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2011年3月27日 - 2011年4月2日

2011年3月29日 (火)

ひと、ひとが住んでいる。

わたしは南(西)の生まれなので、東日本、関東以東(以北)には余り知り合いがいなかった。数年前(10年近く前)まで北海道・遠軽の家庭学校である調査をしていたことがあったので、その当たりには知人が何人かいる。しかし、東北出身や東北在住の友人はあまりいない。いや、いるにはいたが、最近あることをきっかけに、それが若干だが増えた。

そして、仙台には昨年の秋(9月)に学会があり、訪れたことがあり、その前はずいぶん前だが東北大学の大学院(法学研究科)の入試を何年か受け続けたことがあり、親しみも、愛着もある。福島は? これももうずいぶん前になるが福島大学で学会があり、立ち寄ったことがある。福島駅から2駅とあったので違いと思ったが、存外に遠いような気がした。それに、列車に乗る時、ドアが自動では開かず、茫然としたことがある。そのときも、実は福島市内に宿が取れず仙台から通った。岩手は………。まだいったことがない。

こういう体たらくなので、震災のニュースと合わせながら想像するためには,数少ない東北出身や東北在住の友人・知人の顔を思い浮かべるしかない。

ある福島出身の友人は栃木県に近い山間の出身だという。彼は、物事をじっくり考え、慎重に行動し、他人を尊重し、争うことを好まないひとだ。誠実で、周囲のひとのことに気を配り、心を痛めて、話をよく聞くひとでもある。地域は違うけれど、浜通りで起こっている原発の大事故で、避難を余儀なくされているひとがときおり見せる、暗けれども、意志の強そうな貌が、わたしにはその友人と重なってみえる。

彼のふるさとが、国策により、災害により、人災により、もしかするとひとが住めぬところになるかも知れないと考えただけで、胸が熱くなり、涙がこみ上げてくる。どうか、このまま、事態が終息して欲しいと、わたしは、ただただ、祈るのみである。彼は、もともと大きな声を上げて笑ったりしない静かなひとだが、その彼が、晴れやかな笑顔でふるさとのこと、そこで暮らすご両親のことを話せる日が来るのだろうか。原発のそれに対して、もちろん大きな怒りはあるけれど、わたしは日ごと、悲しみと苦しみがこみ上げ、溢れてしかたがない。

もうひとり、沖縄に行くたびにあっていた日焼けした、逞しい友人は仙台の出身だという。初対面は兵庫で、その次、沖縄で、最近、わたしの近くの街の教会に招聘され牧師をしている。彼と話していて、気になった言いまわしがある。わたしはそれを土地の言葉とは気づかず、彼の個性であると考えていた。しかし、仙台や石巻で被災した方々の言葉のなかに彼と同じ言いまわしを見つけた。それで、わかったことがある。彼は、沖縄を人一倍心配し、愛しているのだが、東北人・仙台出身者としての自分をこうして守ってきたのだということを。

彼は、怒りを隠しながら、そして、悲しみを背中に背負いながら、ふるさとに一時帰るという。帰ってひとに会うのだという。そうだ。ひとが住んでいる土地なのだ。わたしがそのひとたちを知らなくても、わたしの知るひととつながるひとたちが住んでいる。

さて、時の流れで疎遠になってしまった石巻出身の友人は、いま、どこにどうして、この事態を見聞きしているのだろうか。このように、深いつながりの友人、知り合い、そして、音信のない知人。そのような薄い縁、濃い縁、直接的な縁、間接的な縁(友人の友人、知り合いの知り合い)とさまざまな縁をつないできたひとびとがそこに住んでいる。そのことを、胸に刻みながら、何度も何度もまぶたの奥に浮かべてみるのだ。

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