。最初は、知らない振りをしていた女子高校生も、ついには、はにかんだようにその老女に笑いかける。それから、堰を切ったように沖縄の話しが、方言を交えてはじまっていく。

その老女を含めた3人(ひとりは老女の夫で、もうひとりは老女の友人らしい)は、どうやら64年前にハワイに移民をした人たちで、今回は関空経由で数年ぶりの里帰りらしい。沖縄人が日本人のなかではなくて、米国人やその他の人びとが集まったなかで生きていくと、かくもスムースに世代を超えたコミュニケーションが構築できるものかと、内心関心をしている。

そのうちに、老人グループが「わたしたちは、うるま」と誘いをかける。「うるま」というところをみると、合併後にうるま市ができた2005年のあとも、沖縄に里帰りしていることがわかる。などと、こちらが、理屈を考えているうちに、事態は急展開する。なんと女子高校生たちもうるま市在住であることがわかったのだ。その途端、

「わたしたちは、宇堅です」。
「宇堅? わたしたちは安慶名よ」。
「安慶名? それはチョー近ですよ」。

かくして、話しはチョー・ローカルな話題に突入するのだが、流石に老練な移民帰りの人たちは違う。ハワイの概説をしたかと思うと、「沖縄の海は、世界一きれいだ」と、話しをどんどんグローバルな方向に誘引する。そうかと思うと、わざと(筆者の主観だが)方言でしゃべりかけて、「あんたち、方言知っているの?」とさりげなく教訓を垂れ、「『方言を忘れると、ふるさとを忘れてしまう』とハワイではいわれてきた。だから、方言を忘しれちゃ『ならんどー』」と、方言やら、標準語やらを、絶妙に混ぜながら、先人らしく若者を教育するのであった。若者たちは、わかものたちで、その教訓を厳とした督励として静かに肯いていた。

わたしは、その埒外におかれ、「話しの火の粉」がこちらに飛び火してこないかと、緊張した時間を過ごした。「わたしは、神戸に住んでいます」と、小声で言い訳をしようと決心して、このほのぼのとした光景を身を硬くして、そして、とても羨ましく見ていたのであった。

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2010年10月11日 (月)

「尖閣諸島」は誰のもの?~日中両大国の狭間で、考えてみる。~

みなさん、ご無沙汰しております。気がつけば、もう1カ月以上もブログを更新していませんでした。わたしの2010年の9月は、とてもあわただしく過ぎました。8月の沖縄・八重山・宮古フィールドワークの整理をなんとかこなし、9月には二つの学会(キリスト教史学会と日本基督教学会。仙台と東京でした)でそれぞれかなり違った内容の研究発表を行いました。二つの発表はそれなりの成果を残して終了。結構、渾身の研究発表だったんです。

こうして、わたし自身が忙殺されている間に、大問題になっていたのは、例の「尖閣諸島」に関する問題です。事件が進行中の段階では(事件は、まだ、完全には終息していないとおもっているのですが)、日中双方でかなり激昂した議論がされていました。しかし、それからしばらくたち、事件のとらえ方も少しずつ変化しているように思えます。

今年のノーベル平和賞の受賞者が中国の「人権活動家」に与えられたことは、先般の「尖閣諸島」問題とは恐らくほとんど無関係だと思われます。しかし、賞の選考委員会と委員会とは無関係のノルウェー政府に中国政府が露骨に圧力を賭けてきたことを、「国際社会」はどう見ているでしょうか。「国際社会」も、まぁ、いってみればそれぞれで、中国はまったく正しいことをしていると認識している国家(政府)もあることでしょう。しかし、それでも、このニュースを知ることのできる多くの国々の市民は、「尖閣諸島」の問題とこの圧力問題を結びつけ、中国政府のこうしたやり方に疑問を感じていることでしょう。また、人民元の問題など、経済的な要因も世界での中国に対する警戒感を惹起しているのでしょう。

