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2011年1月16日 - 2011年1月22日

2011年1月17日 (月)

雪の朝に~「1・17」、忘れていくこと、思い出すこと、新しい試み~

早暁、六甲山も、近くの公園も、家々の屋根も、住吉川の河川敷も、うっすら白くなったことしの「1・17」の朝。大学に着くと、研究棟の中庭はまだ人がほとんど足跡をつけていなかった。ところが、ベンチの前の地面には、「生ビール」と、だれかが足でメッセージを残していた。しかも、「-」が後で付け足されたようになっていて、最初は「生ビル」だったんじゃないかなぁ(笑)。この手のイタズラは結構好きです。

それから、少し前から気になっていたのだが、武庫川を渡る阪急の鉄橋上で上流を見ると河川敷に「生」の文字が形作られている。どうやら映画「阪急電車」のロケがはじまっているようだ。その「生」の文字もうっすら雪が積もっていた。新聞によると、きのう、夕方、ろうそくでライトアップ(?)されたようだ。昨日の夕方といえば、センター試験の監督で休日出勤中。夕方といえば、ちょうど、雪が降り始めた頃か。

それから、センター試験あけ(週末休日なし)の月曜日、1コマだけあった授業は留学生相手の「日本語・日本事情」。そこでも、きょうは、韓国・釜山から来ている短期留学生に「1・17」の話をした。話ながら、いろいろ思い出してきて、涙がにじんできた。学生には「花粉症で、目がしょぼしょぼする」といっておいた。

さて、この日のことを忘れられない人もいるだろう。しかし、時が流れて行くに従って、気負いながらこの日を過ごすような感覚が、世間から少しずつ薄れはじめている。まるで、日常生活のなかに、「1・17」が滲みこんでいくような気がする。怒りや不安は次第に薄れ、静かな思いや記憶の痕跡が浮き出てくるような1日は、雪ではじまった。

イタズラやユーモアがありながら、日常生活は平穏に進んでいく。それが突然断ち切られた日が1995年の「1・17」だった。そして、その状態が、何年も、何年も、元に戻らないでいた。しかし、震災後に生まれた人が次第に増え、体験のない住民が少しずつ増えていくなか、体験や経験は間接的になり、その分だけ客観性を増しているのか。既に、“わたしの”震災体験ではなく、歴史的な体験への変化が感じられる。

また、「1・17」をライトに(軽く)考え直そうとする試みも増えた。「いかに生き残るか」から、「いかに生きていくか」への変化。そういえばいいだろうか。わたしは、決して忘れない。しかし、あの日と同じまま、それを覚えているのではない。一年中でこの日だけではなく、あの日震災地帯の周縁部で死を免れ、生を得た、いまでも、時折、その意味を考え続けている。その結果、わたしの体験も、わたしの言葉も、変化しているのだ。その変化は、長く覚えておくための「作法」のようなものだろう。

さて、最初の話に戻ると、0℃近くの朝。雪が積もって、空気が痛いくらいに緊張しているところで、冷たい「生ビール」の文字をみたとき、わたしの心は、ホッと温かくなったのであった。

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