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2011年2月6日 - 2011年2月12日

2011年2月12日 (土)

責任〜問う側と、問われる側と〜

先日、7月に東京で開催される日本と韓国、スイスの教会の共催で行われる会議での発題を頼まれた。時期が時期だけに、仕事を選んでる場合ではない。それに、もしかすると、沖縄フィールドワークのオプションもつくかも知れないとのこと。だから、一も二もなく引き受けた(シチュエーションも対象も魅力的でした)。

ところが、あとでその共通テーマをあらためてみて、考え込んでしまった(yesの返事をしたのを後悔しているのでは決してない)。共通テーマは「教団史よりみた戦争責任問題」で、沖縄教会史の視点からの発題を求められている。いまさら、「戦争責任」って。いつの戦争? というツッコミは、いいとして…。「責任」を追究していくと、当然、「誰に、どんな、責任を問うか」という行為が結論として導き出される。あることの責任を「問う側」と「問われる側」。責任問題の追及はたいていこの2つの側に分かれる。

しかし、先述の課題については、発題をするわたしの立ち位置と、求められている立場との間に相当なねじれがある。沖縄のキリスト教史を研究しているわたしは、明らかに本土の人間だ。その意味で、沖縄、ないしは、アジアの諸教会に対して、あるいは、そこに住んだ人びとに対して責任を問われ、追究を受ける側にいるのだ。沖縄を研究しているのだから、当事者でもないのに、責任を追及する側に回れというのは、無茶な話である。

でも、一方で、わたしが沖縄のキリスト教史を研究するようになったきっかけは、戦争(第二次大戦、日中戦争、アジア・太平洋戦争)の時かどうかは別にして、日本の教会(教界)の沖縄に対する無関心や不作為の罪を知り、その本質を知りたいということであった。そこでわかったことは、「教団史」や「教派史」という枠組みが、いかに信徒や地域の教会をないがしろにし、人びとの信仰や想いを数値に換算し、統計化していく、歴史に関する植民地主義の変種であって、醜い権威主義の所産であることがわかった。

さて、「教団(恐らく「日本キリスト教団(「日本基督教団」とも表記することがある)」のことだろう)」が沖縄やアジアの対して戦争責任を負っているか、否かということとは別に、戦争のよって起こってしまった出来事に対して戦後一貫してその責任を自覚し、生き方を変え、深い内省に基づいて、その責任(罪)を償おうとした人物の信仰をわたしは知っている。

 ── 仲里朝章 ──

戦後、沖縄の最も有力なキリスト教指導者のひとりである。彼は、那覇商業高校の校長として、教え子たちを戦場に動員し、その多くを死なせた。戦前からのクリスチャン(富士見町教会の長老を務めていた経歴を持っているので、平信徒というよりも信徒伝道者であった)であった仲里朝章は、この体験を通して、戦後、信仰的にいうと、生まれ変わって、新しい信仰生活を生き直したように見える。

「責任」 ── 自らが引き起こしてしまった出来事に関して、一生、その重荷を背負って生きていく。その重苦しい、苦い一生を、信仰という灯りで照らすことが出来た人がいる。その灯りは、自分の人生ばかりではなく、周りの人びとをも照らすことになった。そして、遭ったこともないわたしの心にもその灯りが灯されているのだ。

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2011年2月 9日 (水)

【予告】沖縄フィールドワーク

来たる2月11日より18日まで、沖縄島各地で調査をします。
今年最初の沖縄調査です。
主たるテーマは、宮古と八重山のキリスト教史に関する聞き取りと文献調査です。
八重山のキリスト教史については、戦前からの分も含めて、本年6月の「宗教と社会」学会で報告予定。

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