さて、「尖閣諸島」問題ですが、日本(人)のなかには「尖閣諸島」が日本領であるとかなり強硬に主張する人がいる一方で、中国領であるという主張をしている人びともいます。中国ではどうでしょうか。中国での事情はわからないのですが、やはり中国領であるという主張が圧倒的ではないかと予測しています。

さて、この「尖閣諸島」地域がどこの領土であるかを検討する際には、日清戦争での日本の台湾領有やそれ以前の「琉球処分」などと並んで、近世、つまり、日本は江戸幕府、中国は清帝国が支配していた時代にこの地域をそれぞれの政治的主体がどう認識してきたかが議論されています。

しかし、その時代、沖縄は琉球王国という独立国家でした(実質的には薩摩藩を通して幕藩体制に組み込まれていたという議論もありますが)。今回の議論や戦後の歴史的な議論のなかには、残念ながら、この視点がほとんど見られません。

〜沖縄や琉球王国の視点からこの問題を見直す〜

これが、このブログふうのやり方なので、今回の「尖閣諸島」問題にもそれをやってみるとどうでしょう。

1879年に明治政府は500名の軍隊と警察を動員して首里城を占領し、「琉球処分」が完遂され、「沖縄県」が設置されました。そして、翌年、1880年、「分島・改約(増約)問題」がおこります。明治政府が中国国内での自由な通商権と引き替えに、宮古と八重山地域を中国に割譲するという提案を清国政府に行った「事件」です。この交渉は当該地の住民にはまったく知らせられることはありませんでした。そして、交渉は妥結。あとは、石垣島での調印を待つだけとなっておりましたが、結局中国の代表団が到着せず、宮古と八重山地域の住民は「日本領」に残ることになります。

「琉球処分(琉球の廃藩置県)」以後、明治政府は「沖縄県」の制度改革に消極的で、「旧慣温存」、つまり、琉球王国時代の制度や法体系がそのまま残ることになりました。なぜ、明治政府は「旧慣」を「温存」したのか。その有力な理由のひとつは、宮古や八重山、状況によっては沖縄島も日本の「国益」のためであれば、いつでも他国領になる可能性があるのであれば、積極的に国税と投入して施設や人材を育成しても無駄であろうと明治政府が判断したということは、想像に難くありません。

国益のためであれば、いつでも沖縄を切り捨てる。

こうした思考をもつ日本という国家や日本政府の体質は、現在でも変わっていないのではないでしょうか。熱くなる日本国内の議論に、わたしはそのような危険性を感じてなりません。戦後長らく政権にあった自由民主党は、現代のところ、激しく民主党政権の今回の「処理」を「弱腰」だと責め立ててはいるものの、実のところ、「日本の領土」として「尖閣を守れ」といっているのであって、尖閣諸島やそこに利害をもつ、特に石垣島の漁民を最後まで守りきれと主張しきれるか疑問です。憶測で物を言ってはいけないけれど、民主党政権も同様でしょう。

だから、尖閣諸島は、日本のものでも、中国のものでもない。明治政府が外交に不慣れな清国政府につけこんで、そこの住む人自身から掠め取ったものです。そして、国益のためには何度も切り捨てようとしてきた、そんな沖縄の一部です。だから、本来、尖閣諸島は、沖縄のものであり、八重山のものでしょう。

尖閣諸島の周辺は非常に豊かな漁場だと聞きます。また、その海底の地下には石油をはじめ地下資源が豊富にあるといいます。それらを沖縄のもの、八重山のものとすれば、それを有効に用いて、日本という国家から独立し、かつての王国時代にように周辺各国、諸地域と友好的で、経済と外交中心の関係を再び結び直すことができるのではないでしょうか。

そこを弱点だとして、そこの住み人びとの命や生活を守るという意思もないのに、米軍や自衛隊を配備して、ハリネズミにように武装したとしても、守るべきもの、生かすべきものがなんであるかを自覚しない闘争は、まったく無意味です。

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